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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

石井修氏とレーモンドスタイル

昨日午前中、神戸へ行ってきた。阪急岡本駅から山手の方へ。去年亡くなられた美建.設計事務所の石井先生の古い作品の見学。関西大学の木下光先生が訪問されるということを聞き、便乗させてもらった。タクシーを降りてしばらく周りを歩き、外観を眺めてからインターホンを押した。娘さんお二人が出てこられたが、高齢のお母様の具合がこのところ悪くて、中へ入れてもらえなかったのは残念だった。それでも玄関から少しだけ中の様子をうかがわせてもらった。

電柱丸太を9本用いたローコストがテーマの住宅で、ベニヤ板の内装を久しぶりに見てなつかしかった。外観右側で真壁になっている細い丸太の横縞が印象的。全体的なデザインはまだまだレーモンドや吉村順三氏の影響下にあると言ってよいと思うが、これ以降次第に露わになる石井先生の「縄文的」な情念がここに垣間見える。ちなみに写真でこちら側の面も同じデザインだったのだが、北側なのでいたみが激しく、黒色銅版に張り替えられている。でも定期的に手入れがきちんとされてきていて、お嬢さんたちにインタビューされた木下先生もしきりに感心されていた。
美建A邸

次の写真は同じ造成地にある美建のもう一軒の住宅。先の家で、すぐ近くだと教えてもらって訪ねた。年譜では同じ1968年竣工となっているが、一年ほどあとにできたとのこと。お留守だったが、こちらはいわゆるレーモンドスタイルの木造にかなり近くて、わたしにとってはそういう意味でも感慨深かった。
美建M邸

それから大阪に戻って、今度は高松の名高い家具工房である桜木工の展示会を訪ねた。場所は天満橋にあるTSビルのギャラリー。これはいまや世界的な建築家となった安藤忠雄氏が、ようやく激しい上昇気流に乗られたころの作品で、来るのは初めてだが雑誌で見てわたしの記憶にも残っていた。経済評論家で作家の堺屋太一氏のビルだ。安藤さんの作品を見るのは久しぶりだったが、やはりさすがという感じ。ただ内外ともコンクリート打ち放しのせいだろう、エアコンがききすぎていた。おそらく中にずっといる人たちにとっては、コートを脱いで軽装だと、壁にかなり輻射熱を奪われるので寒く感じ、設定温度を上げてしまうのだろうと思った。

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雪の六甲山

昨日はボーイスカウト活動で六甲山へ行ってきた。当初決まっていた先週末も悪天で、予定が延期されてちょっとほっとしていたのだが、あにはからんや一昨日は大阪でも十何年ぶりかの積雪。その夕方、心配して再度下見に行ってくれたボーイ隊の隊長から「えらいことになっています」とメールが来て、あわててアイゼンを買いに走った(結局使わなかったが)。

まあ、カブ隊も合同だったのでわたしもちょっと心配したが、集合時間も遅くして、コースも短く簡単なものに変えたとのこと。下の写真は朝9時に大阪城公園口に集合したときのもの。雪の大阪城公園も珍しいと思ってシャッターを切った。
雪の大坂城公園

次は、ようやくバスで山上付近に着いて歩き出したところ。道端の小屋の軒に大きなつららができていて、みんな歓声をあげながら次々に折り取って大収穫のご満悦。一人で4,5本もかかえて歩き出したスカウトもいた。まだまだ元気いっぱいで、ふかふかの雪の行軍にそれぞれうれしさ一杯、心がまりのようにはずんでいるのが分かる。
六甲でつらら

最後は、遅くなってしまった昼食。行程を緩めすぎて時間が足りなくなり、結局山頂までは行けなかった。山頂で昼食の予定だったが変更し、途中の駐車場の一部を拝借して焚き火を起こし、鍋をかけ豚汁を作って配給した。実はここに着いてしばらくするとなんと雪が降り出してきて、一気に気温も下がってきた。リーダー一同、何でこんなときにとぼやきながら、あわててインスタントマーキーを出して張った次第。

雪にまみれ思いっきりはしゃいできたので、スカウトたちは手袋や靴下がぐっしょり濡れて手足が冷え切ってしまったようで、入れ代わり立ち代わり小さな焚き火にあたるも、そう大した効果はなく、さすがにかなり消耗気味。マーキーの下でぐったりとしているスカウトも数人いた。でも降りしきる雪にもめげず何とか炊けた熱い汁は、こういうとき何よりのごちそうだったようで、あっという間に売り切れたのはうれしかった。
六甲で豚汁

大阪府立野外活動センター

昨日は平日だが、このところ週末に催しが重なっていてメンバーの予定がとれず、私は午前中、スタッフを残してボーイスカウトの夏キャンプ地の下見に参加してきた。早朝7時半に待ち合わせて、大阪府の北端、能勢にある「大阪府立総合青少年野外活動センター」へ。時間が早いせいか道はすいていて、市内から50分ほどで着いてしまったのには本当に驚いた。

帰ってから開いた手元の資料には、「なんと大阪市内の中心部からほんの30キロのところにある」という驚きの言葉が英語で書かれているが、わたしも周囲の自然の豊かさを考えるとにわかに信じがたく、あらためて地図を開いてみたが、確かにその通りだった。

ここは、自分にとってもいろいろと昔からなじみの深いところだ。子どもたちがまだ小さいころ、何回も森之宮にある青少年センターの催しでここに来ていたので、一度は近くまで送ってきたこともある。まずそれが一つ。

そしてもう一つの理由は、若い人たちは知らないだろうが、この施設自身がある時期には現代建築の名作の一つとして名高く、大学時代からいつか行って見てみたいと思っていたのだった。やはり手元の資料で確かめると1966年の竣工となっていて、計算すると今年で築44年目だからもはや半世紀近くも前のものになる。当然、わたしが建築を学び始めた大学時代には、すでに「昔の名建築」であったわけだ。ちなみに手元の資料と書いたのは昔、新建築社が出した英文の日本の建築のガイドブックだ。

全体の設計は坂倉建築研究所。もう大分前に亡くなったが、尊敬する建築家の西澤文隆氏が、おそらくはもっとも油ののりきった時代の作品。さすがに古びてはいるが、壁の塗装も何回か塗り替えられてきているようだし、外回りの建具はほぼ全てアルミサッシュに交換されており、確かに今でも十分現役の状態なのがうれしかった。

視察は、主に予約をとった第三キャンプ場の施設の下見が主眼だったが、かなり広い敷地の一番下、入り口付近にある管理棟で簡単な説明を受け、そのまま車で奥の第三サイトに向かった。しかし小川沿いの上り坂をしばらく走って目的のサイト近くまで来ると、下ではまったくなかった雪が薄く積もっている。ノーマルタイヤだったので、メンバーに少し緊張が走ったが凍ってはおらず、そのまま近くまで乗り入れた。
第三キャンプ場

最初の写真は、第三キャンプサイトの管理棟。下の二枚はその奥に点在するロッジの写真。
他のサイトも含めて、ロッジは全てほぼ同じ造りのようだった。建物は木造だが、土台の他に建物背後の壁だけがなぜかコンクリートで作ってある。しばらく考えたが、このあたりだと昔は冬の積雪も多かっただろうから、その圧力に耐えるためなのかもしれないと思った。またロッジも含めて全ての建物に暖炉があったのはうれしかった。まあ夏キャンプでは使わないだろうが。
能勢ロッジ-1

能勢ロッジ-2

あと脇にあるテントサイトも見てから道を戻って本館の建物へ。ここは今回は本来あまり関係ないのだが、わたしのわがままを聞いてもらった次第。大きいので建物はうまく写真がとれなかったが、下の写真はすぐ脇に建っている体育館の内部。わたしの期待にたがわず屋根の骨組みが見事だった。
能勢体育館

クマザサ

久しぶりに連日外へ出かけたので書いておきます。二日がかりでUPする予定。
飛鳥園の熊笹

今日の写真は、昨日久しぶりに訪れた奈良の飛鳥園。今ごろの季節に来るのは、竣工後多分初めて。庭に入ると冬景色のクマザサが驚くほど素敵な景色を作っていて思わずシャッターを切った。

クマザサの葉の縁が白くなるのはもちろん知っていたが、どうやら真冬の景色は今まであまりていねいに見たことがなかったようだ。表情があまりに鮮やかで、よく日本画に描かれているこういう景色が、まったく誇張でも何でもなく、実際にはもっと美しいということがよく分かった次第。

まあクマザサはスキー場にもよくあったと思うので、見ているはずだが、おそらく広いゲレンデの片隅で、白く雪化粧した中に垣間見えるような場合だと、一面の雪の白色があまりに強烈で、一枚の葉の微細な景色にまでは目がいかないのだろう。笹の葉の緑とベージュがかった葉の縁の白との対比が、本当に何ともいえないくらい豊かで美しいと思い、しばらく見とれていた。

ちなみに手前右に見えるのは、歌人で書家の会津八一の歌碑。庭内に二つあるうちの一つ。塀の向うは奈良県が管理する吉城園(よしきえん)の庭。

てんやわんやの週末

今年からとりあえず毎月3回はここに書こうと年初めに誓ったつもりだったが、しょっぱなから挫折してしまった。さて今月はどうなることやら。

今日明日は事務所は連休。昼ごろに軽い二日酔いの頭をかかえながら事務所に出てきた。
昨日、現場定例の総合打ち合わせが、事務所で夕方からあった。いつものように電気、設備、建築とこなしていたらあっという間に時間がたち、四時間近くかかった。それも最後は、予定があるのでと無理を言って大事なところのみの説明として短くしてもらった。この現場は、あまり現場での変更はしていないつもりだが、やはり納まり上の調整なども多く、工事も4ヶ月目に入り、そろそろというかようやく佳境にかかってきたのだと実感する。

実は、今年は私の所属するボーイスカウトの団が創立45周年で、五年ごとの恒例で記念事業をすることになっている。記念誌の編集や式典などだが、その第一回目の打ち合わせが昨日の夜にあったのだ。ボランティア活動だから本来なら週末なのだが、なかなかメンバーの予定が合わずに結局昨夜になった。

先に現場の打合せが決まっていたので、集合時間の午後7時にはとても行けないからと遅れていくことにしていたが、8時ごろにはと約束していた時間も軽く過ぎてしまいそうだった。何とか8時すぎに無理やり打合せを切り上げ、残務処理をスタッフにまかせて飛び出したが、今度は他のメンバーの一人が用事で一旦帰ってしまっていて、ようやく9時過ぎになって再開始となった。団委員長のご自宅だったが、皆食事もしていないので、もはや食べて飲みながらの打合せとなり、他の話題もとびかって久しぶりの午前様となった次第。