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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

法華寺の花

法華寺のサンシュユ-1
先週、仕事の参考にするための調査で奈良の法華寺へ行ってきた。聖武天皇の奥さんである光明皇后ゆかりの天平時代の尼寺だ。前から一度行くつもりでいたが、奈良市役所で打合せをした帰りに、少し時間があったので足を延ばしたのだ。まあ仕事のことはともかくとして、庭園があるというので、そこにもついでに寄ってきた。でも期待していたような伝統的な造園によるものではなくて、小さな植物園のようなところだったが、春到来でいろんな花が咲いていたのでUPしておこう。小さな池があり枯れたハチスが見えたので、ハスがこの庭の主役かもしれないと思ったが、もちろんそれはまだ形もなかった。
法華寺のサンシュユ-2
挙げた写真は一番見事だった花で、二枚とも同じサンシュユ。最初の写真で向うに見えるのは浴室。蒸し風呂で、すぐ右には大きな井戸があった。ただせっかく解体修理までしたのに、もはや使われず、中も見学できないというのは残念なことだ。税金を使って何のための修理なのだろうかと思う。
閑話休題。この花を見て、一緒に行ったスタッフにはマンサクだろうとか適当なことを言っていたが、帰って調べると違っていた。

写真がたくさんあるので、あとのはサムネイルにしておきます。ご興味があればご覧ください。

・次の写真は、ユキヤナギ。ここのはどうやら、ほったらかしと言ってもいいのかどうか、花が終わっても切ってしまわないからだろうと思うが、やたら大きい。背丈以上もあるくらい。でも豊穣さが際立って今はさすがに見事だ。これもまだ花房が細いので、これからもっと豊満な白い塊になるはずだ。ただ花の時期は見事でも、枯れた時などはどうかしらと思うが、まあ広い境内なのでいいのだろう。
・二枚目は珍しいというか、自分も初めて知った紅花のユキヤナギ。と言っても、写真でも分かるように、ほとんど白で、わずかにピンクがかっているだけだ。表記があったので分かったが、それを読むまでは「何やろう?」と思っていた。
法華寺のユキヤナギ 紅いユキヤナギ

・次はレンギョウ。早春の花で黄色いのは多いが、その代表選手かもしれない。荒地にも強いので、造成住宅地の斜面などにパイロットプランツとしても植えられる。大阪の泉北ニュータウンのは大規模で、私の記憶にも残っている景色だ。
・二枚目はハクモクレン。他に八重のもあって小ぶりなのでコブシかなと思ったら、表記にやはりハクモクレンとあった。
・もう一枚、これは珍しいカンヒザクラ(寒緋桜)。沖縄のサクラだ。向こうでは桜というとこれになる。さすがに早い
法華寺のレンギョウ 法華寺のハクモクレン 法華寺のカンヒザクラ

最後はツバキ。何本もあったが、総じてこれ(椿)が一番満開だった。とくに一枚目のはすさまじいほどの落花で、最初はあぜんとさせられ、思わず笑ってしまいそうになった。昔、母の実家の近くに椿の大木が何本もあり(赤花が多かった)、いとこの女の子から、花の蜜を吸うとおいしいと教えてもらったときのことを思い出した。
法華寺のツバキ-1 法華寺のツバキ-2







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ユキヤナギと梅の花

ユキヤナギ2010
今日、奈良の法隆寺近辺で撮ってきたユキヤナギ。実は先週の土曜日に事務所裏の公園でも撮ったが、携帯だったのであまりよくなくてUPしなかった。今日は少し肌寒かったが、この花を見ると、いよいよ春が本格的に始まったという感じが毎年する。

まあ、先週のもそうだったが、この写真はまだまだ満開ではない。そんなに花期は短くなく、サクラの頃にもまだあって、盛期には豊穣感があるくらいに一杯、たわわに花をつける。あちこちに植えられているので、まぶしいほどに豊かな白色が毎年印象に残るが、いつの間にか花が終わり散ったのを見つけると、今年もすでに春爛漫の季節になったかとあらためて気がつく。私にとってこれはそういう花だ。

あと今日は電車の窓から、ハクモクレンとコブシの花が満開なのを見た。写真は撮れなかったが、同じ白い花でもユキヤナギとは違って高木だし印象もまったく違う。別々に見つけたが、まだまだあたりの樹木に緑は少なく、それ自体も葉の緑はまだ出ていないので、ともにどこか孤高な感じがする景色だった。眼にしたのは一瞬だが、とくにコブシの花は、同じ科でもモクレンの花のように厚みや大きさがなくて比較的可憐だから、少女の風情もあって、清純な白色が眼にしみた。

最後はこの日曜日に行ってきた大阪城公園の梅林の花。ボーイスカウトのビーバー隊の活動につきあった。でもこちらはすでに花期の終わり。先日の雨でかなり散ってしまったそうだが、この日は天候もよくて、花の香りも十分楽しむことができた。陽気のせいか子どもたちの顔も、香りと花の色に照り映えて、春到来にふさわしい、うららかな活動になった。
大坂城の梅の花2010

昨日の補足

本の表題に「500年」とあるが、これはかなりの時間だ。14世紀半ばから19世紀半ばくらいだから、日本ではちょうど室町時代と、間に戦国時代をはさんで、平和な江戸時代全部を合わせたくらいの期間になる。だから中の描写が、ある程度大味になるのは仕方がないだろう。不平を言っているのではなくて、一冊という制限で、よくコンパクトにまとめられたなというのが正直な感想だから、賞賛の気分がある。ただし、これは読む方が飲み込むのにたやすいような時間ではないのも確かだ。その間の時間の変遷について、まだあまりよく感じがつかめないが、これもまあしかたがないだろうと思う。

オスマン・トルコと言っても入試で世界史をとらなかったので、読む前にはほとんど知らなかった。ウィーンが陥落寸前まで追い込まれた事件があるが、これは高校の世界史の教科書で、小さな挿画とともに紹介されていたのが記憶に残るが、その相手がオスマン・トルコだったというのを知って、新鮮な感じで驚いたくらいだ。

まあこの本で目からうろこが落ち、非常に面白かった理由の大きな一つは、この本が今まで知っていたようなヨーロッパ側からではなくて、あくまでオスマン・トルコ側から書かれているということだと思う。そこではハプスブルグ家やべネチアが、国際的な外交の舞台に主役級で登場はしてきても単なる端役に過ぎず、オスマン側からの描写でしか出てこない。その内実はまったく暗幕に隠れてほとんど見えないままだ。思えば、高校の世界史の授業で出てきたオスマン・トルコは、まさにそういう存在であったように思う。

オスマン帝国500年の平和

先日のセルビア修道院の記事のときに紹介しようと思っていた本。バルカンの話で気勢をそがれることになってしまったが、やはり書きかけたからには紹介しておこうと思う。

オスマン帝国500年の平和 興亡の世界史(10) 林佳世子 講談社

もう半月近く前に図書館へ行って偶然目について借りてきた。今のトルコの大部分は小アジアという名前で呼ばれていたが、このあたりのことは、以前書いたように古代ギリシアの時代は多少知っていても、東ローマ帝国も衰退した中世以降、近代までとなればほとんど知らなくて、トルコから帰って残念に思っていた。だから帰りに入った食堂でカレーを食べながらすぐに読み出したが、本当に一気にひき込まれた。薄くはない単行本だが、そのまま三日ほどかけて読みきってしまった。

とくに前半3分の一ほどは、知らなかったことばかりが次から次へこれでもかと出てきて、目から厚いうろこが何枚も落ち、めっぽう面白かった。文章の叙述もそういうのをあおるのがうまくて、本当にのせられてしまった感じさえする。まあ、ある意味ではまだ英雄たちの時代であったのだろう。小アジアに乱立する小国というかその部族の一つでしかなかったような「オスマン侯国」が、オスマン家に輩出したカリスマ的な王たちによって、あれよあれよという間に大オスマン・トルコ帝国を築き上げていく。そのストーリーは、へたな小説よりも数段おもしろかったし、事実なだけに感慨も深いというわけだ。

でも後半はそのオスマン帝国が、「帝国」の宿命かもしれないが、多数の官僚が動かしていく、個人を超えた自律的なシステムみたいになってしまい、あまり面白くは読めなくなった。そして日本でも戦国期からようやく統一をなしとげ、一気に成熟をとげた江戸幕府を頭に思い浮かべたりした。やはり長期の安定政権だが、期間のわりには将軍の数人と、改革に手をつけた大老や老中の名が目立つだけで、政治的な叙述となるとやはり大しておもしろくはないだろう。ないものねだりは承知で書くが、後半は政治から別の分野へはっきり焦点を移してみればと思ったりした(多少はそういうことも書いてあったが)。

ただ最後の方で印象的だったのは、近代国家となったイギリスやフランスを筆頭とするヨーロッパ列強が、獲物を狙う猛獣のように手爪を出し、同時に口も出しながら、オスマン帝国の諸地域に概念的な民族主義を吹き込んで、あおっていったということだ。このあたりは見方によって印象もかなり違うだろうが、確かに無残な話で、この本の著者はそういう手管に対してはっきりと批判的なのが垣間(かいま)みえ、それも含めて印象的だった。それはバルカン紛争へもそのままつながっていくわけだ。でも列強のパワーゲームの道具となったそういう民族主義に対して、批判はともかく著者自身の立つ位置がどのあたりにあるのか、あまりよく分からなかったので、それは少し残念だった。

千里山東の家の取材

千里山東の取材-1
先日ここにも書いたが、「かんでん住まいの設計コンテスト」で入賞し、昨日はコンテストの紹介冊子を作るために現地の撮影と取材があった。私も付き添いというか立会うために、久しぶりに対象となった「千里山東の家」に行ってきた。昨年末に補修のことで行く機会があったのだが、そのときは体調を崩していて、スタッフに代わってもらったので、私自身は3ヶ月ぶりくらいになる。取材陣は、授賞式にも来られていたカメラマンと編集者が二人。始めに挨拶と双方の紹介をしてから取材陣に一通り内部を案内し、それから撮影が始まった。

わたしは若い女性の編集者Iさんや施主ご夫妻とともに広間に残り、インタビューが始まったが、住み心地には満足していただいているようで、なごやかで穏やかな時間がゆっくりと過ぎていった。横に座ってはいたが、あまりコメントをはさむような必要や余地もなかったように思う。わたしは技術的なことを少し話したが、余計なことを言う必要もなかったかと、少し後悔したくらいだった。竣工後にいれた蓄熱暖房機の具合が少し心配だったが、これもとてもうまく行っているようなのでホッとした。

予定時間より少し早く取材も終わり、取材陣を送り出したあと広間に戻って、年明けのトルコ旅行のことをしばらくお話しした。施主のS夫妻が、以前から一度トルコへも行きたいと思っておられると聞いて、旅の感想などのよもやま話をしてきたのだった。
千里山東の取材-2

余談だが、私にとって昔から「建築」は、一種の「生き物」という思いがあって、場合によっては本当に頭があったり足があったりもする。もちろん自分のイメージの世界の中でのことで、生物にも四足から単細胞生物までいろいろあるように、具体的でも単純なものでもないが、いろいろと格闘しながら自分の中でプランがまとまっていくうちに、いつもなんとなく「生物」としての組み立てのようなものが、形と同時に一種の秩序としてできあがってくる実感がある。

そしてそうなれば、オスとメスの区別もあるのかもしれない、と考えるようになったのはまだ最近のことだ。私は他の人と比べて、施主の要望を注意深く聞き、私なりにではあるがそれを忠実に実現していこうという性向が強いと思うが、それはどちらかというと女性的な傾向といってもいいかもしれない。一旦すべてを「受け入れる」という意味において。

この住まいの設計は、施主夫婦がお二人とも働いておられ、ともにそれなりの地位もあってかなりの激務だから、「癒し」という気分は最初から自分の頭にあった。だからよけいに女性的と思うのかもしれないが、この住まいをあえて「彼女」と呼ばせてもらおうと思う。そして、彼女が末永く幸せに、自分の寿命をまっとうして生きていってくれるよう、あらためてここに祈りたいと思う。

最後になりましたが、快く取材を承諾していただき、貴重な休日の時間をさいて、おつきあいいただいたSご夫妻には、心からお礼を申し上げます。