松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

春の奈良公園3

北円堂から興福寺

これはさっきの三重の塔から北上し、北円堂の前から東を撮ったもの。東金堂と五重の塔の向こうに山並みが見えている。実はその山並みを撮ったつもりだったのだが、やはり写真はかなり意図と違う出来栄えになってしまった。東金堂の左に見えている淡い茶色の山肌が若草山。全面が芝生で1月の山焼きでも有名だが、その左と右でかなり山の緑の色が違うのが分かってもらえるだろうか。右側は春日山の原始林で、左側のは一般の(?)山。やはりかなり植生が違うのだとあらためて思ったのだ。まあ原始林の緑の方に迫力と強さを感じたのは、単なるわたしの思い込みのせいかもしれない。

さて左手にある北円堂(写っていない)だが、この前書いた三重の塔と同じ鎌倉時代初期の再建で、この二つが興福寺で最も古い建物。今は時期を決めて開扉しているようだが、昔はあまり決まっておらず、たまに開くだけで結局私もいまだに中を見たことがない。だから普段はあまり観光客もおらず、境内でもひっそりとした一画だ。でもその中には平安や鎌倉彫刻の傑作が詰まっていて、今はそれほどでもないが、昔は何とかして一度拝観したいものだと思っていた。とくに鎌倉時代の「無著・世親立像」は、日本の写実彫刻の白眉だ。もちろん写真でしか知らないが、日本にもこういう彫刻があったのだと本当に驚かされ、私にとっては、日本の伝統建築もあらためて見直してみなければと思うきっかけとなった思い出の仏像だ。

でもこのあたりへ来ていつも思うのは、すぐ南の南円堂は西国三十三所の札所で線香の煙の絶えない盛況だが、江戸時代にそれを作った大工さんは、北円堂があるおかげでさぞ苦労したんだろうなということだ。とても美しいとはいえないものの、何とも言いようのない異様な迫力が南円堂の建築にはある。はるかに続く伝統の重圧の下で、追随するにしても反発するにしても、そう簡単にはいかないわけで、考えてみれば大変なことだったろうと思わせるのだ。

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春の奈良公園2

興福寺五重の塔

写真は興福寺五重の塔。たしか室町時代の再建だったか。日本の寺院建築は、鎌倉時代初期に重源のもたらした天竺様と、禅宗とともに入った唐様を最後に熟成期というか沈潜期に入ってしまっていて、ここも重厚さとは裏腹にどこかどんよりとした鈍さを感じる。ただ、大きさもあるしシチュエーションも抜群。威風あたりを払う感じで、南に階段を降りて猿沢の池ごしに見る姿は、奈良の代名詞のような写真の一つになっている。

興福寺ではもう一つ、これは鎌倉時代の再建だが三重の塔があり、小さいながらも気品があり、たたずまいにも凛としたところがあって昔から好きな塔の一つだ。さっきの五重の塔などとはスケールがまったく異なり、ほとんど家具と言ってもよいような感じの繊細でしかも優美な造りだ。蒸留したすがたの「日本的」とはこういうことかもしれないと、若い昔に、これを眺めながら考えたのを思い出す。

すでに時期が遅く、ほとんどの桜花は終わっていたが、ここにくると枝垂れ桜が満開で、久しぶりの再会を祝ってくれているようだった。
興福寺三重の塔

春の奈良公園

奈良博のポスト

かなり時間が経ってしまったが、この前の奈良公園のことを載せておきます。最初の写真は奈良国立博物館 新館の前にあった郵便ポスト。ちょうどいたときに配集車が来たので気がついたのだが、今までまったく意識したこともなかったのでびっくりした。まず思ったのはここは公道なのかということだった。場所は、奈良公園の中なのは確かだが博物館の新館と旧館の間のゾーン。公共空間の一部にはまちがいないが、100mほどは登大路から離れたところで、一般車は入ってこれるはずもないところだ。

次に思ったのは、誰がここを利用するのだろう、誰のために作ったのかということだった。博物館の人にはもちろん便利だが、それではあまりに受益者の数が少なすぎる。登大路沿いには民間の建物もたくさんあるが多少不便ではある。しばらく考えて思ったのは、おみやげに売っている絵葉書を買って出す観光客のためかということ。そういう需要や実績が実際にどのくらいあるのか知らないが、まあ思いつきだけに終わっているとしても、役所もたまには粋なことをするもんだと勝手に感心した次第だった。