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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

鏡の会

あっという間に一ヶ月。今回はとりあえず近況報告だけを。

明日が今月の最終日だが、「鏡の会」が午後3時から京大は近衛の楽友会館で催される。恩師の田中喬先生が建築学会賞でもらわれた記念品の鏡にちなんでつけられた名前だが、残念ながら田中先生は昨年5月にお亡くなりになったので、今回は先生を偲ぶ会ということになる。

それに合わせて同級生で、比叡山にある先生のお墓参りを企画したので、花や線香も家内に頼んで用意してもらい、明日は早朝から出かける。参加する友人が、大学院時代に携わったコンペや実現した建物の図面、ゼミのレジュメなどを持ってきてくれるとのことで、終日、しめやかでなつかしい一日になりそうだ。夏の終わりにふさわしい記憶になるのだろうと思う。

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近況など

前に書いてから少し間があいてしまった。久しぶりに近況報告でも書いておきます。

まあ連休もあったし、出来事はいろいろあったのだが、いまさらわざわざここに取り上げて書くべきことはないようだ。

ざっと振り返ってみると、仕事では進行中の高気密高断熱の住宅について、ほぼまとめるところまできたことだろうか。高気密高断熱の住宅は今までに何軒もやっているが、いわゆる在来木造での経験は初めてで、実施設計に入ってからかなり難航した。確かに伝統的な「夏を旨すべし」という造り方とは考え方からまったく違うので、とまどいもしたし、とくにディテールの点では正直、最初は暗中模索の状態だった。

とりあえず現在の比較的一般的と思われるやり方を踏襲してまとめることにしたが、日本の在来木造と高気密とは基本的な方向性が真逆で、現状のやり方が理想的なものとも思えない。まだまだ発展途上の技術なんだろうが、とりあえず現在の高気密高断熱住宅の技術的ボキャブラリーについては、一通り身に付けることができたように思う。

あと、在来木造についても、この前やった木造というと寺院のお堂(護摩堂)で、これは宮大工さんとの仕事だし、まったくの特注仕事で全てが手加工だから、歴史的な先例はあっても、組み方や寸法などはまったく自由に決めていける。というか自由すぎて歴史資料を参照しないと考えが進められないくらいのものだった。

それに対して、現在の在来木造工法は基本的にプレカット工場での加工を前提としているので、その許容範囲を知らないと古民家のデザインを参考にしようとしても、そう簡単にはいかず、ましてや高気密のこともあるので話がかなり複雑になってしまう。まあこれが難航した一番の原因だった。

さて次に読書のこと。継続して読んでいる山川書房の世界の歴史とキーン氏の日本文学の歴史のことを。

まず世界の歴史では、前に書いた東南アジア史のあと、中央ユーラシア史と中国史を読んだ。とくに中央ユーラシア史は井上靖氏の「河岸に立ちて 歴史の川 沙漠の川」という本をたまたま同時に読みなおしていたのもあってとても面白く、今まで知らなかった中央アジア世界について本当に何枚も目からうろこが落ちた。古代からあんなにも豊穣な世界がそこにあったことはまったく知らず、中央アジアを見る目自体が変わったように思う。

日本文学の歴史は、少しペースが落ちたが多分前に書いてから12,13巻まで読了。明治、大正、昭和前期くらいまでか。夏目漱石に対して期待したほどの評価がなかったことや、谷崎潤一郎、川端康成氏についての叙述が圧巻で、とくに印象的だった。

令和の始まり

ついに平成が終わって令和が始まった。

そういえば昭和から平成のときはどうだったかなと思い、使っているスケジュールソフトで今から30年前に飛んで見てみた。でも書き込みはまったくなくて一瞬びっくりしたが、考えてみると主に仕事で使っているソフトだし、まだ勤めていたので当たり前だ。でも翌5月になると長男が生まれている。あと同じ月には数年前に亡くなった母の誕生日があって、ちょうど今の私の歳と同じで、どちらかというとそっちの方が年月を感じさせてくれた。

朝日新聞で書かれていたが、昭和から平成のときは逝去を待っての改元だったので、改元前は天皇の病状の報道で暗くはりつめた雰囲気が漂い、巷のいろいろな行事などが、いかにも日本社会らしく、自粛に「追いこまれ?」たりした。

それに比べると今回はシンプルなお祝いの雰囲気で、まさにまた正月が来たような感じでほほえましい。平成天皇のご英断はよかったのだと思う。

まあ新天皇はわたしより年下なので、令和の最後まではおつきあいできないかもしれないが、今回の改元が、前回の改元後まもなく始まったバブルの崩壊のために、経済的に(今の時代だとつまりはほぼ全体的に)基調音が暗く、ついにそこから抜け出せないままだった平成から、もう少し明るい時代に変わるきっかけになってほしいと心から願っています。

2019年 明けまして

2019年 明けましておめでとうございます

写真は一枚もとってこなかったが、昨日、今年最初の日は名古屋に行ってきた。今年は帰省する息子に加え娘夫婦も来るというので、多少いつもより正月の準備も手厚かったが、残念ながら娘が風邪をひいてあきらめざるをえなくなり、それならと、おせちや尾かしらつきのタイまで持って、急遽ここっちから名古屋の娘夫婦の住まいまで出向くことにしたのだった。

まあそんなに娘の風邪もひどくなく、ほぼ回復してきていたので、みんなで軽くおとそも楽しんでから、有名な熱田神宮へ初詣に行ってきた。大事をとって娘は来なかったが、すさまじいくらいの人出で、出てこなくてよかったと思った次第。わざわざつきあってくれたご主人には感謝。

今日は年賀状の補足を書きに出てきたが、急いで書いた大晦日の記事に少し手をいれてからこれを書いている。寒さもきつすぎず天候も晴天で、とりあえずおだやかな正月のすべりだしとなった。まあ年の功というべきか、人間の分際で願えることの限界についてだんだん悟ってきてるいるから、いまやおだやかな年の初めだけでもありがたいと思う。

本年がきっとよい年でありますよう

旭堂南龍 襲名披露会

中央電気会館2018

昨日の土曜日、北区の中央電気倶楽部であった講談会に行ってきた。

旭堂南青改め南龍の襲名、それと同時に彼の真打昇進の披露も兼ねての記念講談会。会場の中央電気倶楽部は、写真で見るように文化財として保存の声も上がるような、いわゆる「近代の洋風建築」として、名前のほかにも小さな写真では知っていたが行くのは初めて。

と言っても建物に魅かれて行ったわけではなく、奈良の催しで近年数回、とても面白く聴かせてもらっている旭堂南左衛門さんの一番弟子が南青さんであり、もちろん師匠も出られるので行ってみようと思った次第。ただチラシで見ると、講談師の名前が本人のほかに7名も並んでいて、あまりに盛りだくさんすぎるようにも思え、今まで講談だけの会など行ったこともないから、正直、多少不安な気持ちもかかえながら出向いた。

開演前に前講といって、若い人が携帯電話のことなど聴講の注意点などを話しに出てきて、そのあと自分も一席(なかなかうまかった)。本式に始まってからはまず3席あって15分の休憩をはさみさらに3席。後半の初めが知っている南左衛門さんで、冒頭に、実は自分が同じような披露会をしてもらってから31年、もう一人3年ほどあとにあったが、関西ではそれ以来27年ぶりの襲名真打披露の会なのですと説明があった。

会場は最上階(5階)の大広間。天井が低めの体育館のようなスケールで、重厚な木製化粧格子のアーチ型天井をもった造りになっている。人数は概算でも数えなかったから分からないがまったくの満席で、少なくとも500人はいたかという盛況だった。

南龍さんのほかに講談師7名と書いたが、そのうちに東京の講談師が3名。みなさん有名な師匠だそうだが、大阪勢と比べるとかなりご高齢ではあり、声の張りと滑舌が弱く多少聞き取りにくいところもあった。でもある師匠が言われていたが東京では講談師の数は60名弱で、その中で女性が半分以上というのには驚いた。数は少ない大阪でも1/3くらいが女性だそうで、両方足すとほぼ半々くらいになる。

講談6席が終わってまた休憩。南左衛門さんが、今日は3時間半くらいはかかると思うので歌舞伎を見にきたつもりでいてくださいね。絶対途中で帰らないでと言うのを聞いていたし、まあ腹はくくっていたが、それぞれなかなか面白かったし、帰ろうと思うどころか十分楽しい時間を過ごさせていただいた。

二回目の休憩前に幕が下りていて、幕が上がると南龍さんを中央に演者全員が舞台にずらりと並んで座っていて口上の場。東京の師匠方から始まり全員から次々にお祝いの口上が述べられ、合間の拍手が幾度も重なり熱気も高まってにぎやかな時間だった。

一度幕が下りて、いよいよ最後。

幕が上がると今日の真打である南龍さんの口演。お題は赤穂浪士の外伝、直助のお話。私は彼の講談を聴くのは初めてだが、緊張の前振りから始まって大団円の最後まで、観衆の視線と感情を真正面から受けとめて、若いながら気迫のこもった見事な舞台だった。講談というものを堪能させていただいたように思う。

会場席で、奈良で講談や落語を合わせた酒の会をやっておられるN氏の顔を家内がお見かけし、終演後帰りぎわの立ち話で、今日の南龍さん(南青)がその会で14年前に初めて講談を披露されたというのを知ったが、そのころから彼は精進の度合いがほかの人たちとはまったく違ったよと、べた褒めされていたのが印象的だった。

まあ行く前はそんなに大層な会だとは夢思わなかったが終わってみると4時間を超えていて、27年ぶりの会でもあるし、東京大阪の交流のなか講談界の行く末に、南龍さんにかけられた期待の大きさがひしひしと伝わってくるような、応援に励ましと熱気にあふれたすばらしい会だったと思う。自分にとってはたまたまかもしれないが、こういう濃密な時間に同席させていただけたことに感謝したいと思うし、彼のこれからのご活躍を心から祈念したいと思います。