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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

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旭堂南龍 襲名披露会

中央電気会館2018

昨日の土曜日、北区の中央電気倶楽部であった講談会に行ってきた。

旭堂南青改め南龍の襲名、それと同時に彼の真打昇進の披露も兼ねての記念講談会。会場の中央電気倶楽部は、写真で見るように文化財として保存の声も上がるような、いわゆる「近代の洋風建築」として、名前のほかにも小さな写真では知っていたが行くのは初めて。

と言っても建物に魅かれて行ったわけではなく、奈良の催しで近年数回、とても面白く聴かせてもらっている旭堂南左衛門さんの一番弟子が南青さんであり、もちろん師匠も出られるので行ってみようと思った次第。ただチラシで見ると、講談師の名前が本人のほかに7名も並んでいて、あまりに盛りだくさんすぎるようにも思え、今まで講談だけの会など行ったこともないから、正直、多少不安な気持ちもかかえながら出向いた。

開演前に前講といって、若い人が携帯電話のことなど聴講の注意点などを話しに出てきて、そのあと自分も一席(なかなかうまかった)。本式に始まってからはまず3席あって15分の休憩をはさみさらに3席。後半の初めが知っている南左衛門さんで、冒頭に、実は自分が同じような披露会をしてもらってから31年、もう一人3年ほどあとにあったが、関西ではそれ以来27年ぶりの襲名真打披露の会なのですと説明があった。

会場は最上階(5階)の大広間。天井が低めの体育館のようなスケールで、重厚な木製化粧格子のアーチ型天井をもった造りになっている。人数は概算でも数えなかったから分からないがまったくの満席で、少なくとも500人はいたかという盛況だった。

南龍さんのほかに講談師7名と書いたが、そのうちに東京の講談師が3名。みなさん有名な師匠だそうだが、大阪勢と比べるとかなりご高齢ではあり、声の張りと滑舌が弱く多少聞き取りにくいところもあった。でもある師匠が言われていたが東京では講談師の数は60名弱で、その中で女性が半分以上というのには驚いた。数は少ない大阪でも1/3くらいが女性だそうで、両方足すとほぼ半々くらいになる。

講談6席が終わってまた休憩。南左衛門さんが、今日は3時間半くらいはかかると思うので歌舞伎を見にきたつもりでいてくださいね。絶対途中で帰らないでと言うのを聞いていたし、まあ腹はくくっていたが、それぞれなかなか面白かったし、帰ろうと思うどころか十分楽しい時間を過ごさせていただいた。

二回目の休憩前に幕が下りていて、幕が上がると南龍さんを中央に演者全員が舞台にずらりと並んで座っていて口上の場。東京の師匠方から始まり全員から次々にお祝いの口上が述べられ、合間の拍手が幾度も重なり熱気も高まってにぎやかな時間だった。

一度幕が下りて、いよいよ最後。

幕が上がると今日の真打である南龍さんの口演。お題は赤穂浪士の外伝、直助のお話。私は彼の講談を聴くのは初めてだが、緊張の前振りから始まって大団円の最後まで、観衆の視線と感情を真正面から受けとめて、若いながら気迫のこもった見事な舞台だった。講談というものを堪能させていただいたように思う。

会場席で、奈良で講談や落語を合わせた酒の会をやっておられるN氏の顔を家内がお見かけし、終演後帰りぎわの立ち話で、今日の南龍さん(南青)がその会で14年前に初めて講談を披露されたというのを知ったが、そのころから彼は精進の度合いがほかの人たちとはまったく違ったよと、べた褒めされていたのが印象的だった。

まあ行く前はそんなに大層な会だとは夢思わなかったが終わってみると4時間を超えていて、27年ぶりの会でもあるし、東京大阪の交流のなか講談界の行く末に、南龍さんにかけられた期待の大きさがひしひしと伝わってくるような、応援に励ましと熱気にあふれたすばらしい会だったと思う。自分にとってはたまたまかもしれないが、こういう濃密な時間に同席させていただけたことに感謝したいと思うし、彼のこれからのご活躍を心から祈念したいと思います。

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近況とほろよい寄席

いよいよ大詰めを迎えた仕事の現場が、明日、民間検査機関の完了検査。施主への引渡しは盆明け20日だが、7階建ての賃貸住宅で、入居者も大分決まってきているので、いろいろ雑用にも時間をとられ、心労も重なりここに書く余裕がなく、間があいてしまった。

また手術後の余韻もあって、ウォーキングもしばらく休んでおり、ようやく先月の梅雨明けの声と同時に再開した。でもそこからの猛暑は本当にすさまじい。ウォーキングは早朝だから、まだ少しは涼しいのだが、再開して数日後、疲労なのか、少し暑かったからか、いつものように途中で体操しようと思ったら多少ふらつき、これはまずいと思って軽く流して終わったこともあった。



さて上の写真は、先週末に奈良のホテルフジタであった「ほろよい寄席」の写真。落語二席に講談がはさまり、それらを聴いてから食事と酒の会。私は2回目だが、今回はトリが桂きん枝さんで、ネームバリューもあるからか、会場もよくて楽しい時間だった。きん枝さんの落語を聴くのは多分はじめてだが、さすがに年季を積んでこられたと思わせる内容だった。ただ前振りの時間が長く、これなら尻切れトンボだった講談の方に少し時間を回してあげればよかったのにと思った次第。

北大阪の地震

久しぶりの地震だった。

まあこの前というと、東北のだが、振幅の非常に大きい揺れを感じて事務所ビルから避難したものの、揺れ自体は大したことはなく、東北と分かって衝撃を受けた記憶が残っている。そしてその前となれば、もちろんあの阪神淡路大震災だ。

9時に梅田へ行く用事があって、洗面所でひげを剃っていたら、突然激しい揺れがきた。ダダダダダっという感じで何の音か分からないが、阪神のときにも聞いたことはないような音と急なテンポの揺れ。音についてはあとで近所の人も話していたようだが、何だったのかいまだによく分からない。水栓を止め、台所にいた家内にも外へ出ようと声をかけて、顔にはシェービングフォームが残ったまま玄関の鍵をあけ、スリッパで道路へ飛び出した。すでに揺れはおさまっていて、向こうに環状線が見え、電車がゆっくり動いていく景色を覚えている。。

とりあえず揺れも短時間でおさまり、電気やガス、水道など別にインフラのトラブルもなく、テレビでは緊急情報が流れていたが、スイッチはついたままで、ほぼ平常に戻ったから、あとは家内とビックりしたなの傷ついたレコードの蓄音機状態。ただ6弱という情報にびっくりし、そんなはずはないと思っていたが、しばらくして住んでいるあたりは震度4という情報。大したことはなかったのもむべなるかな。

まあ一応予定があるので着替えてから駅まで行ったが、乗ろうと思っていた環状線はもちろん動いておらず、地下鉄へ回ってみると、こちらもストップ。スマホをいじる老若男女が道端にあふれていた。ただバスだけはいつもと変わらず走っていくのが見えた。

いったん自宅へ戻ったが、用事の先へ電話がつながると、来てもよいとのことで、上町筋まで歩いてバスに乗るべく出かけた。着いてすぐちょうどバスが来たが満員で乗せてもらえず、迷ったが待つことにした。でも20分に1本のはずが30分待っても来ず、しびれをきらしかけたときにようやく次ぎのが来てくれた。半分また乗せてもらえないかもと覚悟していたが、今度は扉が開いて、ぎりぎり状態だがなんとか乗り込むことができた。

結局停留所へ着いてから目的地に着くまで2時間弱。それも各停留所に人が多く、走行中は猛烈なラッシュアワー状態で、梅田の目的地に着いたのは昼前だったが、それだけでへとへとになった次第。

入院

先日、某病院に4日ほど入院した。まあ命に関わるような事情はなく、そう急ぐわけでもなかったが、いずれするならということで踏み切った次第。ただ入院するという経験自体が、自分にとっては初めてに近いもので、行く前には多少ワクワクした。入院中に読む本をいろいろ考えるのもなかなか楽しい経験だった。

初めてに近い経験と書いたが、実は昔一度だけ入院の経験がある。小学校1年か2年生のときのことで盲腸ではないが、同じような手術での入院だった。一ヶ月くらい入院したような記憶があるが、ちょっと大げさすぎるようにも思う。年齢が年齢だから、記憶がいつか増幅してしまったのかもしれない。

ただ、そのときのことで鮮明に覚えている記憶がある。それは「日の丸」という少年漫画雑誌を読んだこと。鉄腕アトム、鉄人28号、忍者影丸などが掲載の「少年」という一番人気の月刊詩は多分読んでいたが、「日の丸」となると書店で並んでいるのは見ていても、お小遣いの関係で読んだことはなかった。それを入院という特別な理由で買ってもらえたのだった。

なぜそんなに覚えているか自分でも不思議なのだが、その号の冒頭に掲載されていた漫画が雑誌と同じ名前の少年が主人公で、すごく細長く背の高い体型の子どもなのだが、その子が通学途中、その日の朝食で、お母さんに目玉焼きを二つ(三つ?)も作ってもらえて平らげたことをすごく喜んで自慢しているのがとても印象的で、そのシーンを今でも覚えているのだ。卵がぜいたくという感じが自分には不思議で、新鮮に思ったからかもしれない。思えば、まだ市場に行くと、手回しの楽器で軍歌を流す包帯と軍服姿の傷痍軍人たちの姿を見ることがあった。戦後15年以上過ぎていたが、大人の人たちには、まだ傷跡や貧しさの記憶がしっかりと残っていたのだと思う。

今調べてみると、たしかにそういうような漫画があり「日の丸くん」というタイトルだった。でも雑誌自体は1963年2月で休刊になっている。その時点で私は七歳になったばかり。おそらく自分が読んでまもなくのことだと思う。

さて現在に戻ると、今回の入院で最初に読んだのは、前から読みたいと思っていて今回の入院に向け買っていたノーベル賞のカズオ・イシグロ氏の『日の名残り』。いい小説だったと思うが、結局、読了できたのはこれだけ。あと古代ギリシアの「イリオス」など、こういう時でないとなかなか読めないと思う分厚い文庫本を数冊持っていったのだったが。

久しぶりの京都

この前の祝日の月曜日に久しぶりに京都へ行ってきた。

目的地は観世会館。若手の能楽師 林宗一郎氏が復活?した、岡山は備前の国が舞台の「吉備津宮(きびつのみや)」を観に行ったのだ。はるか昔、おそらくはまだ吉備国の威勢が大和朝廷に匹敵するほどだった時代にできたと思われる古代の鬼退治伝説を主題とした物語能。

公演前半では東大の先生が舞台に上がり、復活にいたる今回の顛末からはじまり、物語の内容や背景などについて、かなり詳しい講演があった。それだけでも十分なくらいの中身の濃い内容で、なかなか面白かったが、なかでも、7.8年前に読んでとても印象深くて記憶に残っている中沢新一氏の「精霊の王」という本のことまで出てきて、「桃太郎伝説の深層」という今回の公演の副題がようやく腑に落ちた。

能自体も、とても面白く拝見したが、舞が多くて派手な印象。途中には、今回の内容からはずれてしまった吉備津神社の「鳴釜」の神事についての狂言まではさまり、かなり盛りだくさんの内容だった。少し説明がくどかったという感想もあるが、ご本人も言われていたように、これから時間をかけて内容も整理されていくのだろうと思う。

岡田以蔵の刀痕

上は、帰りに先斗町(ぽんとちょう)で飲んでから、帰り際に見せてもらった幕末の岡田以蔵の刀痕。確か土佐藩の脱藩浪人で、「人切り以蔵」という異名があったことくらいは私も知っているが、経歴などそれ以上の詳しいことはほとんど知らない。木屋町と先斗町の間の長屋の狭い路地にあり、知る人ぞ知るというようなものでも、最近見に来る人が増え、困った家主が路地入口に鍵をつけてある。それを特別に見せてもらったのだ。

古代の「鬼」のお話から幕末に実在した「鬼」へと、久しぶりの京都は深層世界の旅になった次第。

追伸
ここまで書き終えたのが昼の2時過ぎだが、そうしたらニュースが二つ飛び込んできた。
一つはオリンピックのフィギュアスケートの結果。復活した羽生(はにゅう)君が見事金メダル!日本には初めての金で、ようやくという感じだし、宇野君も二位に入ったとのことで、とにかくめでたい。
もう一つは将棋で、こちらの羽生(はぶ)氏の方は負けてしまったが、勝ったのが中学生の藤井君!これもすばらしい。
ということで、記念に付記しておく次第です。

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