
今日は今年の読書について。
一番に書きたいと思うのは、少し古いイギリス人旅行家と言っていいと思いますが、イザベル・バード女史のこと。1878年というから明治11年、まだ維新後まもなくのときに日本に来て、日本語などほとんど分からないまま女性一人で、しかもそんなには英語を知らないと思える日本の青年ひとりを伴なって、東京から日光をかわきりに、北海道のアイヌ部落まで旅行しています。
少し前にNHKの番組で彼女のことが少し出てきていたので知っており、梅雨の時期でしたか、ブックオフで彼女の本が出ていたのを見て、読んでみようと思ったのでした。ただその時は「日本紀行」は厚い上下2冊版だったのでやめ、どんな文章を書くのか分からなかったので、脇にあった1冊の「朝鮮紀行」の方を買うことにしました。
さっそく読んでみると、ソウルを東に出て旅をする、なかなか上質の紀行文で、これならと思い、その本は3分の1ほどで一旦やめて、あらためて「日本紀行」を買ってきて読みました。前半が上に書いた東北から北海道への旅の紀行文で、自分があまり行ったことのないところが多いこともあって、グーグルマップを見ながらとても面白く読みました。
中では、子どもたちを、どこでもとても大事にしてかわいがる日本の人たちについて、彼女がすごく印象的に思っているのが、私にとっては逆にとても印象的でした。あと、まだ開国後そんなに経たないのに、日光や新潟、秋田や函館にもすでに白人たちが何人も来ていたのにも驚きました。
後半は関西での旅行記(神戸から大阪、京都。そして奈良を経て伊勢へ)ですが、建物として彼女にとくに印象的だったのは長谷寺くらいのようで、日本的な詫びさびなどは、ほとんど分からなかったというか、分かろうともしなかったようです。
さて、ここまでの内容でしたら、ここに書こうとまで思わなかったかもしれません。日本紀行を読み終えたあと、また朝鮮紀行に戻ったのですが、上に書いた最初の旅行からソウルに戻ってからの部分でしたが、そこからは突如として紀行文のような枠をはるかに超えるたくさんの物事が起こったのでした。その前半や日本紀行での文章とはまったく違う、歴史的記録と言ってもいいような内容になっていたのです。
日本での彼女は、白人とは言えたんなるイギリス人の旅行者に過ぎなかったと思いますが、朝鮮では、滅びつつある李朝の王族や高級官僚とも深く接しており、ちょうど日清戦争が起こって朝鮮も戦乱の渦中になったりして、なまなましい歴史資料と言ってもいいような内容になっています。
とくに日本人が大きく関わった乙未事変(いつびじへん)については、私自身はまったく知らなかったので、本当に驚きながら読んだ次第です。これについては簡単に書ける問題ではないので、興味があれば上の言葉で検索してみてください。
ただ日本では、このような王族の表立っての暗殺などは歴史上あまりなかったように思います。((でも今思い出しましたが、645年の乙巳の変(いっしのへん)がありましたね。またそういえば鎌倉や室町のときにもいろいろありました。))でもここに書くのはちょっと不都合かもしれませんし、わたし自身はあまり読んだり見たこともないのですが、韓流のドラマが頭をよぎったりしました。
長くなりました。今日はこの辺で
一番に書きたいと思うのは、少し古いイギリス人旅行家と言っていいと思いますが、イザベル・バード女史のこと。1878年というから明治11年、まだ維新後まもなくのときに日本に来て、日本語などほとんど分からないまま女性一人で、しかもそんなには英語を知らないと思える日本の青年ひとりを伴なって、東京から日光をかわきりに、北海道のアイヌ部落まで旅行しています。
少し前にNHKの番組で彼女のことが少し出てきていたので知っており、梅雨の時期でしたか、ブックオフで彼女の本が出ていたのを見て、読んでみようと思ったのでした。ただその時は「日本紀行」は厚い上下2冊版だったのでやめ、どんな文章を書くのか分からなかったので、脇にあった1冊の「朝鮮紀行」の方を買うことにしました。
さっそく読んでみると、ソウルを東に出て旅をする、なかなか上質の紀行文で、これならと思い、その本は3分の1ほどで一旦やめて、あらためて「日本紀行」を買ってきて読みました。前半が上に書いた東北から北海道への旅の紀行文で、自分があまり行ったことのないところが多いこともあって、グーグルマップを見ながらとても面白く読みました。
中では、子どもたちを、どこでもとても大事にしてかわいがる日本の人たちについて、彼女がすごく印象的に思っているのが、私にとっては逆にとても印象的でした。あと、まだ開国後そんなに経たないのに、日光や新潟、秋田や函館にもすでに白人たちが何人も来ていたのにも驚きました。
後半は関西での旅行記(神戸から大阪、京都。そして奈良を経て伊勢へ)ですが、建物として彼女にとくに印象的だったのは長谷寺くらいのようで、日本的な詫びさびなどは、ほとんど分からなかったというか、分かろうともしなかったようです。
さて、ここまでの内容でしたら、ここに書こうとまで思わなかったかもしれません。日本紀行を読み終えたあと、また朝鮮紀行に戻ったのですが、上に書いた最初の旅行からソウルに戻ってからの部分でしたが、そこからは突如として紀行文のような枠をはるかに超えるたくさんの物事が起こったのでした。その前半や日本紀行での文章とはまったく違う、歴史的記録と言ってもいいような内容になっていたのです。
日本での彼女は、白人とは言えたんなるイギリス人の旅行者に過ぎなかったと思いますが、朝鮮では、滅びつつある李朝の王族や高級官僚とも深く接しており、ちょうど日清戦争が起こって朝鮮も戦乱の渦中になったりして、なまなましい歴史資料と言ってもいいような内容になっています。
とくに日本人が大きく関わった乙未事変(いつびじへん)については、私自身はまったく知らなかったので、本当に驚きながら読んだ次第です。これについては簡単に書ける問題ではないので、興味があれば上の言葉で検索してみてください。
ただ日本では、このような王族の表立っての暗殺などは歴史上あまりなかったように思います。((でも今思い出しましたが、645年の乙巳の変(いっしのへん)がありましたね。またそういえば鎌倉や室町のときにもいろいろありました。))でもここに書くのはちょっと不都合かもしれませんし、わたし自身はあまり読んだり見たこともないのですが、韓流のドラマが頭をよぎったりしました。
長くなりました。今日はこの辺で
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