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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

カニンガムハウスと回帰草庵

前回、あまりに漫然とした文章だったかもしれないので、少し補足しておきたい。実は四年ほど前、東京の根津美術館脇にあるアントニン・レーモンド設計の「カニンガムハウス」を見学したことがあった。戦後、日本の音楽教育に多大な貢献をされたカニンガム女史の住まいだった建物で、今は財団?の管理になっていて、練習会や小さな演奏会のためなどに使われている。
カニンガムハウス-1

見学したときは、まず丸太組やベニヤの内装などがなつかしく、居間は片流れの天井に覆われた大空間だが、グランドピアノが置いてあるくらいだからと、広さについてはそれほど意識もしなかった。それよりも置いてある家具が、レーモンドとノエミ夫人の手によるものばかりで、そちらの方に目を奪われがちだった。
カニンガムハウス-2

ただ、先日の「40畳」の話で、石井先生とレーモンド事務所時代の思い出が一緒になって、軽い化学反応をおこしたようだ。振り返ってみれば、「カニンガムハウス」には丸太の他に鉄板製の暖炉もあり、内装は徹底してロータリーベニヤ張りで、障子もある。何より片流れの大空間で、文字で書くと回帰草庵と同じようなことばかりになってしまう。。回帰草庵はロータリーベニヤではないが、板張りの内装部分が多いから、雰囲気も似ており、カニンガムハウスの見学時にも回帰草庵のことをちょっと思い出したりした記憶がある。
カニンガムハウス-3

まあカニンガムハウスの居間の正確な広さについては知らないが、「40畳」と聞いても驚かないくらいのスケールはある。丸太や障子などを使ったいわゆる「レーモンドスタイル」のボキャブラリーは、当然吉村順三氏を通じて石井先生にも伝わっていたとは思うが、その間をつなぐ吉村氏の空間には、こういうたっぷりした容量を、一種の迫力として感じさせるようなスケール感はあまりなかったように思うのだ。

下は、回帰草庵(新建築誌の写真。プランの手前半分ほどは2階がかぶさっているので、向うにある片流れの吹き抜け空間が見えていないのが残念)。
回帰草庵

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二つの40畳

前回の北澤氏の講演で、印象的だったことを一つ。あの12角形の部屋の大きさが「40畳」だと話されたことだ。40畳といえば20坪。狭小敷地でもありえる大きさで、住宅の一部屋の大きさとしてはかなりのものだろう。でも私の記憶の中には、もう一つの「40畳」の部屋がある。それは今は亡き師匠、石井修先生のご自宅の居間(食堂)だ。この家の雑誌発表時の名前は「回帰草庵」というので、以下その名前で呼ぶ。石井先生主宰(しゅさい)の美建.設計事務所で、私もたくさんの住宅設計に関わったが、この回帰草庵の「40畳」がよく先生の話しに出てきた。ご自分の住まいなので、その広さを詳細なまで具体的に感覚されていて、常に部屋の広さの一つの基準になっていたのだろうと思う。

話は変わるが、レーモンド事務所の北澤氏よりさらにずっと先輩に、これも今は亡き吉村順三氏という建築家がおられるが、実は石井先生は、その事務所におられたことはないものの、吉村氏に対して師としての尊敬の念を持っておられたと思う。次の話は石井先生から直接聞いたわけではないが、あるとき吉村氏が回帰草庵を訪問され、入るなり、たしか「まるでアメリカだね」とか言われたという記事をどこかで読んだ覚えがある。そこにはおそらく部屋のスケールのこともあっただろう。まあ石井先生とレーモンドには、直接の関わりはなかっただろうが、先生は少なくともマスコミを通じてレーモンドの作品にはふれておられただろうし、吉村氏を通じて話しは聞いておられたはずだ。

もちろんこういうような関係と上にあげた二つの「40畳」にはあまり関連はないと思うが、「40畳」つながりでいろんなことが頭の中を横切って行ったので、メモ代わりにでも書いておこうと思ったのだ。でも今回は、建築設計業界以外の人には、まったく意味不明の話になってしまった。

ヤマライブラリー見学会

先週の土曜日、JIA(新日本建築家協会)の住宅部会の見学会があって、わたしも飛入りで参加させてもらった。大学を出て最初に就職したレーモンド設計事務所の大先輩である建築家、北澤 興一(こういち)氏の作品の見学と、そこでの講演会ということだった。

氏は自分にとっては大先輩すぎて、お目にかかるのは初めて。ただ先輩を通じて、またマスコミを通じてお名前はよく知っていた。また氏は、レーモンドが高齢でアメリカに戻って引退する寸前の最後の直弟子といってもよい方だが(これは今回のお話しで初めて知った)、その帰国のときにレーモンドから、それまで毎夏、彼と一緒に「合宿」してきた軽井沢の山荘(スタジオ)を買い取られ、それからもずっとていねいに保存して、大事に使われているということも聞いていた。

まあ毎年、7月の第一週の火曜日から9月の第一週の火曜日まで軽井沢に移り、そこで仕事をしていたというのはわれわれからすると何とも贅沢な限りだが、レーモンドは戦前からずっとそういう暮らしをしていた。だからその山荘というか住宅兼スタジオも、北澤氏が買い取られたものは二代目で、初代のものは、今も残っているが、すでに他に移築されて「ペイネ美術館」となっている建物。ちなみにその初代スタジオの往時の写真は、なぜかフランスの巨匠ル・コルビュジェの作品集にも載っている(事情は長くなるのでここでは書かないが)。

この建物はレーモンドの帰国後、某生命会社の手に渡ったものの、いつか使われなくなって旺盛に繁茂する自然の林の中に埋もれてしまい、移築前には敷地ごと廃屋寸前の状態になっていた。私はちょうどその頃に、一度訪れたことがある。今となっては本当に夢の中のような景色だが、うっそうとした林の中の小道をを伝い、ようやく建物にたどりついて中に入った瞬間、一面に黒々とにぶく輝く板壁や柱など、木材だけでできた空間の重低音のような迫力に、思わず息をのんだ記憶が今も鮮明に残っている。

北澤氏所有の「第二スタジオ」は、今まで訪問する機会もなかったが、何と今回見学させてもらった作品における施主の要望は、それとまったく同じものを作ってほしいということだったそうだ。それを聞いたときにはすでに正12角形平面の大きな空間の中に入っていたが、あらためてあたりを見回し、何ともいえないような気分になった。
ヤマライブラリー

自分にとってはとてもなつかしくて親密な洋風の丸太造り。大きくて大らかで素朴、それでいてとても端正な空間。施工もすごくていねいで、見事な出来ばえだった。その空間でしばらく北澤氏のお話しをうかがったが、スクリーンを使い写真を交えながら、主にレーモンドとの思い出話を本当にたっぷりと聞かせていただいた。自分にとっても関係の深い、なつかしい写真やお名前などが次々と出てきて、二時間近くにわたる熱をおびた講演だったが、終始雰囲気は静かなままで、わたしは最初から最後まで一人でずっと、甦ってくる思い出にひたっていた。