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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

猿沢の池2009

先日仕事で行ったときに立ち寄った、奈良の猿沢池の写真。
当日は三ヶ所を回る予定で、昼前に一件の用事を済ませてから、徒歩で中金堂伽藍の復興工事中である興福寺の様子を見に行き、それから南側の猿沢の池へと降りた。まだ昼食には少し早かったので、しばらく湖畔の手すりに腰かけて休憩をとった。
冬の猿沢の池
季節としてはまだ真冬だがそれほど寒くはなく、青空の下で広々とした池の前に出て、日当たりもよかったので、何となくのんびりした気分になったのだ。平日だし季節も冬だからか、池畔の人も少ない。こんなにのどかな奈良の景色は本当に久しぶりだと思い、腰を下ろした次第。

池にはいつもたくさんいる亀たちはいなかった。冬眠中なのだろう。ふと小さな水鳥が近くを泳いでいくなと思うと、突然姿が消えた。水にもぐったのだ。冬だからか、けっこう水の透明度が高く、それほど深くない底のあたりを、黒い影になってぐんぐん進んでいくのがよく見えた。それからずっと向う、池の中央あたりに浮き上がって、またしばらくするとゆっくり近くに戻ってきた。水面を滑るように泳いでいくが、水面下ではけっこうせわしく足を動かしているのが何とも可愛らしい。本では読んだことのある情景だが、自分の眼でまじまじと見るのはこれが初めてだ。鳥の名前を知らないのが残念だった。
猿沢の池の水鳥

自分も最近知ったばかりだが、この辺りは修学旅行のメッカ。シーズンともなれば、各地の小学生がみやげ物を買いに付近の店に集中する。数年前、奈良町で仕事をしていたころのことだが、あるとき、もう夜の七時半ごろだったろうか、工事現場の帰りに近くを通ると、あたりがものすごい数の小学生であふれている。

びっくりして最初何があったのかと思ったが、大人の人たちやバスガイドの服を着た女性も交じっており、口々に何やら叫んで子どもたちに指示を出している。彼らを引率してきた人たちのようだった。無数の子どもたちは、歓声を上げながら勝手にあたりの店に群がっては吐き出されている。ここは夜店のような感じで店がならんでいて、興福寺斜面の暗闇を背景に、店の煌々とした照明がまぶしいくらいに輝いている。

しかもその子どもたちが一校ではなく何校分もいて、どうやらちゃんと時間割があり、この時間帯はどこの学校と決められているようだった。だから池の北側を東西に走る三条通の、少し西のあたりは待っている生徒たちで満員。すでに買い物を終えた子どもたちは、東の猿沢池側の暗がりに押し出されて、そこで互いに買った物を見せ合いながら、まだ興奮からさめずにやっぱりわいわいやっている。なかなかすさまじい光景で、圧倒されたのか、しばらくの間ポカンとして見とれていた。

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六甲登山2009

去年に続いて今年も冬の六甲山に行ってきた。やはりボーイスカウトの活動。このところ暖かい日が続いたが、昨日もそう。木々に新緑がないのを別とすれば、本当に初春のハイキングみたいな感じだった。雪の行軍をした去年のことを思い起こすと、まるで狐につままれたような気分を味わった。

カブ隊は団委員長のワゴン車で、去年もスタート地点だった山上の記念碑台まで送ってもらい、そこから頂上付近の一軒茶屋までハイキング。思えば去年はその途中で断念したのだったが、そのときはちょうど雪祭りをやっていて、あたりはすごい人出と車の列だった。だから寒さと熱気の両方が記憶に残っている。打って変わって今年はスキー場にも雪がなく、まったくのんびりした春の景色になっていた。

一方ボーイ隊は一足早く電車で出発し、阪急の芦屋川駅まで行ってそこから登山。昼の12時に同じ場所(一軒茶屋)で無事集合して(一人だけ遅れられたが)みんなで昼食をとった。今回の炊き出しはインスタントラーメン。下の写真で左手上が六甲山の最高点。
一軒茶屋2009

ただ私はこのところの陽気にあたったのか、先週後半に体調を崩し、金曜日は事務所も休んで終日、家で寝こんだ。こんなことは何年ぶりか。たいした熱は出なかったが、六甲行きがあったので大事をとって夕方、これは本当に久しぶりに近くの医者に診てもらった(この前行った医者はすでに高齢で廃業されており、初めてのところ)。単なる風邪でしょうという診断だったが、うつすと困るインフルエンザが心配で、うわさに聞いていた検査棒を使ってもらった。あっけないくらい簡単に結果が出て、やっぱり違うとのこと。安心したせいもあるのか土曜日には一気に体調も回復し、六甲行きには参加することにしたが、やはりまだ体力に自信がなく、登山の方は遠慮して、昼食後の有馬温泉への下山につきあった。
六甲から有馬へ
早足だったせいもあるが少し汗ばむくらいの陽気。まったく季節外れの陽気だから何と形容したらよいかとまどうが、天気もよく、まあさわやかな行軍だった。有馬温泉まで降りると、さすがにここは人出が多い。数年前に来たときと同じだが、湯治のつもりが春の行楽になってしまった人も多いんだろうなと思った次第。バスで来た前回は入らなかった足湯に私もつかってみた。かなり熱くて、出てから、つかった部分が真っ赤になり靴下をはいてるみたいと冷やかされたが、それからしばらくは足がくすぐったいくらいにほてっていた。
有馬温泉の足湯

今回の活動は、最初「雪山登山」というタイトルだった。それが実施計画では「冬山登山」となり、それでも暖冬でまったく雪がないからと、さらに一週間延期しての今回の活動だった。結局はまったくの「春山登山」となってしまったが、まあこれはこれで、かえっていっそ印象的な記憶になるのだろう。いつだって、それはそれで面白いのが人生なのだ。

ナホトカの写真

ナホトカの
友人が先日、仕事でロシアのナホトカに行って撮ってきた写真。拝見してとても面白く、許可をもらったのでアップします。

対岸が港の方だろうが、その中央に突出する大きな岩の台地のような地形がとても面白く思ったのだ。誰だって、登ってそこからの景色を見たくなるような、何とも印象的な高台。おそらくある程度は人為的に平らにしたのではないかと思われる頂上付近には、何やら建物群が見える。写真を小さくしたのでちょっと分かりにくいが、ロシアという国情を考えると、おそらく軍事関係の施設かなと思った。

少し話しが変わるが、最近日本の古代史の本を読み漁っている。それも弥生から古墳時代のあたり。ようやく日本という国が、天皇を中心として固まってきつつあった時代だ。その読書で印象的だった本のいくつかに、古代日本海文化をテーマにした数回のシンポジウムの記録があった。

地図で見てみると、ナホトカは札幌よりも南にあり、大阪から飛行機で飛べばさらに近いくらいのところだったので驚いた。少し前までの日本地図には外国は載っておらず、韓国がほんとに近いところというのを地図で実感したのもまだ最近のことだ。縄文時代には日本各地に産出する石の刃になるサヌカイトなどが、日本海を越えて沿海州でも見つかっているそうだ。産地を同定できたので、つまりは日本海を越えて渡ったというわけだ。ナホトカあたりだと日本海のもっとも膨らんだところだから距離はあるが、まあ富山の対岸あたりと言ってよい。

さらには、おそらく海洋民族が主体であった日本の古代の港の風景をイメージすると、あちこちで最近見つかるようになった巨木文化の遺跡の一つで海際の高楼建築がある。まあ地上部は残っていないから高楼というのは推測だが、巨大な柱(跡)がたくさん発見されていて、海上に浮かぶ船からの、目印的な造形だったのではないかと言われている。昔ははるかに巨大で高かったらしい出雲大社なんかも、その推測の視野の範囲内だ。

ということで、そういう下地がこの写真を見て一種の私的感激として噴出したようだ。これは天然の要塞であり、見張り台であり、支配地を見下ろす王のために用意された天然の高殿だ。まあ、水の問題はあるからどこまでそうだったかは知らないが、若い頃訪れたギリシアで、十字軍時代のこういう海際の高台に築かれた城を訪れたし、そういうのが地中海沿岸にはたくさんある。ここは周りの山地がそれらに比べてはるかに遠くを取りまき、孤立した地形なので、きっと何とも絶景だろうと、自分がどこか古代の海洋民族の酋長にでもなったように感動した次第。