

これはさっきの三重の塔から北上し、北円堂の前から東を撮ったもの。東金堂と五重の塔の向こうに山並みが見えている。実はその山並みを撮ったつもりだったのだが、やはり写真はかなり意図と違う出来栄えになってしまった。東金堂の左に見えている淡い茶色の山肌が若草山。全面が芝生で1月の山焼きでも有名だが、その左と右でかなり山の緑の色が違うのが分かってもらえるだろうか。右側は春日山の原始林で、左側のは一般の(?)山。やはりかなり植生が違うのだとあらためて思ったのだ。まあ原始林の緑の方に迫力と強さを感じたのは、単なるわたしの思い込みのせいかもしれない。
さて左手にある北円堂(写っていない)だが、この前書いた三重の塔と同じ鎌倉時代初期の再建で、この二つが興福寺で最も古い建物。今は時期を決めて開扉しているようだが、昔はあまり決まっておらず、たまに開くだけで結局私もいまだに中を見たことがない。だから普段はあまり観光客もおらず、境内でもひっそりとした一画だ。でもその中には平安や鎌倉彫刻の傑作が詰まっていて、今はそれほどでもないが、昔は何とかして一度拝観したいものだと思っていた。とくに鎌倉時代の「無著・世親立像」は、日本の写実彫刻の白眉だ。もちろん写真でしか知らないが、日本にもこういう彫刻があったのだと本当に驚かされ、私にとっては、日本の伝統建築もあらためて見直してみなければと思うきっかけとなった思い出の仏像だ。
でもこのあたりへ来ていつも思うのは、すぐ南の南円堂は西国三十三所の札所で線香の煙の絶えない盛況だが、江戸時代にそれを作った大工さんは、北円堂があるおかげでさぞ苦労したんだろうなということだ。とても美しいとはいえないものの、何とも言いようのない異様な迫力が南円堂の建築にはある。はるかに続く伝統の重圧の下で、追随するにしても反発するにしても、そう簡単にはいかないわけで、考えてみれば大変なことだったろうと思わせるのだ。
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