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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

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今年も終わり

今年も終わり。あと数時間を残すのみとなった。毎年、一年が短くなったと感じる。でもやはりそれなりにいろいろな出来事があって、心のメモ帳に書き込む量が少なくなったわけでもない。ただ、個々の文字の刻印の深さが浅くなってきているようではある。刻み込む力が弱くなってきているのかもしれない。

ここ数年つらい訃報が続いているが、今年も「振り返って」となると一番にあげなくてならないのは、やはり自分の仕事である建築設計において真の師匠というべき石井修先生が亡くなられたことであったろう。二年前に亡くなった自分の父親ともほぼ年齢が同じだったのだが、いまの自分がある上での直接的、かつ最終的な「育ての親」であったのはまちがいない。感謝する気もちが強いだけに哀悼の念も深い。

あと夏の河合隼雄氏の逝去も、予想はしていたものの、やはりショックであった。心理学者であるユングの提出したパースペクティブは、これから何世紀もかけて咀嚼されていくような思想だと思うが、それを用意周到に、またすばらしい日本語でわれわれに届けてくれた功績は、本当にたたえようがないくらいのものだと私は思う。

仕事の上では、自分のことではとくにここでコメントするような結果は今年はなかった。ただ建築に限らないが、デザイン思想の世界でも、もうかなりしばらく沈潜期が続いていると思うので、来年こそが転機となるようなものが現れてくるよう、とくに若い人たちのために祈りたい。

久しぶりに事務所でCDを聞きながらこれを書いている。もはや定番といっていいだろうが、グレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」。彼には、それとともに有名になった最初のバージョンと死ぬ前のものと二つあるが、今かけているのは最後のもの。最初の方が、どこか新鮮で強いところがあると思うので好きだが、もとよりそんな曲ではなくて、バッハがゴールドベルグ卿のために安らかに眠れるようにと作った曲だ。でもグールドの天才はそんな仔細など吹き飛ばしてしまって、本当に痛切かつ痛快なものになっている。こんなのを聞いて誰が寝ていられるんだろうと思った記憶がある。でも最後のものは、やはり音のつぶやきがひそかで、はるかに深いところがあるのかもしれないと今日聞きながら思った。

今、最後に、最初のフレーズが再び静かに始まって終わろうとしているところ。音楽が終わる前にわたしもここで一緒に終わろうと思う。来る年がよき年でありますようにと心から祈りつつ。

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「石井修さんを偲ぶ会」

昨日、タイトルの会が、本町の綿業会館大ホールであった。石井先生が亡くなられたのが9月12日だったので、ほぼ百か日ほどになる。なかなかの盛況で、司会には石井先生の美建.設計事務所で大先輩にあたる竹原義二さんが立たれた。全員で黙とうのあと、建築家協会の次期会長になられる予定の出江寛氏、建築雑誌である「住宅建築」編集長の平良氏、同じく「新建築」編集長の大森氏が次々に挨拶に立たれた。それから建築家の吉村篤一さんの音頭で正面の遺影に向かって一同で献杯。参加者は130名くらいだったが、安藤忠雄氏も少し遅れて来られていたのには驚かされた。

わたしは何とも言えないような気持ちで、お酒が好きだった石井先生の供養だからと、テーブルに用意されていた日本酒をぐいぐい飲んだ。出張で宿泊するような遠方の仕事のときは、二人だけで、食後も場所を変え、遅くまでご一緒に飲んだ思い出がたくさんある。

二次会は、やはり美建出身の遠藤周平氏の手配で、某イタリアンレストラン。10年ほど前に、石井先生を囲んだ会をここでやったのを思い出した。でもさっきの日本酒が回ってきたのか久しぶりに悪酔いしてしまったようだ。大御所を含め有名な建築家たちもたくさんいたので、少し緊張していたのかもしれない。今朝は久しぶりの二日酔いだった。

でも私にとっては他の意味でもなかなか辛い一夜であった。心からご冥福をお祈りします。

上醍醐

上醍醐 清滝宮拝殿

昨日の続き。

翌朝は時間通りに四人集まり、大阪探訪という意見もあったが、私の提案でやはり京都の醍醐寺へ行くことになった。実は夜には別の飲み会が京都であったのだ。みんな、もう醍醐寺は二回目ないしは三回目なのだが、わたしが前から一度行きたいと思っていた上醍醐へ登ろうという案だった。そこまではまだ誰も行ったことがない醍醐寺の山上伽藍だ。

でもやはり一応三宝院にも寄ってあらためて庭の藤戸石を眺め、出てから本堂の境内の五重の塔(私は日本で一番の塔だと思う)にもご挨拶し、そこから奥に抜けると上醍醐への参道が始まった。連続した坂道を片道一時間、往復三時間の本当にちょっとした異世界への旅行であった。

写真はようやく着いた上醍醐の清滝宮拝殿。荒木君の写真を拝借させてもらった。国宝で、これが私のここまで登ってきた目的の建築だった。中へ入れないのは分かっていたが、ちょっと感無量でいる。入れば谷に向かって大きな開口部で開放された広間があり、写真では知っているので、景色も眺めながら想像をふくらました。

帰ってから、文章でだが私にこれを教えてくれた建築家の故西澤文隆氏の「日本名建築の美」(講談社 1990)という写真集を出してあらためて目を通してみた。ここは山の斜面の右手すぐ上部にある本殿から見る姿が最高と書いてあり、そちらまでは回らなかったのが本当に残念だった。

山上伽藍から降りてくるとさすがに足はがたがた。今日もまだ痛い(というか昨日よりも)。山科で東京などへ帰るみんなと最後の一献をして別れ、いつものひろ作へ向かった。

そこで、博多からわざわざ土曜日にあった京都検定の試験を受けに出て来たO君、京都TVを去年引退されたTさんと落ち合う。今年は醍醐寺の問題が出たそうで、醍醐寺に行ってきたと話したら、問題用紙を前に検討会をしていたところだったようで、偶然に驚いて他のお客も含めて一気に店内が盛り上がったのだが、こっちはそれに驚かされて目が白黒状態になってしまった。

赤垣会2007

今年もいつの間にか師走。寒さが緩いのでまだそんな気分でもないのだが、いつもの忘年会シーズンが始まった。まずは恒例の赤垣会。東京のレーモンド事務所時代の仲間の宴で、もうかなりの期間続いているが、去年に続いて今年も大阪で。もともと最初は、東京の連中の京都観光を兼ねて始まった会で、京都は二条川端にある赤垣屋というおでん屋さんを私が紹介し、皆も大いに気に入ってそこで毎年やるようになったので、そのまま会の名前に拝借させてもらった次第。ここしばらく京都でやっていないので今年は京都かなと思っていたが、西宮のメンバーの要望で大阪になったようだ。

わたしは土曜日の夜の宴会から参加した。当日、東京組二人も宿は大阪だが、他の数人のメンバーとともにやはり京都観光に出かけ、下鴨神社から上賀茂神社まで歩いてきたそうだ。今回はレーモンドの先輩などの参加はなく、私の事務所のスタッフには参加してもらったが、あとは最初からのコアなメンバーだけが集まって、いつになく気のおけない宴会となった。なぜか途中、歌の話しで盛り上がり、二次会は久しぶりにカラオケに行くことになった。とは言え、スタッフともう一人が帰り、もはや中核の五人だけ。誰もなじみのカラオケスナックなど知らず、目の前にあった駅前のカラオケボックスへ入った次第。

すぐに入れたものの混んでいて、かなり狭い部屋に、むさくるしい中年男だけが突然五人も放り込まれたのは、確かにちょっと異様な光景であった。リモコンの扱いにも慣れておらず、歌詞のカタログも見方がよく分からなかったが、みんなでたどたどしく努力して、何とか二、三曲ずつは気持ちよく歌うことができた。中でも荒木君はさすが合唱団をやっているだけあって伴奏にハモってくれるのだが、歌っている方が慣れておらず、かえって音程がくるってしまったりした。で私は最後に、「そんなの関係ない!」といわんばかりのちょっと強力な歌を久しぶりに歌うことにした。そのあとそれに刺激されたのか、荒木君もちょっと本気?を出して、出身地の北海道の民謡?を、手振り身振りも交えて聞かせてくれた。なかなかみごとな熱唱であり絶唱であった。

結局その後もさらに二軒はしごし、まだ行きそうだったが、翌日のこともあるので解散してそれぞれタクシーでホテルや自宅へ戻った次第。翌朝10時に梅田集合となっていたのだった。

この続きはまた明日(ないしは後日に)。

「日本社会の歴史」

久しぶりに少し違う分野の本を読んでみたが、それがとても面白くて、これまた久しぶりに新鮮な感動を味わったので書いておきます。その本は網野善彦氏の「日本社会の歴史」。岩波新書で上・中・下の三分冊。とくに上から中の前半のあたりまでは、本当に目からたくさんのうろこが落ちた。

感想をひと言で言うと、上質の唯物史観とはこういうことを言うのかもしれないという、生まれて初めて味わうような感嘆だった。唯物史観といっても、もはやかなり手垢もつき、こんな古びた言葉など今はもうはやらないと思うが、われわれの年代の学生時代には、まだピカピカ光ってまぶしいような言葉の一つだった。そして自分もたまに話しの中で使ったりはしたものの、正直言ってほとんどその意味は分かっておらず(まあ今でもだが)、完全に知ったかぶりをしていただけだったように思う。だからそういう感想自体、はたしてどうかとは思うが、まあそう思ったのだから仕方がないということでとりあえず許していただきたい。

閑話休題。
そういう知ったかぶりの生半可なことは別として、その感動についてもう少し書いてみたい。
まず、とにかく今までの一般的な「日本という国の歴史」というような視点からはまったく自由なのに驚かされた。冒頭から、今まで知っているいわゆる歴史書とはまったく内容もトーンも違ったので多少とまどったくらい。網野氏自身、初めはタイトルを「日本列島の歴史」としようと思っていたとあと書きに書かれているが、たしかに今まで私が見たこともなかったような、日本を含むこの地域全体の人間たちの、ある期間における躍動と変遷を、時系列で、あたかも全体が一つの生き物の成長過程のようにダイナミックな映像として見せてもらったような感じがした。

変な表現になるが、自分なりのイメージをあえてそのまま書くと、大きなざるの中に入った無数の小豆が、ゆっさゆっさと揺られ続けているうちに、その表面にできる微細な模様が刻々と変わっていき、それがあるときにはとても印象的な形になったりする。実はそういう全体的な動きの結果、偶然的に生み出されてくる瞬間的でまた空前絶後の、特異な全体的布置やフォルムこそが、歴史上の有名な変革や出来事、さらには「国」などの概念なども含めた、いわゆる歴史的事実というものの本当の姿なんだよと教えてもらったように感じたのだ。

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