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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

確認申請

ようやく確認申請が下りた。出したのが8月7日だったので二ヶ月近くかかったことになる。コンクリート構造なので正規の構造計算書もあったが、単なる住宅でこれほどまでかかるとは、はっきり言って予想していなかった。まあ巷のうわさなどを聞いていると、これでも早いのかもしれないが、日数はともかく、後での変更が一切できないというのはあまりに乱暴な話しで、現場を知らないお役人のその場しのぎのご都合主義の結果だとすれば、正直言って本当に怒りを覚える。

今回も民間の確認申請機関に頼んだのだが、そこもすさまじい状態で、完全に処理能力の限界を超えているような状況だと感じた。姉歯問題は確かに今までの確認申請について何らか見直すべききっかけではあったと思うが、その結果、いたずらにチェック項目のみを拡大し、民間参入後せっかく余裕ができたはずの、実際にチェックする業務能力さえ麻痺させるような事態を招いたのは一体どういうつもりなのだろうか。さらにチェック機構を拡大すればよいと言うのだとすれば、極論だがあえて言えば、それでは北朝鮮にも似た「警察国家」つまりは一種の全体主義の方向ではないか。そこには独裁者はいないが、かわりに同じくらい恐ろしい「正義」というやっかいな存在がいる。

「真・善・美」という古来の三大価値に「正義」が入っていないのは、やはりそれがどこか曖昧で擬似的な価値だからだと思う。「正真正銘」という顔はしているが、一種の「できそこない」で、時と場合によっていろんな衣をまとって出現するが、混ざってしまった不純物の性質によっては、本当に目を覆いたくなるような惨劇を招いてきたというのが歴史の教えてくれるところだ。

まあともかく、青白い頬をした「正義」にすがりつき、国交省の手下を増やすことばかりに熱中しているようでは、「客観的」に扱えないような肝心の日本の建築文化などはどう考えてもらっているのか、はなはだ心もとないように思う

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改正建築基準法

改正建築基準法が先月20日に施行された。このところ業界のメールニュースなどでもその話題でかしましい。毎年少しずつ部分的な改正はされているが、今度のは姉歯事件がきっかけとなったもので、ほぼ全ての新築建物に義務づけられている確認申請の手続きが大きく変った。だからその影響は格段に大きいのだ。

姉歯事件は構造計算書の偽装という問題だったので、構造関係は変って当然だろうと思っていたが、それ以外の内容についてもチェック項目が大幅に増えた。国交省のページからチェックリストをダウンロードして目を通してみたが、わたしもちょっと唖然としてしまったくらい。また今まで使っていた民間の確認検査機構も手数料が一気に3倍以上にはね上がり、他では、様子をみようと一時休業したところまで出ている始末だ。

ただし、すでに構造計算を二重に検査するための第三者の構造チェック機関も作られたようだが、理想論だけで必要な人材がほとんど集まらず、当初のもくろみからはかなりトーンダウンしてしまったように、いずれ揺り戻しが来て、落ち着くべきところへ落ち着いていくのだとは思う。でもとりあえず目下の仕事はあるので、一瞬頭をかかえこんでしまったような次第。

まあこちらの場合は住宅で、構造も第三者機関のチェックまで必要になるようなものではないので、手間と書類量がかなり増えてもそう大したことではない。だが不特定多数が使用するマンションやビルなどでは、構造以外にも防火や耐火基準、避難規定など膨大なチェック項目について、その全てをいちいち表現してクリアしていかなければならず、この顛末は一体どうなっていくのだろうか興味しんしんというところだ。

ただし、姉歯氏のおかげで人間性悪説を前提としたような体制をめざしたのだとすれば、率直に言ってこれでもまだまだまったく甘いと言うほかないだろう。だからこれからは時間をかけて違う観点からの議論も始めていってほしいと願う。それはおそらく人間の「心」の問題で、当面の問題としては「倫理」や「倫理感」というところだろうが、そんなものは当てにならないと議論を避けてしまうような悪しき客観主義を脱することができないかぎり、慣習的倫理がほぼ滅びようとしているこの時代において、立法者たる資格はないのだろうと思う。

建築家の倫理:姉歯問題から-11

さて、このあたり調べて書いていないのでいいかげんだが、そういう近代的自我の確立とProfessionの確立とは並行したというかたぶん連動したできごとであったのではないだろうかと思う。

そしてここからは批判覚悟で書くが、Professionとはそういう近代的で独立した個人に対して、何かを「預る」、例えば医師ならば「命」だろうし、弁護士ならば「倫理(あるいは「権利」が正解か)」ということになるかもしれないが、いずれにせよクライアントからすれば「信頼してまかせる」、受けるほうは「預らせていただく」というような、根本をみすえると契約書には言葉で書きようもない、本当に重大な委託の契約が暗黙のうちに存在してしまうような職務なのではないだろうか。そしてまた確かにそういう前提がなければ十分には遂行できないような職務だといってもよいだろう。

どうやらProfessionとして特別に区別される理由はこのあたりにこそあるわけで、これはその責任の重さとなると明らかに人間の背負える範囲をはるかに超えてしまっていると思う。だからProfessionという言葉の意味するのは、それを職務とする者には、神に誓って責任を大きく分担してもらうことで、ようやくその職務に対して自由にふるまえるほどの深く重い責任があり、それに対する十全な理解が必要なのだということではないだろうか。

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何とか多少は結論じみたところへたどりつけたようでほっとしている。正月休みも明けて、今日からはまた仕事に追われる日々に戻るわけで、何とかぎりぎり間に合ったようだ。実はこの最後の部分は昨日ようやく考えついたばかり。それまでは話をどう着地させるか正直かなり気をもんでいたのだった。「細かいところをほじくるだけ」と書いたところで、意外にも大きな魚を釣り上げたのかどうか。資料を積み上げて書いたわけでもなく、走り書きのスケッチとしか言いようがないものだ。とくに最後の方は舌足らずで思いつきの羅列、宿題だらけになってしまった。これからは自分が牛になったつもりで反芻しながら考えていくことにさせてもらい、この問題についてはとりあえずここで一度おきたいと思う。

建築家の倫理:姉歯問題から-10

ただ、やっかいなのはそこに書かれた「禁欲的合理主義」はいかにも強力で鮮やかだが、残念ながらその前に一応「神」をおかないと成り立たないということだ。そしてそれはもちろん八百万の神ではなくて砂漠出身のかなり孤独な姿をした「神」で、われわれ日本人などはそのままではまったく「救済」の対象にもならないらしい。

M・ウェーバーの本を読んだときに思ったのは、そういう西洋の思想がまだ入らない江戸時代の商人たちのことで、すでに成熟した形の近代的資本主義が日本にはあったとも言われる。当時はやった浄瑠璃などといってもまったく知らないのでここからは司馬遼太郎氏の本からの受売りでしかないが、近松のある心中物で主人公が、結局だまされることになる商売の同僚に対して「あいつも男をみがく奴」ともらすそのつぶやきを、当時存在した倫理の一つの証言のように司馬氏が語っていたのを覚えている。彼らが当時みがきにみがいた「男」とは、一体何だったんだろうか。

近代的資本主義と呼ばれるような経済システムが、都市に集まってきた余剰人口を塩でもむようにして洗いだし、集団の一部から意志と責任を持った個人へとみがきたて、きたえたというような過程は、西洋の厳格な神様なしでも確かに日本にはあったのだと思う。

(まあここで孤独な神の代わりに孔子を持ち出してもよいが、ほとんど議論にならず何より論理的な純度と厳しさでははるかにかなわないだろう。論語では「両端をたたいてつくす」というのが、大学時代に読んで今も時々思い出す章句だが(吉川幸次郎氏の読み)、そういう議論の極端をいましめるような節度はわたしも何とか最後まで保ちたいと思う。) ・・・続く

姉歯建築士-9

少し範囲を広げてみる。建築家も含めたProfession(職能)のところに戻ると、建築家をProfession(職能)の一つであるとした理由というか、そうなった資格のようなものが考えられるかもしれない。たとえばエリートとしての衿持のようなものの中に何か出てこないだろうかということだ。細かいところをほじくるだけのような気もするが、倫理一般となるともちろん私の手にはおえないわけで、また「建築家の倫理」というからには、一応建築家として(すでにProfessionまでは後退したが)独自のものが何かないのか一度は考えておきたいと思う。

ここでしばらく余談をはさみたい。
数年前にマックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をようやく読んだ。若いときからいつか読みたいと思った本の一つだった。ただ、キリスト教となると日本的無神論者の私にとっては、プロテスタントとカトリックの違いくらいはいくらか見当つくが、プロテスタンティズムやカルヴィン主義などと言われても、高校の世界史で学んだレベルをあまり越えない知識しかない。禁欲的合理主義というのが多分その核心の価値観だが、まあ「価値観」として確かに自分も認めてみればそのまま「倫理」の一種ともなるようだ。

(余談にさらに余談をはさむ。これを書きかけてから、まだ事務所にあったその岩波文庫を手に取るとちょうどその横に同じ岩波文庫のアインシュタイン「相対性理論」があった。思えばこれを買ったときには大いに興奮して、この思想が自分のところへ届くのに100年近くかかったのだと日記にしるした覚えがある(まあ読後さっぱり分からなかったが)。本の表題の裏ページに1905の文字があり、そういえばとM・ウェーバーのを見ると1904-1905に執筆とある。2006年の冒頭なので書いておきたいと思うが、どちらも20世紀のしょっぱなのほぼ同じときに出て、いわばその世紀の決定的な書物にもなったわけで、いまや21世紀の冒頭にいる私としてはきっとまた今も、さらに新たな幕開けが始まっているのだろうと信じる気分になった次第。そしてまたわれわれの子供たちの活躍にも期待したい。) ・・・続く