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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

「近代日本の作家たち」

武庫川女子大学の黒田智子先生から、出したばかりの本を送っていただいた。「近代日本の作家たち」という表題で「建築をめぐる空間表現」という副題が添えられている。1月30日発行で京都の学芸出版社から。簡単な紹介は出版社のホームページの新刊情報に載っていて(今のところ)クリックしていくと序文や目次まで見ることができるようになっています。建築デザインの世界に少しでも興味のある方はぜひ一度ご覧になってみて下さい。

学生や初心者の水先案内の本としては格好の書物だと思います。また少し知識のある人でも、さらに踏み込んでいくためのMAPとしてかなり読み応えがあるでしょう。実は黒田先生とは武庫川女子大での今期の演習を一緒に担当したこともあって、この本のことはお聞きしていた。そして先ほど送ったお礼のメールで読後の感想をここに書くことを約束してしまったが、これはまあ、またあらためて。

あと先日書いた「石井修の建築50年」展のことですが、コメントやトラックバックをしてくれた人のページに雑誌に載った案内が転載されていました。とりあえずのことはそちらでご覧下さい。

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五七日と豊中市役所

今日は豊中市役所へ。車で送ってもらい着いたのが午後1時過ぎで、まだ昼食をとっていなかったので地階の食堂へ降りた。役所の食堂はメニューも豊富で値段も安く、よく利用させてもらう。大きなホール状の部屋に入ってみると、向こう半分がなにやら明るく、多くの人がそこに座って食事していて割り込めない感じ。
豊中市役所-2

あとで行ってみると天井も吹抜けのように高く、デッキグラスのトップライトになっている。デッキグラスとは水平の鋳鉄製の枠にガラスブロックをはめ込んだもので、その上部は歩けるようになっている。昔からあるがいわば光の床だ。明るくてなかなかすてきな空間になっていた。

でも印象的だったのは、まだ離れて天井の低いところで食事していたときに思ったことで、明るいだけでなくどこか光の質が違う。こちらの低い天井には蛍光灯で向こうは白熱球型の照明だが、それだけの理由ではないように思った。今からかみくだいて言葉にしてみると、上から降ってくる光は波長の巾がはるかに広いというか、まあ暖かくて強い充実感のようなものを感じたのだ。やはり人工照明のもつ単調な光にくらべて、自然の光というのは圧倒的に豊かな彩りと迫力をもっていることをあらためて思い知らされた。
豊中市役所-1

夕方、自宅へ戻り五七日の回向をしてもらう。四十九日の満中陰は、日曜日にすることが多いそうでまた後には延ばせないので、うちも正式の3月9日ではなくて5日の日曜日にすることにした。ということで六七日は中途半端になるのでとばしますと住職からお聞きしていた。だから今日が自宅でする最後の逮夜になった。

「石井修の建築50年」展

久しぶりに一つ現場が始まったこともあり、どことなく世話しない雰囲気になってきた。終日ではないが、明日から連続で3日間外へ出る日が続く。

昨日の夕方、近くの仏壇店にいると携帯電話が鳴った。東京のレーモンド事務所をやめて大阪へ戻ってから勤めていた美建.設計事務所のチーフ真野さんからだった。真野さんは美建の先輩で、私が入る前に一旦辞められ、私が出てから再び戻られたのだが、先日お知らせFAXをいただいていた「石井修の建築50年」展のことだった。

大先輩直々の電話だし、FAXをもらってから取り込み中になったのもあって何も連絡せぬままだったと気づき、ちょっと狼狽する。用件は、4月1日から一般公開だが前日の夕方ささやかなパーティをするので来てくれますかとのこと(これもFAXに書いてあった)。

一応美建の主宰者が石井修先生なのだが、実際には先生の個人事務所と言ってもよいだろう。偶然だが私の父親ともほとんど同年輩で(半年も離れていない)、その美建の長い歴史の中でほとんど末尾にしばらく名を連ねただけの私にまで声を掛けていただけたのは光栄で、その気持ちも述べもちろん出席させていただきますと返事した。まあそのあと聞くとすでに数に入れてあったとのことで、やっぱり先輩は恐いなあとあらためて思った次第。

展覧会のことは、まだ少し日があるのでまたあらためてここに書きたいと思います。

新建築 住宅特集

昨日メールで連絡があったのだが、去年春に竣工した「菱屋の家」が雑誌に載ることになった。「新建築 住宅特集」という月刊誌で、五月号での掲載が正式に決まったとのこと。久しぶりのうれしいニュースだった。

これは建築の専門誌で、もともと「新建築」という最も古くて発行部数も一番の、日本を代表する月刊の建築誌があるのだが、その住宅部門を独立させたものだ。いまや本体をよそに、独立した月刊誌として大きな地歩を築いたと言えるが、名前が少し変かもしれない。これは昔、わたしの学生時代にはまだ本体の「新建築」誌しかなくて、年に2回をさいて「住宅特集」という号を出していたが、その名残のようだ。今や建築ブームの空気もあって建築の専門誌としては珍しく、巷の書店でもよく見かける。

ということで4月20日ごろの発売になるかと思いますが、ご興味のある方にはぜひご覧いただければ、わたしもとてもうれしく思います。

一件落着

この前書いた見積の騒動は、予想外にうまくいき、ほぼ一週間で無事落着。当初の金額が全社高止まりで、そこから3割以上も落とさなくてはならず、規模も小さいので一時はどうなるかと心配した。月曜日に修正項目をアナウンスし、2回目の見積を待ったが、一社が意地を見せてくれ、昨日こちらの希望金額そのままで応札してくれてホッとした次第。さらなる修正も当然しなくてはならないだろうと覚悟していたのだ。

とったのは、施主のつながりで地元不動産業の福屋工務店滋賀支店の紹介だったが、京都宇治にある三浦建設。わたしは初めてのところだが、本当にかなりの無理を承知でとってくれたので、感謝の気持ちはもちろん、工事監理でもその気概にこちらも全力で応えなければと今から身が引き締まる思いがする。

そしてわたしにできる恩返しとはよいものを作りあげるということしかない、これは自分でこの仕事を始めてから今までやってきてつくづく思うことだ。

あと、他に2、3社の参加をあおいだが、今回は一回目で降りる業者はおらず、全社がかなりの労力をかけて金額の詰めに努力していただいた。とくに唯一私の紹介で入ってもらった旭工務店の長谷川社長は一回目のトップ金額をいれてくれ、それが最初のメルクマールとなったのだが、工期の短さから工事の段取りまでつけてくれながら結果としては残念なことになってしまった。またそれ以外のところも、その努力には本当に感謝するほかない。この場をかりてあらためてお礼の気持ちを表明しておきます。ありがとうございました。

ということで昨日遅くまでかかって施主への連絡もすませ、この週末は全休とした。まだ父のことでやらねばならない用事がいくつも残っているのだ。そして明日はいよいよ満中陰(関西以外の人は分かるかしら)の連絡をするつもり。

四七日

今週は住職の都合で一日早く今日、四七日をしてもらった。昨日から雨模様、でも少し暖かくなりましたねと挨拶をかわす。光が強くなったのを感じてからはもうしばらくなるが、少し気温も上がると水面下で確かに春が始まっているのを感じる。まあ「お水取り」まではまだまだ寒い日もあるだろう。

昨夜、事務所の入っているビルを出るときにも小雨が降っていた。夜間用の裏口の前は公園で、空一面の低い雲に都会のネオンが反射した濃いグレーの空を背景にして公園のケヤキだろうか黒々と湿った姿で立っているのが目に入った。あたりのほの暖かい空気と湿った風、そのなまめかしさに思わずはっとさせられた。今年もまた・・春は来ぬ。

ひろ作

一昨日の土曜日は久しぶりに京都方面へ。夜はいつもの先斗町のひろ作へ。この前も少し聞いたが、手術したものの豆ひで姉さんの病状がよくないようで、せっちゃんもあまり元気がない。わたしも父のことを話した。しばし沈黙。

ただ週末だし、店には若い人も多くて賑やかだった。最近の常連の人たちのようで、常磐津や長唄のような伝統芸能に興味があるらしく話が盛り上がっている。S君は二十歳代なのに羽織姿で決めていて横浜出身だから東京弁でギャグを多発し、まるで落語やなと茶化したら、今度はしばらく落語の話題で盛り上がった。わたしは「芝浜」や好きな三遊亭円楽、桂枝雀などのことを話す。あとで名刺をもらうとNHKのディレクターで驚いたが、伝統芸能が好きでNHKに入ったとのことで、実際に修行も積んでいるそう。そういえば、ここの2階を借りて時々常磐津などの稽古をつけている師匠もいた。まあこういう若い人が出てくるのはとても頼もしいことだ。

ここは多分読んでもらえないだろうが一応書いておくと、そのとき度忘れして名前が出てこなかった画家の名前は安野光雅氏。彼の編集した講談社の「心に残るはなし」という本で初めて「芝浜」を読んだのだ。今思い返してもこれは本当に絶品だった。

三七日も

昨日三七日も終わった。どんな出来事も少しずつ時間のほこりが積もっていく。でもまだ目の奥に疲れが残っているような感じで、なかなかとれない。

仕事の方は、フタをあけた見積りが大幅に不調でちょっとした騒動。改修工事で規模も小さく、学習塾なのでエアコンと電気工事で予想外にかかったのもある。この規模の工事は慣れていないのもあるが、読みにくい。まあお金の苦労はこういう局面では大なり小なりほとんど常にあるわけで、いつものようにまたしばらくは修羅場に踏み込んでいかなければならないということだ。

一年点検

今日は朝から近鉄電車で奈良へ。二軒のお家の一年点検だった。ともにほぼ一年ぶりの訪問になるが、どんな様子になっているか一抹の不安と楽しみな思いが交錯する。

一軒は奈良市内の「法蓮の家」で木造の2階建て。手伝ってくれたU君は先に来て、奥さんに説明を始めていた。小学生がお二人と高校生の娘さんがいるが、子供室も含め、とてもきれいに使ってもらっていてうれしくなる。クロスの手直しが何箇所か出たのみ。工事をしたコア建築工房の加留さんが帰ってから、しばらく外へ出てU君も交えて植木の話をする。目隠しに植えたプリペットに虫がついたらしい。

次は、U君の車に乗せてもらって生駒の「旭ヶ丘の家」へ向かう。途中軽い昼食をとり、午後1時前に到着。まだ旭工務店の田中さんは来ておらず、U君とそのスタッフのYさんが見たいというので、了解をとって一緒に中に入る。とても満足して快適に住まわれているとのことで、ホッとすると同時にまたまたうれしくなる。懸案だった寝室の机については図面を作って見積をとることにした。玄関上の部分の屋根に樋をつける見積もりも。あと建具のそりが一箇所。ここも緊急のものはなかった。

3階のリビングで景色を眺めながらお茶やお菓子をごちそうになりしばらく歓談。先月行ってこられたイエメン旅行のお話やおみやげなどを見せてもらう。数年前ご主人を亡くされた高齢のお母さんがますますお元気なのは本当に何よりだったのだが、帰り際、玄関で香典袋を押し渡されたのには驚くとともに深く恐縮してしまった。写真は玄関脇のシマトネリコと奥はエゴノキ。シマトネリコは今年の厳しい寒さのせいだろう、元気はあったが葉の色があせてしまっていて少し心配。
旭ヶ丘の家

今年の冬は

今年の冬は、本当に寒い。大阪では今朝も雪が舞った。年末の寒さが異常なくらいだったので、年が明ければ温暖化の昨今、拍子抜けの暖冬かと思っていたらとんでもない。底冷えの続く日々だ。

一昨日の土曜日は、久しぶりに税理士の奥田夫妻と夕食。先日電話をしたら、向こうも奥さんの弟さんが1月の14日に亡くなり、その週末19日に今度は同居しているお母さんが亡くなったとのことで驚いた。おまけに娘さんが大学入試でセンター試験もあり大変だった。聞いているこっちがはらはらしたくらいだ。

ということで、まあ両者奥方のねぎらいもかねて久しぶりに一献ということになった次第。喪中なので少し気がひけたが、ここしばらくなかったような楽しい夕べとなった。

二七日

先ほど自宅で二七日(にしちにち)の法要?回向?を済ませてもらったところ。今週からは仕事にもほぼ復帰して、また新たな日常が始まった。

実は家内の両親もすでになく、3人姉妹の長女なので喪主を勤めたのはこれで3回目になる。ただ今まではお義母さんやおじさんが実質上の喪主で私は単なる名目だけの存在だった。でも今回は違う。兄弟もおらず驚くほど分からないことだらけ、あまりに突然で茫然としていたこともあるが、かなりとまどった。

また今回は死亡の確認が土曜日の深夜だったこともあって、仕事先にも伏せ、私個人としてはここに書いたのがほぼ唯一の公的なアナウンスだった。それでも何人もの方々から、ここのコメントをはじめ電話や手紙などをいただき暖かい励ましを受けた。この場所を借りてあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。