

もう少し前になるが、ある建材メーカーの展示会が中央区本町の綿業会館で開かれて行ってきた。去年もここであったのだがそのとき要望とかがあったのだろう、今年は建物の見学ツアーをしてくれるというので申し込んでおいた。わたしは今までにも業界のパーティなどが開かれた機会に数回来たことはあったが、1階の玄関ホールと最上階の会場周りしか見たことがなかったので、よい機会だと思ったのだ。
設計業界におられる人なら知っている方も多いだろうが、建物の設計は渡辺節氏。竣工は戦前の1931年だそうだ。ビルの管理部門の人が説明と案内をしてくれたが、それによれば民間人の岡常夫氏(東洋紡績専務取締役ということで社長ではなかったのがすごい)の遺言で100万円の寄付を受け、関係業界からの寄付50万円を加えた150万円を基金にして建てられたとのこと。同時期、大阪城天守閣の再建を望む市民から寄せられた寄付金も同じ150万円だったそうなので目安になるが、こちら(綿業会館)は土地代も含んでいる。現在の金額だと60~70億円になるらしい。
中之島の中央公会堂も民間人の寄付で建ったが、そういう力強かった庶民の大阪がもはやまったく没落してしまっているようなのは寂しい。各部屋を見せてもらっている合間に終戦時の一帯の風景写真も見せてもらったが、あたりはまったく平坦な土地に、このビルだけが悄然と建っていた。本当によく残ったものだ。
このビルで特筆すべきはやはり1階の玄関ホールだろう。ここは前回も書いた村野藤吾氏が、大学卒業後勤めていた渡辺事務所に残した最後の華だ。これを最後に彼は独立したが、以後こういう様式建築を正面から手がけることは多分なかったと思う。学んだ早稲田大学で、現代建築につながっていくヨーロッパ分離派の新しい息吹を存分に受け、さっそうと社会に乗り出した村野氏だったが、所長の渡辺氏から「売れる建築」を求められ、苦悩しつつも伝統的な様式建築のスタイルを徹底的に身につけて、その最良の成果がここに残っているのだ。
いわゆる「村野流」というのか、確かに西欧の様式スタイルそのものだが、そこに現れている表情はいかにもやさしく上品で端正、何回行っても見ほれてしまう。こういう細部まで格調のある様式建築は、ヨーロッパでもそうはなかったように思う。見たのはもうずっと前のことなのでもはや記憶も薄いが、ひとつだけ挙げるとすればやはりブラマンテ、ローマで見たサンタ・マリア・デルラ・パーチェ教会の中庭空間だろうか。なぜか何回行っても閉まっていて、四回目くらいにようやく入ることができたたのを思い出す。
あとは、これこそ今回初めて驚かされたのが、その玄関ホール中央に据わっている岡常夫氏の銅像だった。大きさもあるが黒々としたとても立派な象で、このすばらしいホールの空間の中で、悠然とあたりを払うような景色はなかなか見事だった。みなさんも機会があればぜひ訪れてみてください。江戸時代中期以降の形式化した日本の寺院建築などは、足元にも寄せ付けないようなすばらしい建築だと思います。
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