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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

外断熱の住まい

たまには本業のことも書こう。この前できたばかりの住宅。三枚ともプロの写真家 福澤昭嘉氏の写真。予算がなくカット数も少なかったが、うまく撮ってくれたので載せておきます。
U邸-1
一枚目は道路から正面の南側外観。右下のガレージ奥のヤマボウシが、この前ここに写真を載せたところ。壁式鉄筋コンクリート造の地下一階・地上二階建て。外側は全面5センチ厚の断熱材で覆い、モルタルを塗って吹きつけ仕上。地階部分も3センチのスタイロフォームを外側に貼っている。一応、手持ちの専用ソフトを使い、断熱のQ値を計算したが、地階の規定は「次世代省エネ基準」にないことが分かり、土の断熱性は無視するほかなかった。それでの結果は一応基準をクリアーしていたが、見積り調整の段階で、ガラスの仕様を「省エネルギー(Low-E)ガラス」から普通ガラスに変えたので、わずかに下回った。まあ土の効果をきちんと考慮すれば、入っているのではないかと思う。

二枚目は1階のLDK。中央にある書斎コーナーの机の左奥がダイニングで、その右に隠れてキッチンがある。書斎コーナー背面の壁裏に引き戸を仕込んであり、こちらのリビングと仕切ることができる。手前の天井照明は特注で作ったもの。
U邸-2
最後は上の写真でも右手の窓から見えている建物北側にある竹の庭の夕景。一番下は地階にあるミュージックルームに面したドライエリアの庭になっている。二階の窓まで届くモウソウチクを6本植えた。左にあるのは和室の開口部。その上の二階に浴室の窓がある。

三層をつなぐこの庭がこの住宅の基本的な骨格を表している。当初案から変遷し全体に大分小さくなったが、この庭の考えは当初のままだ。高断熱型の住まいは、どうしても開口部のとり方で多少抑制ぎみになる。外部からの熱の侵入にセンシティブになるからだ。でもこの庭のおかげで、正方形に近い全体の敷地の中で、プライバシーも確保しながらそれなりにうまく開放的な住まいにすることができたと思う。建築の施工は新行建設で設備はアスカシステム。
U邸-3

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飯盛山のダッチオーブン

この前のナイトハイクの翌週、今度はカブ隊につきあって、同じ山ろくだが少し南の野崎観音の裏山にある、大東市青少年野外活動センターでの一泊キャンプに行ってきた。まあカブ隊だからキャンプといっても舎営(建物内のこと。テントを張っては野営といいボーイ隊から)。

ただ初日はカブ隊の隊長が来れず、私が先導して山登り。まずは野崎観音にお参りした後、標高310mほどの飯盛山の山頂までハイキングし、そこで昼食の弁当。それから尾根を逆に南下してセンターへ。急に暑くなった日で、子どもたちは元気だし、あまり疲れたつもりもなかったのだが、センターへついてからなぜか体調が悪くなり、持参した薪をくべて夕飯の用意をし、一緒に食べてからは活動に参加せず、キャビンでしばらく横にならせてもらった。

こんなことは初めて。
あとで読んだ新聞では当日、各地で熱中症が多発したそうで、一緒に山を登ったボーイ隊の女性副長もきつかったですよねと言うので、やっぱり少し無理をしていたのかもしれない。そして結局そのまま一週間以上も体調が戻らなかった。

活動自体は、初日の夕飯で団委員長が、自前のダッチオーブンの鍋?を持参しての鳥の丸焼き。見た目も豪華なごちそうで味付けもよく、わたしも体調いまいちながら堪能させてもらった。でも女の子のスカウたちトに残念ながらあんまり食欲がなかったのは、やっぱりあまりに暑かったからだろうか。ボーイ隊のときはわれ先にで取り合いになったのにと団委員長が嘆いておられた。

菱屋2008

菱屋2008-1

ナイトハイクに出かけて戻ってきた日曜日の夕方、東大阪の「菱屋の家」を久しぶり訪ねた。昼過ぎまでぐっすり寝たので体調も回復し、約束の午後四時ちょうどに着いた。上は玄関前の写真。植栽が成長し手入れも行き届いており、インターホンを鳴らす前に道にしばらく立って眺めていた。少し小さいがホームページに載せている竣工時の写真と比べても違いが分かる。

右手前の大きなシマトネリコにはたくさんの花がついている。あとで聞いたが、すでに白い花びらはほとんど落ちてしまっているそうで、満開の時は地面が真っ白になったそうだ。手前の下草はこの前ここで紹介したヒメクチナシ。ここのは虫除けの消毒もきちんとされていて元気に茂っていた。下はその拡大写真。
菱屋2008-2

次の写真は、奥の庭。二階の広間から撮った写真。二年ほど前に撮った写真と比べると、季節は違うが樹木の成長が分かる。都会の森になればという思いがあったが、いよいよそんな雰囲気になってきて、鳥もよく巣をかけるそうだ。この写真では花が見えないが、右手にサルスベリがあり、わずかにピンク色の花をつけていた。あと左下手にムクゲの木があってこれはきれいな白い花がいくつも咲いていた。

ただ、さっきのサルスベリのさらに右手にヤマモモを植えたのだが、お母さんから、近所のは一杯実をつけるのにこれにはつかないんですよと聞かされた。花は咲くのにとおっしゃるので、様子を聞くとまさにこの前ここに書いた花粉の雄花だった。つまりこれは雄木ということで、残念ながら実はなりませんと伝え、はなはだ恐縮した次第だった。
菱屋2008-3

キョウチクトウの白い花

先日のナイトハイクの早朝、街に下りてから歩いていた道端で撮った写真。
キョウチクトウ(夾竹桃)は、代表的な夏の花の一つだろう。かなり花期が長い。昔は公園などにもよく植わっていたが、葉が厚ぼったく「強健」という形容にふさわしいようなちょっと獰猛な感じもあって、小さいころは大嫌いだった。「利尿作用がある成分と強心作用を含む物質を含んで」いるそうでとくに後者は強いらしく「有毒」と形容されたりもする(上記「」内のリンクを参照)

あと、原爆のイメージが少しただようのだが、なぜだか分からない。花には赤、ピンク、白とあるが、小さい頃近くに植わっていたのはほとんど赤花だった。花期は長いが、強いせいかなかなか花が落ちずに茶色に変色して汚らしくなるのも嫌いだった理由の一つだ。でも、この写真の白い花は清楚で、葉の濃い緑に映えて美しく、思わずシャッターを切った。
キョウチクトウの白い花

徹夜の行軍

先週末はナイトハイクに行ってきた。ボーイスカウト隊の活動だ。土曜日の午後7時半に近くの公園で集合し、交野(かたの)市のJR学研都市線津田駅付近から登り始めたのが午後九時すぎ。最初の登坂がかなり急で、久しぶりの登山に息が切れそうになった。

最初の写真はようやくついた頂上付近にある交野山の岩座(いわくら)。生駒山地も六甲山と同じく花崗岩の山だということが、この巨大な山頂部の露出岩を見ると分かる。鉄分の多い六甲山のように赤錆色ではないが、こういう大きな露出岩盤は花崗岩の山の特徴。ここのはとくに見事で「交野山古代岩座址」と彫られた石碑が脇に建っていた。確かに古代には聖地だったろうというだけの異様な迫力とスケールがあった。
交野山岩座-1

二枚目はその岩盤の上から見えた大阪の夜景。180度のパノラマでこれもなかなか見事だった。
その次は、聖地でのしばしの休憩を終えて出発前。
交野山岩座の夜景
交野山岩座-2

それからしばらく尾根伝いに南下し、ボーイスカウト大阪連盟の本拠地である枚方の「キャンプ大阪」の広場に着いて夜食。車で先についた団員や保護者の手ですでにほぼ準備ができていた。ただかなり予定より早く、まだ12時にもなっていなかった。本当は深夜の2時ごろの予定だったのだが。スカウト達の脚力をみそこなったようだ。また夜なのでスカウト達がほとんど道草をしないのも誤算だった。
キャンプ大阪で夜食

キャンプ大阪を出てからは、途中に休憩地点が二箇所用意されていて、飲み物や果物が配給された。ただ時間が早すぎて、予定になかった「くろんど池」一周が加わり、下の写真はその池畔で休憩したときのもの。全員ヘッドライト装備でなかなか勇ましい。
くろんど池で休憩

4時くらいからはっきりと空が明るみだした。次の写真はようやく山を降りてきたところ。午前5時すぎくらいだったか。京阪の私市(きさいち)駅付近。ようやく世間に戻ってきてホッとした気分がただよう。
山から下りて

ただここから学研都市線の河内岩船駅までさらに一時間ほど歩いたが、これが単調でけっこうきつかった。下の写真の一枚目は途中にあった駐車場に入って休憩したところ。もうすでに二人ほど眠っているが、二枚目はその五分後の光景。わたしも引っくり返って10分くらいは寝てしまったか。
駐車場の休憩-1
駐車場の休憩-2

自分にとっても久しぶりの徹夜であった。午前七時には昨夜集合した地元の公園に帰りついてようやく解散となったが、山中はすごい湿気で汗を目一杯かき、よく歩いたハイキングであった。