
今日は、久しぶりに梅田へ行ってきた。ダントーというタイルメーカーとサンゲツという内装材料メーカーのショールームを見るのが一つの目的だった。武庫川女子大学の講師を辞めてからは梅田へ来る機会も減り、今回ももう一つの目的だった書店をのぞくためか、忘年会などで出かけるくらいになってしまった。東京にははるかに及ばないだろうとはいえ大阪の一等地だから、やはりしばらく見ないとそれなりに風景が片隅から徐々に変わっている。
だから今回はゆっくり散歩気分で歩き回ったが、それなりにとても面白かった。印象的だったのは最初に行ったショールームが入るハービスなど、JR大阪駅前の広場に面して建っている中央郵便局のさらに西側のゾーンだ。
豪壮なダイビルを初めとして梅田駅付近という土地柄にもかかわらず、さまざまな高層ビルがそれなりにだが、窮屈な感じを覚えない程度にうまく建ち並んでいる印象だった。意外にというと失礼かもしれないがなかなかいい雰囲気になっていた。ショールームを見た後ハービスを出ようとして裏側の通りが見えたので行ってみた。ブリーゼとかいう新しい高層ビルができていて驚かされた。かなり大きなものだが、近未来風の白を基調にしたシンプルなデザインで好感が持てた。
そのあと本を探しにいつもいく旭屋書店などを巡ったが、帰ろうとして大阪駅南の歩道橋のある広場まで来てびっくりした。阪急百貨店が建替え工事をしているのは知っていたが、そのこちら面の工事仮囲いがはずれていてファサード(立面)がはっきり見えたのだった。最初目をあてたとき気がつかず、何か変わったような不審な感じがして、見上げると高層部のガラスのカーテンウォールが見えて仰天した。で、そうか、もう新しくなったんだと合点したが、文字通り木に竹を接いだというような具合で、何とも異様な感じ。
昔のデザインを残したと設計者や建築主は言うのかもしれないが、そんなきれい事が通るようなデザインにはとても見えなかった。高層部の存在を考えると、デザインすることの勇気や率直さを放棄してしまったデザイナーの言い訳にしか聞こえないと思った。
前の阪急百貨店が、明治に導入されて新鮮な気分がまだ濃厚な様式建築ならともかく、レトロだし上品で悪くはなかったとはいえ、同じ近代建築の範疇だし、それもまだまだうぶだった初期のデザインだ。それが参照したと思われるデザインで、よい建物は他にも十分残っている。有難い遺産と思ったのかもしれないが、この絶好の一等地の場面で、そのはるか上を行ってやろうというような気概と気迫が造り手になかったのは、いかにも落ち目で後ろ向きになってしまった今の関西を象徴しているようで、しばらく暗澹たる気持ちになった。いやしくも真のデザイナーならあって当然だろう?と言いたい。われわれはもはや芸術家の範囲ではなくなったのだろうか。
(この段落あとで挿入@2/7)
本当に残念に感じてならないのは、これが他でもない阪急の建物だったからだ。小林一三氏以来、阪急の建築デザインは関西では一目おかれるもので、期待を裏切られたことは今まであまりなかったから。これでは東京の連中に「何でもありの、こてこての関西風」と悪態をつかれても言い返せないだろう。また、代替わりして阪神をも吸収した阪急はいったいこれからどうなっていくんだろう?と思った次第。多分阪神の主導しただろう西側のハービス地域が予想をこえてよくなっていただけに残念だ。
だから今回はゆっくり散歩気分で歩き回ったが、それなりにとても面白かった。印象的だったのは最初に行ったショールームが入るハービスなど、JR大阪駅前の広場に面して建っている中央郵便局のさらに西側のゾーンだ。
豪壮なダイビルを初めとして梅田駅付近という土地柄にもかかわらず、さまざまな高層ビルがそれなりにだが、窮屈な感じを覚えない程度にうまく建ち並んでいる印象だった。意外にというと失礼かもしれないがなかなかいい雰囲気になっていた。ショールームを見た後ハービスを出ようとして裏側の通りが見えたので行ってみた。ブリーゼとかいう新しい高層ビルができていて驚かされた。かなり大きなものだが、近未来風の白を基調にしたシンプルなデザインで好感が持てた。
そのあと本を探しにいつもいく旭屋書店などを巡ったが、帰ろうとして大阪駅南の歩道橋のある広場まで来てびっくりした。阪急百貨店が建替え工事をしているのは知っていたが、そのこちら面の工事仮囲いがはずれていてファサード(立面)がはっきり見えたのだった。最初目をあてたとき気がつかず、何か変わったような不審な感じがして、見上げると高層部のガラスのカーテンウォールが見えて仰天した。で、そうか、もう新しくなったんだと合点したが、文字通り木に竹を接いだというような具合で、何とも異様な感じ。
昔のデザインを残したと設計者や建築主は言うのかもしれないが、そんなきれい事が通るようなデザインにはとても見えなかった。高層部の存在を考えると、デザインすることの勇気や率直さを放棄してしまったデザイナーの言い訳にしか聞こえないと思った。
前の阪急百貨店が、明治に導入されて新鮮な気分がまだ濃厚な様式建築ならともかく、レトロだし上品で悪くはなかったとはいえ、同じ近代建築の範疇だし、それもまだまだうぶだった初期のデザインだ。それが参照したと思われるデザインで、よい建物は他にも十分残っている。有難い遺産と思ったのかもしれないが、この絶好の一等地の場面で、そのはるか上を行ってやろうというような気概と気迫が造り手になかったのは、いかにも落ち目で後ろ向きになってしまった今の関西を象徴しているようで、しばらく暗澹たる気持ちになった。いやしくも真のデザイナーならあって当然だろう?と言いたい。われわれはもはや芸術家の範囲ではなくなったのだろうか。
(この段落あとで挿入@2/7)
本当に残念に感じてならないのは、これが他でもない阪急の建物だったからだ。小林一三氏以来、阪急の建築デザインは関西では一目おかれるもので、期待を裏切られたことは今まであまりなかったから。これでは東京の連中に「何でもありの、こてこての関西風」と悪態をつかれても言い返せないだろう。また、代替わりして阪神をも吸収した阪急はいったいこれからどうなっていくんだろう?と思った次第。多分阪神の主導しただろう西側のハービス地域が予想をこえてよくなっていただけに残念だ。
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