
奈良の古建築は、あと長弓寺を残すだけになったが、今日は別のことをはさもう。下は東京の友人が送ってくれたあじさいの花の写真。

この青色はとてもすてきな色だと思う。
(ただこの写真のは咲いてから少し経つか、土壌の具合か、すでにほんのりと赤みがある。本当に惹かれるのは、もっとぬけるような青色だが、送ってくれた人にはゴメンナサイ!)
あじさいの花は、咲いてから色が変わっていくが、この色から始まるというのもいい。「青春」という言葉もあるが、初々しさや、みずみずしくて清潔な風情を、花の時期も終えて汗ばんでくるこの季節になって、あらためて感じさせてくれるというのは、とても貴重なことだと思う。
ただ青色は自分の好きな色だが、青色と聞いてまず思いうかべるのは宮沢賢治だろうか。東北の寒気にきびしく共鳴し、冷たくて透明な深さをもった鉱物質の青色だ。でもあじさいの花のこの青色はだいぶ様子が違う。透明感より豊穣さがきわだつ不思議な青。
それではこの色に似ているというか、そこから連想するのは何だろうと考えていて、ふと思いついたのが、かなり唐突だが「青衣の女人(しょうえのにょにん)」。やはり前回の最後にふれた作家の井上靖氏の「お水取り」の文章に出てきた女性(の幽霊?)。「お水取り」と言えば、関西では春の到来を告げる東大寺二月堂の古くからの行事だが、他の地域の人だとあまりなじみがないかもしれない。
説明すると長くなるので、Wikipediaの「修二会」(しゅにえ)の項目からとりあえず一部を引用しておきます。
「また3月5日と12日の2回過去帳読誦が行われる。過去帳では聖武天皇以来の東大寺有縁の人々の名前が朗々と読み上げられる。
これには怪談めいた話がある。鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、
「など我が名をば過去帳には読み落としたるぞ」
と言った。なぜ私の名前を読まなかったのかと尋ねたのである。集慶が声をひそめて「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と読み上げると女は満足したように消えていった。いまでも、「青衣の女人」を読み上げるときには声をひそめるのが習わしである。」
勝手な引用だし、お水取りも含め、詳しくは上記リンク先でお読みください。井上靖氏の文章もほぼ同じような内容だったと思うが、何とも妖艶で深いロマンを感じさせる伝説だ。まああじさいの花となると季節はかなりずれるが、この女性(の幽霊?)が誰なのかまったく不明なまま、いまだにずっと読み継がれているというのもなかなかいい話しだと思う。

この青色はとてもすてきな色だと思う。
(ただこの写真のは咲いてから少し経つか、土壌の具合か、すでにほんのりと赤みがある。本当に惹かれるのは、もっとぬけるような青色だが、送ってくれた人にはゴメンナサイ!)
あじさいの花は、咲いてから色が変わっていくが、この色から始まるというのもいい。「青春」という言葉もあるが、初々しさや、みずみずしくて清潔な風情を、花の時期も終えて汗ばんでくるこの季節になって、あらためて感じさせてくれるというのは、とても貴重なことだと思う。
ただ青色は自分の好きな色だが、青色と聞いてまず思いうかべるのは宮沢賢治だろうか。東北の寒気にきびしく共鳴し、冷たくて透明な深さをもった鉱物質の青色だ。でもあじさいの花のこの青色はだいぶ様子が違う。透明感より豊穣さがきわだつ不思議な青。
それではこの色に似ているというか、そこから連想するのは何だろうと考えていて、ふと思いついたのが、かなり唐突だが「青衣の女人(しょうえのにょにん)」。やはり前回の最後にふれた作家の井上靖氏の「お水取り」の文章に出てきた女性(の幽霊?)。「お水取り」と言えば、関西では春の到来を告げる東大寺二月堂の古くからの行事だが、他の地域の人だとあまりなじみがないかもしれない。
説明すると長くなるので、Wikipediaの「修二会」(しゅにえ)の項目からとりあえず一部を引用しておきます。
「また3月5日と12日の2回過去帳読誦が行われる。過去帳では聖武天皇以来の東大寺有縁の人々の名前が朗々と読み上げられる。
これには怪談めいた話がある。鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、
「など我が名をば過去帳には読み落としたるぞ」
と言った。なぜ私の名前を読まなかったのかと尋ねたのである。集慶が声をひそめて「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と読み上げると女は満足したように消えていった。いまでも、「青衣の女人」を読み上げるときには声をひそめるのが習わしである。」
勝手な引用だし、お水取りも含め、詳しくは上記リンク先でお読みください。井上靖氏の文章もほぼ同じような内容だったと思うが、何とも妖艶で深いロマンを感じさせる伝説だ。まああじさいの花となると季節はかなりずれるが、この女性(の幽霊?)が誰なのかまったく不明なまま、いまだにずっと読み継がれているというのもなかなかいい話しだと思う。
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