松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

セルビアの修道院

先日の夜、たまたまテレビをつけたらNHKで世界遺産を紹介する番組をやっていた。バルカン半島のコソボにある、12か13世紀に建てられたキリスト教の修道院が対象だったが、内容に興味をひかれて結局そのまま最後まで見てしまった。

10年ほど前までのユーゴスラヴィア紛争は、なんとも痛ましいできごととして記憶に残っているが、コソボはそのときの焦点になった場所のひとつだ。ただ当時、新聞で多少は読んでいたが、長期にわたる激しい紛争(焦点を移しながら10年くらい続いたか)で、途中からまじめに読むのがつらくなって、見出しくらいしか眺めなくなり、内実については未だにあまり知らないままでいる。番組も修道院そのものよりも、どちらかというとそれが現在置かれている非常に特殊な状況をテーマとしているようだった。

バルカン半島は、第一次世界大戦の引き金が引かれた場所でもあり、「世界の火薬庫」とまで言われるほど民族紛争の絶えない土地であることは知っていた。ただそれがどうしてかとなると、高校の世界史の時間からずっと、いまだに自分にとっては謎のままだ。番組では、互いに血を流しあった結果勝利したアルバニア人と、負けて少数派になったセルビア人の両方の様子が、別々に現在形で取材されていた(確か一昨年の番組の再放送)。この修道院はセルビア正教だが、ここにも国際部隊が駐留して厳戒体制がしかれたままで、未だに憎しみと悲しみは消えていないようだった。

わたしにとってはアルバニア人やセルビア人と言われても、外見ではまったく区別もつかない。ただナレーションで言語が違うと説明があり、また宗教が違うのはすでに知っていた。アルバニア人はイスラム教。セルビア人はキリスト教でギリシア正教の一派になる。

実は今日は、このことを教えてくれた本の紹介のつもりだった。

ただ上のことを書いてからユーゴスラヴィア紛争についてWEBで検索してみると、あるわあるわ本当におびただしいほどの情報や描写が出てきて、しばらく読んでいて息が詰まりそうになった。アルバニアやセルビアはもとより、ボスニア、クロアチアなどよく知らない言葉に導かれるまま次々に検索していくと、信じがたいというか信じたくないようなことがいっぱい出てきて、耐え切れなくなって途中でブラウザを閉じた。

本当に「パンドラの箱」を開けてしまったような気分で、今もいる。

確かギリシア神話では、フタを閉めようとする寸前、最後に「希望」がまだ残っていて、そっと出してあげたはずだったが。

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かんでん 住まいの設計コンテスト

関西電力主催の「かんでん 住まいの設計コンテスト」というのがあって、昨年竣工した「千里山東の家」が佳作に入賞した。昨日その表彰式が、中之島の西端あたりの、名前も中之島プラザというビルであり、行ってきた。

ここは昔勤めていた事務所のあったところからもすぐ近くで、駅から歩きだして何やらなつかしい気持ちになったが、自分が辞めてから、JRは東西線が開通して新福島駅ができ、阪神も路線が地下化。最近では付近のロイヤルホテル前まで京阪の中之島線が延伸してきて、このあたりも大分雰囲気は変っているはずだ。確かにあちこちに高層のビルやマンションが建っていて、時の流れを感じさせてくれた。

会場のビルは、どうやら関西電力グループの迎賓館のようなところで、その最上階が会場だった。ロビーから最初に案内されたのは、会議室というか広いプレゼンテーションルームのような部屋で、メンバーは進行係りの数人の社員の人たちやカメラマンをのぞくと、五人の審査員とわれわれ八人の表彰者だけ。審査員席に対面する形で横並びに、机に名札が置かれて各人の席が用意されていた。

最初に表彰式があって、続いて同じ部屋で、机を動かし模様替して座談会。まあ表彰作品の発表会のような感じだったが、慣れていない私はあまりうまく喋れなくて残念だった。あとは隣の宴会場のような窓も大きくて広い部屋に移り、三つのテーブルに別れて食事をいただきながらの懇親会。都合4時間半ほどだったが、あまり慣れない雰囲気に意外に疲れたのか、そのまま事務所にも寄らずに帰宅した。

でも主催企業の名前がつく冠コンテストなので、電気に関してかなりこだわった賞なのかと思ったりしたが、そうでもなくて、審査員からは建築やデザインについての率直な評価も聞かれた。今や関西の地盤では希少な賞だから、これからも息長く続けていっていただけたらと思う。でも昨日は、関電の方々や審査員諸氏をはじめ、他の表彰者の方々も含めて、いろいろとお世話になりました。ここであらためてお礼を申し上げます。

トルコ旅行 断片-1

トルコ旅行についてもう少し書いておきたいのだが、何を書くか、なかなかまとまらない。とりあえず思いつくまま書き出してみよう。

今回の旅でもっとも印象的で感動したのは、すでに書いたアヤソフィアだが、実は飛行機がアリタリア航空で、往復ともイタリアのローマ空港でトランジットした。行きはスムーズな乗り継ぎでイスタンブールへ飛んだが、帰りはローマ空港で6時間ほどの余裕があった。事前に予定表で知っていたので、ローマも少し見たいなと思い、終着駅テルミニの駅前なら空港から直行の急行電車もあって時間も大丈夫だろうと、その付近の遺跡や寺院で何かないかと物色した。すると前のイタリア旅行のときにも見ていなかった、ミケランジェロがローマ時代の古代浴場を改装した教会があるのを知って、そこを見に行くことに決めた。
サンタマリア・デリ・アンジェリ-1

まあ出発前には、もし予定が順調ならというくらいの軽いノリだったが、幸運にも実際に訪れることができた。そしてこれが何ともすばらしかったのだ。アヤソフィアと同じローマ時代の建築が骨格だが、とにかくそのスケールにはあらためて圧倒された。でも行く前に調べている余裕もなく、現地で書いてあった説明文などもイタリア語でよく分からず、帰ってからもまだ調べていないので、ここで書くのはまだ無理だ。ただ自分は古代ギリシアの文化に比して、古代ローマ文明には今まで偏見というか、かなり軽く見ていたところがあったので、アヤソフィアとあいまって、自分にとっては本当にすばらしい経験をさせてもらえたと思う。目からうろこが落ちた。
サンタマリア・デリ・アンジェリ-2

帰ってから、とりあえず昔読んだ本でトルコというか「小アジア」のことに関連する本を引っぱり出してみた。わたしは昔からのギリシアファンだから、やはりその範疇のものばかり。トロイにも行ったので、まずはホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」、そしてヘロドトスの「歴史」、クセノポンの「アナバシス」が見つかった。

ただ以上の本はみんな古代ギリシアのものなので、アヤソフィアの時代には、すでにそれより千年以上昔の本ばかりだ。アヤソフィア自体も今から1500年ほど昔のものなので、それを考えていると、ちょっと気が遠くなるような思いを味わった。

冬山登山2010須磨アルプス

久しぶりにボーイスカウトの活動。今回は六甲の西端、通称、須磨アルプスというところへボーイ隊が行くのにつきあった。

もうかなり以前、まだ勤めていた頃だが、仕事でつきあいのある工務店のM社長が、昔エベレストへ登ったことがあるというので驚いたことがあった。まあこちらはまだ若く、仕事上のつきあいだしそんなに立ち入った話しは聞けなかったが、しばらくして、老後の準備のために六甲の縦走路に行ってきましたと余談に話されたことがあった。神戸市垂水区の塩屋駅近くで、設計した住宅の工事をしてもらったことがあったので、今から思うとそれにかこつけてのことだったかもしれない。

昨日の登山はまさにそのルートだった。JRで塩屋駅まで行き、そこから少し町中を川沿いに登って右手の細い住宅地の道へ入っていく。そしてその頃にやはり仕事の関係で訪れたこともあるなつかしい「少年の街」という児童養護施設の脇を通って最初のピーク旗振山へ。途中に「六甲縦走路→」と書かれた標識がいくつも出てきた。

昨日は雪はなかったが天候に恵まれ、このルートはあちこち眺望抜群で、旗振山は標高200m弱しかないが、正面には淡路島、左手には神戸から大阪湾の全貌と、はるか彼方には昨春行った友が島まで見え、右は明石海峡大橋の偉容を眼前に収めることができた。
鉄拐山から
そこから北東の234mの鉄拐山(てっかいさん?)まで山伝いに歩き、一旦高倉台という住宅地へ下りた。ここも元は山だったところで、崩してポートアイランドに土を運んだそうだ。ここで水を確保して次の栂野山(とがのおさん 274m)へ。山を崩したためか、登山路として続いてはいるがかなり乱暴で、鉄拐山から一気に下りるが、延々と続くコンクリートの細い階段。反対側でも「400階段」という異名までついた同じようなコンクリートの階段を一気に登らされた。

ようやく着いた栂野山頂上で昼食。この日は残念ながら車の別働隊がいないので、おにぎりと、持って行った灯油コンロでお湯を沸かしてラーメン。まあ何であれ、こういう時はとてもおいしいのだ。本当に何かに感謝したくなるくらいに。

須磨アルプス馬の背-1
そこからその日のピーク横尾山(312m)まで山伝いにすぐ。三角点を確認して東へ向かい、そのままいよいよクライマックスの「馬の背」へ。「ここからは注意してください」という看板が上っている。尾根の花崗岩が露出した状態で、なかなかすごい。かなり緊張する場面だが、入る前に上の記念写真を撮っていると、後ろから来た70歳は過ぎているだろうと思われるおばあちゃんが、背中を曲げ杖をついて何でもないようにトコトコと先に歩いて行く。みんな口には出さなかったがちょっと水を差された感じだった。まあおかげで肩の力が抜けた。

須磨アルプス馬の背-2
馬の背を抜け、反対側への注意看板を見つけて、ようやく終わったかとホッとする。あとは下りて帰るだけだ。六甲縦走をする人たちは次のピーク高倉山を目指すが、われわれはそのまま板宿の方へ下りた。それでもかなりのアップダウンがあったので、今日は足がかなり痛い。年をとると三日目になって出てくると聞いたことがあるが、確かに今まで翌日は大したことがなかった。明日はどうだろうか。