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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

読書三昧-2

二つめは、
二年前に亡くなったユング派の臨床心理学者、河合隼雄氏の「子どもの宇宙」岩波新書。

久しぶりに氏の本を読んだが、さすがに岩波新書だからか、語り口はいつものままでも、内容構成がタイトで、端正にまとめられているのには感心した。まあここでは、とてもすばらしい本だということだけにして、ほかの感想はやめにしよう。その代わりに、氏がその中で紹介されていた本を紹介したい。これが三つめだ。

「トムは真夜中の庭で Tom's Midnight Garden」フィリパ・ピアス著 1958 岩波少年文庫

おとぎばなしを含め児童文学は、河合氏のあまたある著作のなかで、いろいろと紹介されているが、この本についての紹介は、氏の他の本でも読んだ覚えがあるので、多分二回目。別々の文章だが、二回ともていねいにあらすじを書かれていたので、実はこの本を読み始めたときにちょっととまどった。

というのは、河合氏が紹介されていた本だということはまったく意識せぬまま、図書館で借りてきていたからだ。最初の数ページでそのことに気がつき、一気に結末まで分かってしまったので、そのときはかなり残念な気がした。でも最後まで読み通してみると、やはりあらすじだけではぜんぜん予想もできなかった、何とも静かで深い感動に包まれた。

ただ、これはなかなか難しい本だとも思う。読みようによっては、まったくつまらないと思う人も、大人だとかなり多いかもしれない。「時間」がキーワードだが、SFのように理詰めで考えたりすると、一気に穴だらけで、かなりみすぼらしく見えてしまうのではないだろうか。

わたしは時間がとうとうと流れていくような大河ドラマ(TVではない)が昔から大好き。でもたった一人(二人?)だけの物語が、最後になって、こんなに遥かな長い時間を静かに味わわせてくれるような結末を迎えるとは、途中までは本当に思ってもみなかった。大きな円環がゆっくりと閉じるように物語は終わるが、これは自分にとって初めての、何とも不思議な体験であった。終わってみれば主人公の少年のほんの夏休み中のできごとなのに。

あともう一つ書くと、老女の心の中に潜んでいる「少女」の存在が、みごとなまでに生き生きと、そしてみずみずしく描かれているのがすばらしかった。そしてその結果として、そういう少女が間違いなく全ての女性の心の中に、普遍的に存在しているのだということを、物語の全体を通じて、心の底から納得するようなかたちで理解させてもらったように思う。

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読書三昧-1

シルバーウィークの報告の続き。
去年からテレビをほとんど見なくなったので、このところとみに図書館にはお世話になっている。たいていは地元の天王寺図書館だが、子どもたちの紙芝居を借りたころに始まり、それからもうずっと、月に一度くらいは行っている勘定だ。ちなみに司書には若い女性が多いので、行くたびちょっと心が温まるが、異動が多いのでまったく顔なじみにはならないのが残念。まあ、それでいいのだとは思うが。

閑話休題(かんわきゅうだい)
この連休も20日の日曜日に行ってきた。貸し出し期間は二週間だが、電話で一回だけ延長できるのでたいてい四週間(28日)借りる。今度はまだ三週間だったが、すでに全部読み終えたので、また新しい本を借りようと行ったのだ。

そのときに返した本も含めて連休中に20冊くらいは読んだろうか。図書館は8冊までだが、触発されて久しぶりに書店で買った本も何冊かあった。まったく読書三昧(ざんまい)という言葉どおりに、とても面白く濃密に秋の夜長をつぶさせてもらった。せっかくなのでその中からとくに印象に残った三つを紹介しよう。

まず一つめは、浅田次郎氏の「プリズンホテル」
これはすでにベストセラーの域かとも思うので、知っている人には坊主の耳に念仏だろうが、知らない人もいるとは思うので書いておこう。

実はつい最近だが私は浅田次郎氏フリークになってしまっていて、このところ図書館で毎回二三冊ずつ借りている。そして前回借りた中に「プリズンホテル 春」というのがあって、読んでみてから分かったのだが、これは四部作の最終巻。で、「夏」から始まる残りの三冊も、休みの間に一気に読んでしまったという次第。

ここで内容を書いてもしかたがないので紹介だけしておくと、昔風に言えば「ユーモア極道(ごくどう)小説」ということにでもなるのだろうか。ただこれはまったく的をはずれた形容だと思うので、単なる色合いの表示とでも思ってください。まあ確かに「やくざ」や「極道」は大いにからむ。「エロ・グロ」や「S・M」も多少の薬味になっていて、言葉は古いが「ウーマンリブ」の人たちなどは、髪が逆立つどころか蛇になり、メデューサになってしまうのではないかと心配するくらいのものだ。

それなのに女性のファンもかなり多いようだと聞かされると、あいた口がふさがらないというのが正直なところだろうか。だがすぐそのあとで「さもありなん」とも考えさせられるのが何とも不思議で面白いところだ。「男」の「野性」が出番もないまま極端にやせ細ってしまった現代において、強くてワイルドな心性にあらためて光をあてた痛快無類の物語とでも言ったらよいのかもしれない。

たださわりはそのくらいにして、感想の肝心な部分となると、とてもここには書く余裕がないし能力もない。真の主役はもしかすると女性の方なのかもしれないとさえ思うくらいで、上の感想もまだまだかなり的はずれなのは間違いない。まあ興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。面白いのは間違いないと思います。

秋の彼岸2009

シルバーウィークの報告。いつの間にこんな季節に連休ができたのかととまどった。お盆に一週間の休暇をとったばかりなので、あまりその気にもなれないまま終わってしまった感じ。

今年の自分の予定はなぜか今日、秋分23日に集中した。まずは朝8時半に起きて、城南寺町にあるお寺で彼岸(ひがん)恒例の施餓鬼(せがき)に参列(今回はあとに予定があったので、なんと一番に読んでもらった)。その後境内にある父の墓参りをしてから、そのまま自宅へとってかえし、ボーイスカウトの制服に着替えて東成警察署へ。午前10時半からの交通安全パレードのスタートに何とかぎりぎりで間に合った。これも恒例だが、去年までは彼岸の施餓鬼とは別の日だったので、年によって多少日が違うようだ。
東成交通安全パレード2009-1
東成交通安全パレード2009-2

昼の「弁当」(今はコンビニのおにぎりも多い)を東成市役所裏の公園で食べてから、午後はそのままスカウトたちと「カントリー大作戦」の催し。カン(缶)をトルということでカントリー。味付けなしで単刀直入に言えばボランティアのゴミ拾い。まあ一時間くらい(たしかにそのくらいが子どもたちの限界だった)だから、広い地域の全部は無理で、いつものように集合場所の公園から付近を周回した。連休最終日だからか、公園だけでもかなりのゴミが集まった。終わってから缶類だけを選り分けて記念撮影。
カントリー大作戦2009

では昨日まではというと、おかげで久しぶりに読書三昧をさせてもらったが、その報告はあらためて。

「新訂 日本建築」

予定を変えて今日は本の紹介。一昨日「長弓寺の断面図に戻ろう」と書いたではないかと怒る人もいるかもしれないが、このところ毎日という、初めての早いペースで書いていたが、実はこんなことは自分でも信じられない。今までを知っている方はもちろん、左下にあるこれまでの毎月の書きこみ数を見れば分かってもらえるだろうと思う。ということで今回は書いているテーマからちょっと離れて息をつきたい。

紹介したい本は「新訂 日本建築」。京都の学芸出版社からこの7月末に出たばかり。ただリンクページにもあるように「B5変判・480頁・定価7140円(本体6800円)」だから、かなり分厚くて値段も安くはない。なお「新訂(しんてい)」と頭につくのは以前出ていた原著があったからだが、わたしは残念ながらその本については知らない。前書(まえがき)などを読んで経緯を知っただけだ。

だから原著者のことはまったく知らないが、今回の新訂版の「著者」である妻木靖延(つまき やすのぶ)氏のことは、以前、武庫川女子大学で同じく非常勤講師をしていたときに、懇親会などで何度もお目にかかり、親しく声をかけていただいたのでお人柄などよく知っている。そして今回、この本の出版についての挨拶状を送っていただいたので、さっそく一冊買い求めた次第。

妻木氏は、略歴に昭和10年生とあるから(今回初めて知った)自分よりもかなりの大先輩であられるので、学生時代に原著に出会い、その感動をずっと持っておられたのだと思うが、私の学生時代にはすでに廃版になっていたのか、その本のことはまったく記憶にない。

でも学芸出版から送られてきた新訂版を手にとって開いてみると、まったく昔からこういう本があればなあと私も思っていたような内容で、自分にとってはすでにちょっと旬(しゅん)を過ぎているのが残念だったが、それでも部分的にはとてもおもしろく、興味深く読ませてもらった。そして、とりあえずでも設計事務所には一冊置いておくべきような本だと思った。

もちろん若い人たちにとっては、歴史的なことも含めて幅広い建築の実務の世界を、まるごと切り開いて見せてくれるような内容で、しかもヴィジュアルで分かりやすい。さらに細部はそれなりに深いところもあるから、確かにWEBの紹介文の「一生涯役に立つ、必携の書」という言葉にも素直にうなずけるところだ。建築に興味のある一般の方々にも大いに薦められるすばらしい労作だと思い、ここに紹介しておく次第です。

奈良の古建築-16:霊山寺-2

霊山寺から話しがそれてしまった。
ここの本堂もやはり新和様建築の代表的な遺構の一つ。時代も規模もほぼ同じだが、長弓寺が桧皮葺(ひわだぶき)なのに対して霊山寺は本瓦(ほんがわら)葺。あと扉の仕様や細部の意匠もかなり異なる。長弓寺の方が再建東大寺に導入された新様式の天竺(大仏)様の影響が強く、斬新で派手な感じがする。対して霊山寺本堂の方は、より伝統的で落ち着いた感じと言ってよいだろう
霊山寺本堂外観
ただこういう知識は長弓寺から帰ってから本で読んだので、このあたりや、先に霊山寺を知っていれば、長弓寺へ行ったときの落胆の気持ちや違和感も、かなり異なったものになっていただろうと思う。

霊山寺は、長弓寺に行ってしばらくしてから一人でたずねた。建築当時の状況やその後の経緯はよく知らないが、今は霊山寺の方がはるかに盛況の様子だった。何より平群(へぐり)丘陵の山ふところに抱かれた緑豊かな境内のしっとりとしたたたずまいは、なかなかすばらしかった。樹木はモミジが多くて南都のお寺では珍しいような繊細で濃密な感じの雰囲気。ちょうどまだ新緑のあざやかな頃で、まるで京都のどこかのお寺の境内のようだと思ったくらい。
霊山寺境内

加えてふもとの入口付近には、有名なバラ園やレストラン、銭湯?温泉?まであり、まるで一山全体が伝統的なレジャーセンターみたいになっている。さっき長弓寺とくらべて「盛況」と書いたが、より正確には「繁盛(はんじょう)」と書くべきだったかもしれない。ただ遊園地なんかとくらべて決定的に違うのは、やはり背景というか基盤には、おごそかな宗教が在るというところだろう。信仰あつい年配の人々などにとっては、盛りだくさんによくできていて、心の底まで洗われる、非日常的な癒(いや)しの空間になっているんだろうなと感心したが、同時に奈良の歴史や宗教の分厚さを、あらためて強く感じさせられた。

余談が長くなった。次回は長弓寺の断面図へ戻ろう。

奈良の古建築-15:霊山寺とゴシック

さてまた余談続きで恐縮だが、今回は長弓寺(ちょうきゅうじ)を書くときにとりあげようと思っていた霊山寺(りょうせんじ、りょうざんじ、れいざんじ)のこと。

三つも呼び名を書いたが、最初のが正式なもの。実はこの二つの寺の本堂は、ほとんど創建年代が同じだ。霊山寺は、棟木(むなぎ)の銘に1283年とあり、1279年の長弓寺の上棟からほんの4年後の上棟だ。しかも規模もほぼ同じで、今やともに国宝の和様密教建築。電車で行くと、両方近鉄奈良線の冨雄駅からバスで数駅の所だ。ただ駅からは近鉄線に直交して流れる冨雄川沿いは同じでも、北と南のちょうど反対側の位置になるが、まあすぐ近くと言ってもよいだろう。

このあたりが関西の奥行きの深さだと、今まで両方知らなくてびっくりした私は、ちょっと東京の連中に自慢してやろうと思ったくらい。とにかくこんな大そうな本堂建築の普請(ふしん)が二つも、ほぼ同時期に同じ地域で進んでいたということに、何とも言えないくらい驚いたのだった。

さらに飛躍した余談をはさむ。
昔ヨーロッパへ建築を見に行ったときのことだ。場所はフランスだったが、最初パリに着いて近代建築ばかりを見ていたものの、あまりにつまらなくて早々に切り上げパリを後にした。パリでノートルダムは見ていたが、それやアミアンの偉容を見てゴシック建築に感激し、そのあと地方のゴシック寺院をいろいろと見て回った。ゴシックはヨーロッパ中世の建築様式で、時代としては11~13世紀あたり、長弓寺や霊山寺も同時代と言ってよい。

旅行の時期はちょうど夏のバカンスが始まるくらいのころだったが、あるゴシック寺院で、付属の信徒会館か何かのホールのような広い場所で展示会をやっているのに出くわした。高校の学園祭などで見るような、大きなもぞう紙に手書きのマジックで地図や文字を書き、写真や資料を貼り付けてあるだけの稚拙(ちせつ)な展示だったが、そのうちの一枚の大きな紙の前でしばらく釘付けになった。

私の語学力では、大学で第二外国語がフランス語だったからといって、文章となるともはや「絵」を見るのとそう変わらないが、これは手書きで北西フランスの地図が書いてあり、その上にあまたのゴシック寺院の名前とその創建年代、工事期間などがそれぞれの場所に書き込んであるというのは理解できた。

びっくりしたのは、その数の多さと、工事期間の重なりようだ。石造だから工事も何十年とかかるが、確かほんの二百年ほどの間に、まったくおびただしい数のゴシックの尖塔(せんとう)が同じ平野のうちで同時に立ち上がっていく光景が読み取れたからだ。これはいったいどういうことなのかと考えながらしばらく茫然としていたが、徐々に体の内側から何ともいえないような感動が湧き上がってきて、不覚にも目が潤んでしまったのを覚えている。

奈良の古建築-14:長弓寺の印象

外観写真が出たので、話をはさむことになるが一応見学会のことを書いておこう。

少しゆっくりした円成寺の山門を出て、門前に復元されている浄土庭園の池を回って駐車場に着くと、もう四時ごろだったと思う。長弓寺はとくに予約もしていなかったので、最悪行けなくてもいいと思っていたが、何とかぎりぎりでもたどり着けそうなので、一同車に乗り込んで、道を取って返し一路長弓寺に向かった。

着いたのはもうほとんど4時半くらいだった。もしかすると閉まって入れないかもしれないと気持ちがあせり、拝観者もまばらのようなので、どこにあるかもよく分からない駐車場を探すのはやめて、とりあえず門の前に車を留めさせてもらい、広い境内を早足で本堂に向かった。

やはり残念ながら本堂の扉はすでに締まっていたが、伽藍というか建物の建っている敷地には自由に入れたので、まあ外観はゆっくりと拝見することができた。

ただその感想を正直に書けば、自分としてもあまり好ましいようなものではなかった。あの断面図を見たときの何とも流麗で繊細な印象はほとんど感じられず、鈍調さと同時に、正面から見て左右の軒のそりなど、何とも時代がかった大げさな感じばかりが鼻について、はっきり言って落胆した。

私でさえそうだから、若い人たちは尚更で、そのあと車をおいてから生駒駅付近で反省?会というか飲み会をしたが、他の建物の話がほとんどで、あまりよい印象はなかったようだ。

ここの長弓寺の冒頭で内部空間のことも書いたが、内部も見ることができていたらどうだったろうかと考えた。日本の伝統建築では、内部空間の自立性が独特というのが、これからここで書こうとしていることなのだが、その意味では内部も拝観できたからと言って、あまり印象に大きな影響はなかったかとも思う。でもやはり扉が開いていれば、柱と梁のフレーム(軸組じくぐみ)でできている構造体がよく分かり、屋根だけに注目せず、全体にもう少し軽くて明るい感じをもてただろう。

ただあのときに感じたこの大屋根の重量感と異様さの強い印象が、その考えをまとめる大きなきっかけともなったので、その意味では、扉の閉まった外観だけで終わったのはかえって幸運だったのかもしれない。

奈良の古建築-13:長弓寺-2

だからまあ、図面は「絵」とは違い、あえて言えば文章と絵との中間くらいの存在なのだろうと思う。知らない外国語の文字の羅列を見たときと同じようなもので、単語の「意味」が分からないと図面も「読め」ないということだ。

閑話休題(かんわきゅうだい)。
とはいえ少しずつ説明を加えれば意味も分かり、それなりに読んでもらえるとは思うので、もう一度あの断面図を今度は少し拡大してあげておこう。
長弓寺屋根拡大図

出典は同じ本の同じ図面だが、薄いグレーは私が塗ったもの。この色の部分がいわゆる屋根裏(天井裏)で、普段は人の目にふれないところだ。実は今回書こうとしている主題は、このグレーの部分をかかえた伝統建築の屋根についてのことだ。

でも一足飛びに話はできないので、少しずつ書いていく。まずは左手にある正面の軒の部分から見ていきたい。ただしこの図は建物中央部の断面なので、ここは向拝(こうはい)と呼ばれる、部分的に突き出した庇(ひさし)状の部分になる。外観写真をあげておこう。
長弓寺外観

学生時代の思い出

さて、前回の続きだが、少し余談。

一般の方だと平面図ならともかく、こういう断面図など見せられても、外形以外はおそらく何のことやらほとんど分からないだろうと思う。私だって学生時代にはそうで、確かまだ大学二回生の夏ごろだったかと思うが、設計演習で古建築の実測断面図の模写という課題があった。建物は銀閣寺の東求堂(とうぐどう)で、今なら最初期の書院建築の代表的な遺構であり、すばらしい建築だと知っているが、大学にも近い銀閣寺だが、東求堂はとくに拝観の対象にもなっておらず、私はその存在さえまったく知らなかった。担当教授も日本建築史の大家である川上貢(みつぐ)先生だったが、氏がどんな学者なのかも。

A1サイズの用紙一杯に描かれた大きな詳細断面図の青焼きを各自渡されて、それを同じ大きさでケント紙にそのまま模写するという単純な内容だったが、そこに書かれている線や四角などの意味がまったく分からないのには、本当に辟易(へきえき)した。少しは理解しようと取り組んだのだろうが、ぐうたらな私はすぐにあきらめてしまい、あとは単なる絵として割り切って、ひたすら書き写していったのを、なぜか今でも非常によく覚えている。やはりそんなことでいいのかという後ろめたさを、心の奥底にずっと感じていたからだろうと思う。

社会へ出たときもそう大きくは変わっておらず、早く詳細図を書かせてもらいたいとは思っていたが、建築詳細図をあつかう専門雑誌「ディテール」を開いても、まだ半分くらいしか図面を理解できなかった記憶が残る。

奈良の古建築-12:長弓寺-1

懸案だった長弓寺。春の古寺巡りで唯一書き残していた寺だ。そもそも最初にあの見学会をやろうということになったきっかけは、一番最初に書いた民家の「中家」を見に行こうと私が言い出したことだったが、その次に決めたのがこの長弓寺だった。

なおこのシリーズでは、伝統建築について少し踏み込んだことを書こうとしているので、建築の専門用語や図面も交じるし、わたしの文章力では理解しにくいところもあるかもしれない。古建築や建築にあまり興味のない方は読み飛ばしてもらってもけっこうです。

さて数年前から仕事で、あるお寺の計画に関わっているのは、ここにも少し書いたかと思う。そのために古建築の文献や写真、資料などを読み漁っていることも。その中の資料の一つにこの長弓寺本堂の実測断面図がのっていて、二次元ではあるが、その断面のプロポーションの美しさに目を奪われたのが、ここに行ってみようと思った直接の理由だった。

一般の方には、図面だと分かりにくいとは思うが、とりあえず下にその断面図と、参考に縮尺が違うが一応、平面図もあげておきます。
長弓寺図面
全体として低く構えた水平的な空間の上を、流れるようになめらかな大屋根が覆っている。微妙な屋根のそりが外観を整え、軒先から室内に続く天井の勾配の切り替えが何とも精妙なバランスを保ちながら、異なる諧調をとって内部空間を組み立てている。そしてこれらがあいまって、全体としては何とも優美な姿を造り出していると思う。

この本堂は国宝。鎌倉初期にあった史上二回目の建築様式の大移入期を経て、日本の中世は、いわゆる和様の仏殿建築が徐々に熟成し完成していく時期にあたるが、そのもっとも早い時期の新和様寺院建築の一つ(新和様と書いたのは、平安時代に熟成をとげたそれまでの和様建築に対して、中世以降のものがそう呼ばれることもあるから)。残っている棟木の銘によれば1279年の上棟だが、平安末に平家の焼き討ちにあった東大寺の再建に力をつくした重源が、自身で移入した天竺様(今は南大門のみ残る)の影響も間近に受けて、新たな一歩を踏み出した記念すべき和様建築だ。