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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

令和の始まり

ついに平成が終わって令和が始まった。

そういえば昭和から平成のときはどうだったかなと思い、使っているスケジュールソフトで今から30年前に飛んで見てみた。でも書き込みはまったくなくて一瞬びっくりしたが、考えてみると主に仕事で使っているソフトだし、まだ勤めていたので当たり前だ。でも翌5月になると長男が生まれている。あと同じ月には数年前に亡くなった母の誕生日があって、ちょうど今の私の歳と同じで、どちらかというとそっちの方が年月を感じさせてくれた。

朝日新聞で書かれていたが、昭和から平成のときは逝去を待っての改元だったので、改元前は天皇の病状の報道で暗くはりつめた雰囲気が漂い、巷のいろいろな行事などが、いかにも日本社会らしく、自粛に「追いこまれ?」たりした。

それに比べると今回はシンプルなお祝いの雰囲気で、まさにまた正月が来たような感じでほほえましい。平成天皇のご英断はよかったのだと思う。

まあ新天皇はわたしより年下なので、令和の最後まではおつきあいできないかもしれないが、今回の改元が、前回の改元後まもなく始まったバブルの崩壊のために、経済的に(今の時代だとつまりはほぼ全体的に)基調音が暗く、ついにそこから抜け出せないままだった平成から、もう少し明るい時代に変わるきっかけになってほしいと心から願っています。

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2019年 明けまして

2019年 明けましておめでとうございます

写真は一枚もとってこなかったが、昨日、今年最初の日は名古屋に行ってきた。今年は帰省する息子に加え娘夫婦も来るというので、多少いつもより正月の準備も手厚かったが、残念ながら娘が風邪をひいてあきらめざるをえなくなり、それならと、おせちや尾かしらつきのタイまで持って、急遽ここっちから名古屋の娘夫婦の住まいまで出向くことにしたのだった。

まあそんなに娘の風邪もひどくなく、ほぼ回復してきていたので、みんなで軽くおとそも楽しんでから、有名な熱田神宮へ初詣に行ってきた。大事をとって娘は来なかったが、すさまじいくらいの人出で、出てこなくてよかったと思った次第。わざわざつきあってくれたご主人には感謝。

今日は年賀状の補足を書きに出てきたが、急いで書いた大晦日の記事に少し手をいれてからこれを書いている。寒さもきつすぎず天候も晴天で、とりあえずおだやかな正月のすべりだしとなった。まあ年の功というべきか、人間の分際で願えることの限界についてだんだん悟ってきてるいるから、いまやおだやかな年の初めだけでもありがたいと思う。

本年がきっとよい年でありますよう

旭堂南龍 襲名披露会

中央電気会館2018

昨日の土曜日、北区の中央電気倶楽部であった講談会に行ってきた。

旭堂南青改め南龍の襲名、それと同時に彼の真打昇進の披露も兼ねての記念講談会。会場の中央電気倶楽部は、写真で見るように文化財として保存の声も上がるような、いわゆる「近代の洋風建築」として、名前のほかにも小さな写真では知っていたが行くのは初めて。

と言っても建物に魅かれて行ったわけではなく、奈良の催しで近年数回、とても面白く聴かせてもらっている旭堂南左衛門さんの一番弟子が南青さんであり、もちろん師匠も出られるので行ってみようと思った次第。ただチラシで見ると、講談師の名前が本人のほかに7名も並んでいて、あまりに盛りだくさんすぎるようにも思え、今まで講談だけの会など行ったこともないから、正直、多少不安な気持ちもかかえながら出向いた。

開演前に前講といって、若い人が携帯電話のことなど聴講の注意点などを話しに出てきて、そのあと自分も一席(なかなかうまかった)。本式に始まってからはまず3席あって15分の休憩をはさみさらに3席。後半の初めが知っている南左衛門さんで、冒頭に、実は自分が同じような披露会をしてもらってから31年、もう一人3年ほどあとにあったが、関西ではそれ以来27年ぶりの襲名真打披露の会なのですと説明があった。

会場は最上階(5階)の大広間。天井が低めの体育館のようなスケールで、重厚な木製化粧格子のアーチ型天井をもった造りになっている。人数は概算でも数えなかったから分からないがまったくの満席で、少なくとも500人はいたかという盛況だった。

南龍さんのほかに講談師7名と書いたが、そのうちに東京の講談師が3名。みなさん有名な師匠だそうだが、大阪勢と比べるとかなりご高齢ではあり、声の張りと滑舌が弱く多少聞き取りにくいところもあった。でもある師匠が言われていたが東京では講談師の数は60名弱で、その中で女性が半分以上というのには驚いた。数は少ない大阪でも1/3くらいが女性だそうで、両方足すとほぼ半々くらいになる。

講談6席が終わってまた休憩。南左衛門さんが、今日は3時間半くらいはかかると思うので歌舞伎を見にきたつもりでいてくださいね。絶対途中で帰らないでと言うのを聞いていたし、まあ腹はくくっていたが、それぞれなかなか面白かったし、帰ろうと思うどころか十分楽しい時間を過ごさせていただいた。

二回目の休憩前に幕が下りていて、幕が上がると南龍さんを中央に演者全員が舞台にずらりと並んで座っていて口上の場。東京の師匠方から始まり全員から次々にお祝いの口上が述べられ、合間の拍手が幾度も重なり熱気も高まってにぎやかな時間だった。

一度幕が下りて、いよいよ最後。

幕が上がると今日の真打である南龍さんの口演。お題は赤穂浪士の外伝、直助のお話。私は彼の講談を聴くのは初めてだが、緊張の前振りから始まって大団円の最後まで、観衆の視線と感情を真正面から受けとめて、若いながら気迫のこもった見事な舞台だった。講談というものを堪能させていただいたように思う。

会場席で、奈良で講談や落語を合わせた酒の会をやっておられるN氏の顔を家内がお見かけし、終演後帰りぎわの立ち話で、今日の南龍さん(南青)がその会で14年前に初めて講談を披露されたというのを知ったが、そのころから彼は精進の度合いがほかの人たちとはまったく違ったよと、べた褒めされていたのが印象的だった。

まあ行く前はそんなに大層な会だとは夢思わなかったが終わってみると4時間を超えていて、27年ぶりの会でもあるし、東京大阪の交流のなか講談界の行く末に、南龍さんにかけられた期待の大きさがひしひしと伝わってくるような、応援に励ましと熱気にあふれたすばらしい会だったと思う。自分にとってはたまたまかもしれないが、こういう濃密な時間に同席させていただけたことに感謝したいと思うし、彼のこれからのご活躍を心から祈念したいと思います。

近況とほろよい寄席

いよいよ大詰めを迎えた仕事の現場が、明日、民間検査機関の完了検査。施主への引渡しは盆明け20日だが、7階建ての賃貸住宅で、入居者も大分決まってきているので、いろいろ雑用にも時間をとられ、心労も重なりここに書く余裕がなく、間があいてしまった。

また手術後の余韻もあって、ウォーキングもしばらく休んでおり、ようやく先月の梅雨明けの声と同時に再開した。でもそこからの猛暑は本当にすさまじい。ウォーキングは早朝だから、まだ少しは涼しいのだが、再開して数日後、疲労なのか、少し暑かったからか、いつものように途中で体操しようと思ったら多少ふらつき、これはまずいと思って軽く流して終わったこともあった。



さて上の写真は、先週末に奈良のホテルフジタであった「ほろよい寄席」の写真。落語二席に講談がはさまり、それらを聴いてから食事と酒の会。私は2回目だが、今回はトリが桂きん枝さんで、ネームバリューもあるからか、会場もよくて楽しい時間だった。きん枝さんの落語を聴くのは多分はじめてだが、さすがに年季を積んでこられたと思わせる内容だった。ただ前振りの時間が長く、これなら尻切れトンボだった講談の方に少し時間を回してあげればよかったのにと思った次第。

北大阪の地震

久しぶりの地震だった。

まあこの前というと、東北のだが、振幅の非常に大きい揺れを感じて事務所ビルから避難したものの、揺れ自体は大したことはなく、東北と分かって衝撃を受けた記憶が残っている。そしてその前となれば、もちろんあの阪神淡路大震災だ。

9時に梅田へ行く用事があって、洗面所でひげを剃っていたら、突然激しい揺れがきた。ダダダダダっという感じで何の音か分からないが、阪神のときにも聞いたことはないような音と急なテンポの揺れ。音についてはあとで近所の人も話していたようだが、何だったのかいまだによく分からない。水栓を止め、台所にいた家内にも外へ出ようと声をかけて、顔にはシェービングフォームが残ったまま玄関の鍵をあけ、スリッパで道路へ飛び出した。すでに揺れはおさまっていて、向こうに環状線が見え、電車がゆっくり動いていく景色を覚えている。。

とりあえず揺れも短時間でおさまり、電気やガス、水道など別にインフラのトラブルもなく、テレビでは緊急情報が流れていたが、スイッチはついたままで、ほぼ平常に戻ったから、あとは家内とビックりしたなの傷ついたレコードの蓄音機状態。ただ6弱という情報にびっくりし、そんなはずはないと思っていたが、しばらくして住んでいるあたりは震度4という情報。大したことはなかったのもむべなるかな。

まあ一応予定があるので着替えてから駅まで行ったが、乗ろうと思っていた環状線はもちろん動いておらず、地下鉄へ回ってみると、こちらもストップ。スマホをいじる老若男女が道端にあふれていた。ただバスだけはいつもと変わらず走っていくのが見えた。

いったん自宅へ戻ったが、用事の先へ電話がつながると、来てもよいとのことで、上町筋まで歩いてバスに乗るべく出かけた。着いてすぐちょうどバスが来たが満員で乗せてもらえず、迷ったが待つことにした。でも20分に1本のはずが30分待っても来ず、しびれをきらしかけたときにようやく次ぎのが来てくれた。半分また乗せてもらえないかもと覚悟していたが、今度は扉が開いて、ぎりぎり状態だがなんとか乗り込むことができた。

結局停留所へ着いてから目的地に着くまで2時間弱。それも各停留所に人が多く、走行中は猛烈なラッシュアワー状態で、梅田の目的地に着いたのは昼前だったが、それだけでへとへとになった次第。