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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

2021年末 その2

今日は今年の読書について。

一番に書きたいと思うのは、少し古いイギリス人旅行家と言っていいと思いますが、イザベル・バード女史のこと。1878年というから明治11年、まだ維新後まもなくのときに日本に来て、日本語などほとんど分からないまま女性一人で、しかもそんなには英語を知らないと思える日本の青年ひとりを伴なって、東京から日光をかわきりに、北海道のアイヌ部落まで旅行しています。

少し前にNHKの番組で彼女のことが少し出てきていたので知っており、梅雨の時期でしたか、ブックオフで彼女の本が出ていたのを見て、読んでみようと思ったのでした。ただその時は「日本紀行」は厚い上下2冊版だったのでやめ、どんな文章を書くのか分からなかったので、脇にあった1冊の「朝鮮紀行」の方を買うことにしました。

さっそく読んでみると、ソウルを東に出て旅をする、なかなか上質の紀行文で、これならと思い、その本は3分の1ほどで一旦やめて、あらためて「日本紀行」を買ってきて読みました。前半が上に書いた東北から北海道への旅の紀行文で、自分があまり行ったことのないところが多いこともあって、グーグルマップを見ながらとても面白く読みました。

中では、子どもたちを、どこでもとても大事にしてかわいがる日本の人たちについて、彼女がすごく印象的に思っているのが、私にとっては逆にとても印象的でした。あと、まだ開国後そんなに経たないのに、日光や新潟、秋田や函館にもすでに白人たちが何人も来ていたのにも驚きました。

後半は関西での旅行記(神戸から大阪、京都。そして奈良を経て伊勢へ)ですが、建物として彼女にとくに印象的だったのは長谷寺くらいのようで、日本的な詫びさびなどは、ほとんど分からなかったというか、分かろうともしなかったようです。

さて、ここまでの内容でしたら、ここに書こうとまで思わなかったかもしれません。日本紀行を読み終えたあと、また朝鮮紀行に戻ったのですが、上に書いた最初の旅行からソウルに戻ってからの部分でしたが、そこからは突如として紀行文のような枠をはるかに超えるたくさんの物事が起こったのでした。その前半や日本紀行での文章とはまったく違う、歴史的記録と言ってもいいような内容になっていたのです。

日本での彼女は、白人とは言えたんなるイギリス人の旅行者に過ぎなかったと思いますが、朝鮮では、滅びつつある李朝の王族や高級官僚とも深く接しており、ちょうど日清戦争が起こって朝鮮も戦乱の渦中になったりして、なまなましい歴史資料と言ってもいいような内容になっています。

とくに日本人が大きく関わった乙未事変(いつびじへん)については、私自身はまったく知らなかったので、本当に驚きながら読んだ次第です。これについては簡単に書ける問題ではないので、興味があれば上の言葉で検索してみてください。

ただ日本では、このような王族の表立っての暗殺などは歴史上あまりなかったように思います。((でも今思い出しましたが、645年の乙巳の変(いっしのへん)がありましたね。またそういえば鎌倉や室町のときにもいろいろありました。))でもここに書くのはちょっと不都合かもしれませんし、わたし自身はあまり読んだり見たこともないのですが、韓流のドラマが頭をよぎったりしました。

長くなりました。今日はこの辺で

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マーワラーアンナフル

「マーワラーアンナフル」と言っても知っている人は少ないと思う。まあこの前書いた「中央ユーラシア史」の本を読むまではわたし自身もまったく知らなかった。アラビア語の地域名称で「河の向こう」というような意味だそうだ。中央アジアのサマルカンドというと名前くらいは知っている人も多いと思うが、パミール高原に発してサマルカンドの南を走り徐々に西北に流れて最後はアラル海に達するアム川というのがその「河」になる。もう一本やはりパミール高原に発するシル川というのが北にあって、この両河にはさまれた地域の名称のようだ。そこはある時期、イスラム文化が華麗に花開いた中心地のひとつだった。

この二つの河は、前回書いた井上靖氏の本でも出てきて、敬称とも愛称ともつかぬ感じで、川ごと現地名で「アムダリヤ・シルダリヤ」と呼んでおられたが、それだけ中央アジア史において何回も光をあびた、重要な河と地域だったということだろうと思う。

アラビア語だから多分8世紀以降、イスラム教の布教後の呼称になるだろうが、あたりの地名と音の響きがまったく違い、なんともやさしく上品な感じがして、本で最初に出てきたときには違和感があったが、しばらくしてから心になじみ、深く印象に残る地名になった。

実はこの前書いてからすぐに書こうと思ったのだが、仕事が忙しくなってそのままになってしまっていた。山川の世界の歴史は、そのあと「中国史」を読み、いまは「西アジア史Ⅰ アラブ」というのを読んでいて、当然7世紀以降はイスラムが主役になり、数回「マーワラーアンナフル」も出てきたものの担当地域外だからあまり関係なかった、でもⅡの方はトルコ、イランで、あそこはイランに連なる地域なので、そちらが楽しみだ。またⅠではそれほど言及のなかった千一夜物語や、イブン・バットゥータの大旅行記の話しなど、イスラム文化の盛雅の叙述が読めるのではないかと期待している。

東南アジア史のこと

昨日新しい年号が決まった。平成も今月一杯だそうだ。

さて先週末の記事で山川の東南アジア史について面白かったと書いたが、それだけではあまりにそっけないので少し補足を。

山川出版の世界の歴史のシリーズを読んできているのは、歴史を知ることに興味があるのはもちろんだが、地理についても同時に深く理解できることになるのが理由として大きい。ただ、それにはグーグルマップという現在の便利な道具の存在も非常に大きいが。

でも書いたように東南アジア史について最初あまり期待していなかったのは、文字の歴史がそれほど古くなさそうで、つまり少し古い時代のことになるとよく分からないだろうと思ったからだ。たしかにそれはある程度その通りだったが、この本の対象の大陸部東南アジアについてはとくに、多くの個性豊かで異なる民族の移動や盛衰、興亡などが物理的な地形の制約の上で、目まぐるしく華麗に展開していて百花繚乱と言いたいくらい。

そしてその結果として今の国境線に収まっているわけだが、今までほとんど知らなかった現地の山脈の山ひだや大河の走る平野など、細かく地形図を見ながら、時代に合わせて動いていく出来事の展開や連鎖をたどっていくというのはなかなか楽しい作業だった。

対象国の個性や歴史も地形が把握できてくると、初めて、そしてしばらくするとさらにいっそうよく理解できるようになっていった。そういう意味では世界の屋根であるヒマラヤ山脈の尾の部分がひしめき合いながらうねるように南東の海へなだれこんでいく複雑で動的な地形が、出来事の舞台として独特の景色をかもし出していて、とても面白く思ったのだ。

あと古くから、やはり中国との交流が濃厚で、それもベトナムでも川を深くさか登って四川盆地までつながる道が古くから重要なルートとしてあり、インドのとなりのビルマ(ミャンマー)でさえ、山脈を越えてしっかり中国とつながっていたことを知ったのは目からウロコだった。

また数年前に娘の見てきたアンコールワットは、自分もいつか目に納めてみたいと思った次第

平成も終わり

まもなく3月が終わろうとしている。あさって新年号の発表らしいので、平成も終わるということになる。

さてこのブログも1ヶ月に1回のペースになってきたが、今月は、10月に上がる予定の消費税のおかげで、かけこみ契約に向けての作業に追われ、いろいろあわただしくここを開く余裕もなかった。これは、3月中に結んだ請負工事契約は、10月以降、あるいは来年の竣工でも消費税は8%という特例があってのことだ。実施設計を詳細に詰めている余裕までとてもないので、基本設計図をもとに概算工事費をはじいてもらっての工事契約だ。

だから仕事以外となると読書が主で、それを書いておこう。まずは司馬遼太郎氏の「功名ヶ辻」。文庫本で4冊。初代土佐藩主になる山内伊右衛門とその妻が主人公の物語。時代柄、どうしても男の方の情報ばかりで物語の主役にはなるが、奥さんの方に司馬氏の力点はあったのだろうと思う。有名な?嫁入りの持参金で名馬を買ったというエピソードは、最近よく聴くようになった講談の話しでも出てきた。

次に、山川出版の「東南アジア史Ⅰ」。ⅠだからⅡもあって、Iは大陸部でⅡは島嶼部。Ⅰでとりあげられているのはベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ビルマ(ミャンマー)。図書館に山川の「世界の歴史」シリーズがあって、私の生まれてころに出た旧版からずっと続いて読んできているので借りてきたが、今まであまり興味のなかった東南アジアというのであまり期待していなかった。でも読んでみるとなかなか面白くて、これはうれしい誤算だった。

あとは、ドナルド・キーン氏の「日本文学の歴史」 第8、9巻。時代的には江戸時代の最後まで。西鶴、近松と元禄時代の続きがあって、上田秋声から歌舞伎、国学で荷田春満、賀茂真淵から本居宣長、。俳句では与謝蕪村、炭太祇など。幕末期の和歌で良寛さんをあまり評価されていなかったのが印象的。一茶の扱いも多少冷淡だったか。あと幕末の漢詩で頼三陽のことは目からうろこだったが、キーン氏が漢詩の評価までしっかりされているのには驚嘆した。

山東京伝は大きい取り扱いだったが、彼が手を入れて出版にこぎつけた「北越雪譜」について言及がなかったのは残念だった。今だにベストセラーと言ってもいいと思うのだが「文学的」には評価を得られなかったのだろう。

ドナルド・キーンさん逝去

昨日、ドナルド・キーン氏が亡くなった。

もちろんかなりのご高齢なのは知っていたが、やはり実際に訃報を聞くことになると、ショックが大きい。とくに昨秋から氏の書かれた「日本文学の歴史」をずっと読んできているので、本当にびっくりした。全18巻にわたる大著だが、先週半ばに第7巻を読了したところだ。そのかなりの部分を占める芭蕉に関する叙述がすばらしく、感動していたこともあってよけいに衝撃が大きかった。

まあ、「日本文学の歴史」なんてたいそうなタイトルの本は、日本人だってそうは書けないだろうし、書こうとする人もいないんじゃないかと思う。大勢で分担してというようなのなら今までにもいくつかあったと思うが、それをなんと外国生まれの白人が一人で書き通されたというのは、数巻読んだあたりから、意識に明瞭に浮かび上がってきた驚嘆だった。

とにかく一人の個人の著作ということは、現代までの歴史上に存在した日本文学「全て」に対して、一つの「標準」にそった評価が下されているという、ある意味では本当に信じがたいような状景がその中に繰り広げられているということになるわけで、そのことに気がついたときには、あきれるような思いとともに深いため息が出た。

そしてそのすぐあとに思ったことは、何とすばらしい人をわれわれは外国の友人として持てたのだろう!!追想ニュースで「自分が好きでやってきたことなのだからほめられる筋合いではありません」というようなことを話されていたが、氏が日本を好きになってくれたこと自体が神様の導きとおっしゃるなら、神様に深く感謝します。日本人は昨日、本当に得がたい人を失った。

ご冥福を心から祈ります