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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

鏡の会

あっという間に一ヶ月。今回はとりあえず近況報告だけを。

明日が今月の最終日だが、「鏡の会」が午後3時から京大は近衛の楽友会館で催される。恩師の田中喬先生が建築学会賞でもらわれた記念品の鏡にちなんでつけられた名前だが、残念ながら田中先生は昨年5月にお亡くなりになったので、今回は先生を偲ぶ会ということになる。

それに合わせて同級生で、比叡山にある先生のお墓参りを企画したので、花や線香も家内に頼んで用意してもらい、明日は早朝から出かける。参加する友人が、大学院時代に携わったコンペや実現した建物の図面、ゼミのレジュメなどを持ってきてくれるとのことで、終日、しめやかでなつかしい一日になりそうだ。夏の終わりにふさわしい記憶になるのだろうと思う。

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マーワラーアンナフル

「マーワラーアンナフル」と言っても知っている人は少ないと思う。まあこの前書いた「中央ユーラシア史」の本を読むまではわたし自身もまったく知らなかった。。アラビア語の地域名称で「河の向こう」というような意味だそうだ。中央アジアのサマルカンドというと名前くらいは知っている人も多いと思うが、パミール高原に発してサマルカンドの南を走り徐々に西北に流れて最後はアラル海に達するアム川というのがその「河」になる。もう一本やはりパミール高原に発するシル川というのが北にあって、この両河にはさまれた地域の名称のようだ。そこはある時期、イスラム文化が華麗に花開いた中心地のひとつだった。

この二つの河は、前回書いた井上靖氏の本でも出てきて、敬称とも愛称ともつかぬ感じで、川ごと現地語の「アムダリヤ・シルダリヤ」と呼んでおられたが、それだけ中央アジア史において何回も光をあびた、重要な河と地域だったということだろうと思う。

アラビア語だから多分8世紀以降、イスラム教の布教後の呼称になるだろうが、あたりの地名と音の響きがまったく違い、なんともやさしく上品な感じがして、本で最初に出てきたときには違和感があったが、しばらくしてから心になじみ、深く印象に残る地名になった。

実はこの前書いてからすぐに書こうと思ったのだが、仕事が忙しくなってそのままになってしまっていた。山川の世界の歴史は、そのあと「中国史」を読み、いまは「西アジア史Ⅰ アラブ」というのを読んでいて、当然7世紀以降はイスラムが主役になり、数回「マーワラーアンナフル」も出てきたものの担当地域外だからあまり関係なかった、でもⅡの方はトルコ、イランで、あそこはイランに連なる地域なので、そちらが楽しみだ。またⅠではそれほど言及のなかった千一夜物語や、イブン・バットゥータの大旅行記の話しなど、イスラム文化の盛雅の叙述が読めるのではないかと期待している。

近況など

前に書いてから少し間があいてしまった。久しぶりに近況報告でも書いておきます。

まあ連休もあったし、出来事はいろいろあったのだが、いまさらわざわざここに取り上げて書くべきことはないようだ。

ざっと振り返ってみると、仕事では進行中の高気密高断熱の住宅について、ほぼまとめるところまできたことだろうか。高気密高断熱の住宅は今までに何軒もやっているが、いわゆる在来木造での経験は初めてで、実施設計に入ってからかなり難航した。確かに伝統的な「夏を旨すべし」という造り方とは考え方からまったく違うので、とまどいもしたし、とくにディテールの点では正直、最初は暗中模索の状態だった。

とりあえず現在の比較的一般的と思われるやり方を踏襲してまとめることにしたが、日本の在来木造と高気密とは基本的な方向性が真逆で、現状のやり方が理想的なものとも思えない。まだまだ発展途上の技術なんだろうが、とりあえず現在の高気密高断熱住宅の技術的ボキャブラリーについては、一通り身に付けることができたように思う。

あと、在来木造についても、この前やった木造というと寺院のお堂(護摩堂)で、これは宮大工さんとの仕事だし、まったくの特注仕事で全てが手加工だから、歴史的な先例はあっても、組み方や寸法などはまったく自由に決めていける。というか自由すぎて歴史資料を参照しないと考えが進められないくらいのものだった。

それに対して、現在の在来木造工法は基本的にプレカット工場での加工を前提としているので、その許容範囲を知らないと古民家のデザインを参考にしようとしても、そう簡単にはいかず、ましてや高気密のこともあるので話がかなり複雑になってしまう。まあこれが難航した一番の原因だった。

さて次に読書のこと。継続して読んでいる山川書房の世界の歴史とキーン氏の日本文学の歴史のことを。

まず世界の歴史では、前に書いた東南アジア史のあと、中央ユーラシア史と中国史を読んだ。とくに中央ユーラシア史は井上靖氏の「河岸に立ちて 歴史の川 沙漠の川」という本をたまたま同時に読みなおしていたのもあってとても面白く、今まで知らなかった中央アジア世界について本当に何枚も目からうろこが落ちた。古代からあんなにも豊穣な世界がそこにあったことはまったく知らず、中央アジアを見る目自体が変わったように思う。

日本文学の歴史は、少しペースが落ちたが多分前に書いてから12,13巻まで読了。明治、大正、昭和前期くらいまでか。夏目漱石に対して期待したほどの評価がなかったことや、谷崎潤一郎、川端康成氏についての叙述が圧巻で、とくに印象的だった。

令和の始まり

ついに平成が終わって令和が始まった。

そういえば昭和から平成のときはどうだったかなと思い、使っているスケジュールソフトで今から30年前に飛んで見てみた。でも書き込みはまったくなくて一瞬びっくりしたが、考えてみると主に仕事で使っているソフトだし、まだ勤めていたので当たり前だ。でも翌5月になると長男が生まれている。あと同じ月には数年前に亡くなった母の誕生日があって、ちょうど今の私の歳と同じで、どちらかというとそっちの方が年月を感じさせてくれた。

朝日新聞で書かれていたが、昭和から平成のときは逝去を待っての改元だったので、改元前は天皇の病状の報道で暗くはりつめた雰囲気が漂い、巷のいろいろな行事などが、いかにも日本社会らしく、自粛に「追いこまれ?」たりした。

それに比べると今回はシンプルなお祝いの雰囲気で、まさにまた正月が来たような感じでほほえましい。平成天皇のご英断はよかったのだと思う。

まあ新天皇はわたしより年下なので、令和の最後まではおつきあいできないかもしれないが、今回の改元が、前回の改元後まもなく始まったバブルの崩壊のために、経済的に(今の時代だとつまりはほぼ全体的に)基調音が暗く、ついにそこから抜け出せないままだった平成から、もう少し明るい時代に変わるきっかけになってほしいと心から願っています。

東南アジア史のこと

昨日新しい年号が決まった。平成も今月一杯だそうだ。

さて先週末の記事で山川の東南アジア史について面白かったと書いたが、それだけではあまりにそっけないので少し補足を。

山川出版の世界の歴史のシリーズを読んできているのは、歴史を知ることに興味があるのはもちろんだが、地理についても同時に深く理解できることになるのが理由として大きい。ただ、それにはグーグルマップという現在の便利な道具の存在も非常に大きいが。

でも書いたように東南アジア史について最初あまり期待していなかったのは、文字の歴史がそれほど古くなさそうで、つまり少し古い時代のことになるとよく分からないだろうと思ったからだ。たしかにそれはある程度その通りだったが、この本の対象の大陸部東南アジアについてはとくに、多くの個性豊かで異なる民族の移動や盛衰、興亡などが物理的な地形の制約の上で、目まぐるしく華麗に展開していて百花繚乱と言いたいくらい。

そしてその結果として今の国境線に収まっているわけだが、今までほとんど知らなかった現地の山脈の山ひだや大河の走る平野など、細かく地形図を見ながら、時代に合わせて動いていく出来事の展開や連鎖をたどっていくというのはなかなか楽しい作業だった。

対象国の個性や歴史も地形が把握できてくると、初めて、そしてしばらくするとさらにいっそうよく理解できるようになっていった。そういう意味では世界の屋根であるヒマラヤ山脈の尾の部分がひしめき合いながらうねるように南東の海へなだれこんでいく複雑で動的な地形が、出来事の舞台として独特の景色をかもし出していて、とても面白く思ったのだ。

あと古くから、やはり中国との交流が濃厚で、それもベトナムでも川を深くさか登って四川盆地までつながる道が古くから重要なルートとしてあり、インドのとなりのビルマ(ミャンマー)でさえ、山脈を越えてしっかり中国とつながっていたことを知ったのは目からウロコだった。

また数年前に娘の見てきたアンコールワットは、自分もいつか目に納めてみたいと思った次第