松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

追記:音楽のたのしみ

この前のを書いてから、引き続いて今度はこれももちろん久しぶりにベートーヴェンを聞きたくなり、交響曲の七番をかけた。ショルティとシカゴの組み合わせ。これは・・・とにかく圧倒された。「七番」ではオットー・クレンぺラーのレコードが以前手元にあり、これが今でも自分にとっては最高と思っているが、今ではそんな指揮者うんぬんははるか彼方の果てで、とにかくベートーベンの作った音楽の強烈な凝縮力と推進力に、体が震え上がる思いがした。こういう経験ができただけでも久しぶりにCDを聴いたかいがあったと思った。

そういえばもちろんショルティが退いてからだったと思うが、10年以上も前にシカゴ交響楽団が大阪に来たときに聴いたことがあった。そんなに遠くなく見た覚えがあるので多分シンフォニーホールだったか。ベートーヴェンもやったかもしれないが、せいぜい八番を中間の二曲目にというくらいだったろう。確かメインはR.シュトラウスだったと思う。金管がすごいという思いこみがあったので注目したが、何と女性奏者が何人もおり、確かに演奏の迫力はすごくてそれなりに体格も十分ではあったが、何より大和なでしことのフィジカルな面でのその圧倒的な差異に瞠目させられた覚えがある。

サー・ゲオルグ・ショルティは今調べると1997年の九月に84歳で亡くなっている。実はその前にもう一人調べた人がいた。彫刻家の高田博厚氏だった。音楽について氏から本の中でいろんなことを教えてもらった覚えがあるので、クラシック音楽のことを書いていて思い出したのだ。もうはるか高齢のはずだが訃報を聞いた覚えがないので調べたのだったが、検索すると簡単に見つかり、すでに1987年六月に86歳で亡くなっておられてこれは本当にびっくりした。確か1985,6年に(レーモンド事務所を辞めて大阪へ帰ってきてからだ)自宅のステレオに流れたNHKのFMの昼過ぎのクラシック番組で、解説者として話されているのを聴いた記憶があったからだ。うかつにもそれからまもなく亡くなったことになる。私が氏の声を聞いたのは結局これが唯一の経験になったわけで、回顧展にも行けなかったのは本当に悔やまれる。

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音楽のたのしみ

今日は、進行中の基本設計の詰めをしなくてはならず、朝から事務所に出てきた。でも仕事のはかどり具合は、あまりかんばしくない。要求内容が複雑なうえに、かなりタイトで、すでに経過時間も長いので煮詰まっては来ているのだが、最後の突破口が見つからない状態。結局、悶々として一日をすごした。

気分転換にと、午後の3時ごろから久しぶりにPCでCDを聴くことにした。仕事のパソコンだし、音楽を聴きながら仕事をする習慣はないので、ふだんはスピーカーのスイッチを切ってある。手始めにかけたのはバッハの「復活祭・昇天祭のオラトリオ」。最近(といってもほとんど聴かないのでもう二年以上になるか)のお気に入り。スピーカーも音楽を聴くためのものではない安物で、まあ鳴っているだけだが、それでも楽しい。今調べると今年の復活祭は四月八日だそうで、キリスト教のことはあまり知らないわたしにとっては「春」のイメージ。今の季節だから「春にあこがれる音楽」とでも言いたいところ。実をいうと明日は、去年亡くなった父親の命日で一周忌。朝から上町台地の上のお寺に行く。まあそれでこのCDを選んだわけではまったくないけれど。

次にかけたのはヘンデルの「合奏協奏曲 作品6」。これはカラヤンとベルリンフィルの組み合わせ。三枚組だが、これも久しぶりにかけて心地よく、一気に全部聴いてしまった。

めでたさも中くらいなり

いよいよ新しい年の幕が明けた。今年も喪中欠礼だったので、寒中見舞いのはがきを書いているところ。家族の人数が一人欠け、いつにもまして静かな正月だったが、その余暇を利用して数冊の本を読んだ。

その中でもっとも印象的だったのは、藤沢周平氏の「一茶」。内容は、もちろん江戸時代の俳人小林一茶の評伝小説だが、俳句も名前も有名なわりにわたしは今までよく知らなかった人だ。俳人や歌人には笑われそうだが、同じ江戸時代の良寛和尚とイメージがごっちゃになってしまっていたのだった。でもいま調べてみると、一茶の生涯は1763年-1828年で良寛は1758年-1831年だから完全に重なっていて、ちょっと驚いた次第。また郷里も、長野県でも最北部で良寛和尚の新潟県との県境だった。

我と来て遊べや親のない雀

こういう一茶の句で何となく、子供好きだった良寛和尚のイメージと重なったのだろうが、小説を読んでみてまったくその考えをくつがえされた。貧農の長男の生まれだったが継母と合わず、半ば追い出されるように江戸に出て、こんどは自分の才能に吸いこまれるようにして俳諧師をめざしたものの、結局完全に身を立てるまでにはいたらず最後は郷里へ帰る。

寝床で読みおえるまで3、4日だったと思うが、一度途中でおいたとき、ここから藤沢氏はかの有名な「小林一茶」までどうやって引き上げていくんだろうと考えたことがあった。

そこまでがいわゆる評伝的な描写でもの足りなかったのかもしれない。また肝心の彼の俳句の引用も少なかったし、自分の不幸で世にすねていくようなところを強調する描き方だった。でも才の輝きを、彼の俳句を素通りして小説で直接書くのはぜったいに無理だろうと思ったから、ではどんな風にこのあと物語りは展開していくのかしらと考えたのだ。一茶の生涯についてはそれまでほとんど知らなかったので、もしかするとこの後よっぽどの悲劇でも用意されているのかもしれないと考えたくらいだったが・・・。まあ興味を持たれた方には直接読んでいただくとして

----- 目出度さもちう位也おらが春 -----