
昨日の土曜日、知り合いのつてでチケットが手に入ったので、能の公演に行って来た。大阪観世九皐(かんぜきゅうこう)会の九月公演で、場所は大槻(おおつき)能楽堂。大阪市中央区上町にあり、電車で一駅程度のまあ近いところだから歩いて出かけた。お能を見るのは本当に久しぶりのことで、この大槻能楽堂も前の道はよく通っているが、入るのは今回が初めてだ。また大阪へ戻ってきてからは、興福寺の薪能を見たことがあるが、屋内で見るのはこれが初めて。
自分はまだ二十歳代だったが、東京のレーモンド設計事務所に勤めていたとき、たしか千駄ヶ谷の国立能楽堂がオープンして間もないころで、建築健保組合の催しで定期公演?のチケットが安く買えたのでよく見に行った。でも知識がないからあまりよく分からないが、地味な演目が多かったように思う(時々眠かった)。
東京時代で一番記憶に残っているのは、明治神宮であった薪能で、これはすばらしい経験だった。他にもやったと思うが「紅葉狩(もみじがり)」という演目の名前まで覚えている。場所のしつらえも広々として豪華だったが、たしか大手建設会社から回ってきたチケットで、上司に連れて行ってもらったのだった。
昨日は、世阿弥の「班女(はんじょ)」と「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」の間に「伯母ヶ酒」という狂言が入り、あと前半と後半の初めに仕舞が三曲ずつあった。都合4時間半でかなりの満腹気分になったが、久しぶりで本当にとても面白かった。まあ若いころと比べれば、古典についての知識(雑学でしかないが)がはるかに増えているのが大きいと思う。あと能装束の美しかったこと!シテの着物の生地の色や模様もそうだが、とくに後半の遊行上人(しょうにん:ワキ))の威風堂々とした装束はすばらしかった。出てきたとき、その「姿・形」がとても新鮮でおもしろくて、しばし見ほれてしまった。
自分はまだ二十歳代だったが、東京のレーモンド設計事務所に勤めていたとき、たしか千駄ヶ谷の国立能楽堂がオープンして間もないころで、建築健保組合の催しで定期公演?のチケットが安く買えたのでよく見に行った。でも知識がないからあまりよく分からないが、地味な演目が多かったように思う(時々眠かった)。
東京時代で一番記憶に残っているのは、明治神宮であった薪能で、これはすばらしい経験だった。他にもやったと思うが「紅葉狩(もみじがり)」という演目の名前まで覚えている。場所のしつらえも広々として豪華だったが、たしか大手建設会社から回ってきたチケットで、上司に連れて行ってもらったのだった。
昨日は、世阿弥の「班女(はんじょ)」と「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」の間に「伯母ヶ酒」という狂言が入り、あと前半と後半の初めに仕舞が三曲ずつあった。都合4時間半でかなりの満腹気分になったが、久しぶりで本当にとても面白かった。まあ若いころと比べれば、古典についての知識(雑学でしかないが)がはるかに増えているのが大きいと思う。あと能装束の美しかったこと!シテの着物の生地の色や模様もそうだが、とくに後半の遊行上人(しょうにん:ワキ))の威風堂々とした装束はすばらしかった。出てきたとき、その「姿・形」がとても新鮮でおもしろくて、しばし見ほれてしまった。
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