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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

管理建築士講習会

管理建築士講習会に行ってきた。

あの姉歯事件の影響は、いろいろなところに及んでいて、まず建築基準法が改正され、確認申請の手続きが煩雑化、長期化して騒ぎになったのはまだ記憶に新しい。、同時に建築士法にも大幅に手が加えられたが、その結果の一つとして、今日のような管理建築士講習の受講が義務づけられた。

「管理建築士」というのは、「建築士事務所」登録のときに代表として記載される、その事務所でトップである建築士のこと。実務上の統括者というような意味だと思う。建築士が大勢いる組織事務所でも業務上の書類に記載されるのはこの人の名前だけだ。うちのような小規模事務所だとイコール経営者で、名実ともに事務所のトップだが、経営者である「開設者」と管理建築士が別のところもある。建築士制度ができたときに、すでに年配だった工務店の経営者や大工さんなどの人たちのことを配慮したのだろうと思う。この場合は、事務所のトップは「開設者」となるのだろうが、補佐する管理建築士がおれば、当人に建築士の資格は不要だ。

このあたりが、姉歯事件でもクローズアップされたが、業界で「名義貸し」が横行していた理由だ。もともと建築士の数だけ事務所があるわけではなく、管理建築士として登録しているのは、全体からするとほんの一握りでしかない。また昔は「人格に付与された」資格だったそうで、一度受かれば終身的なものだったが、自分がトップでないかぎりその資格を使う機会はない。だから組織事務所に勤務しておれば、大半の人が一生ほとんど眠ったままの資格でしかなかったわけだ。

私も昔勤めていた時に、一度名義貸しの打診を受けたことがあるが、予想以上にアルバイトとしては「おいしい」金額だった。まあ私の場合はすでに独立を考えていたので、丁重にお断りしたが、大きな組織事務所ともなると、眠っているだけの建築士資格はいくらでもあり、終身雇用に甘んじるつもりなら、せっかくの資格を貸さないと損というような状況であった。

だから今回、そのあたりを含め建築士法が大きく改正され、それを周知徹底するために今日のような講習が義務づけられたわけだろう。

しかし、丸一日かかって大学の講義4コマ分くらいの講習を受け、最後には一時間の考査試験まであって、さすがにちょっとくたびれて帰ってきた次第。

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雨の国

久しぶりの激しい雨だった。
昨日の夜、寝床に入って電気を消すと、ゴーッというかザーッというか、ものすごい雨の音が鳴り響いていて、まるであたり一面の豪雨に包まれて、荒野の一軒屋にでも寝ているかのような気分になった。風はあまり吹いていなかったのか、雨の音はずっと一定の大きさで、何というか、あたかも一種の沈黙のようになってしまい、いつまでもやむことなく、そのままその中にひたりながら寝入ってしまった。

今朝起きると、まだ降っていた。

雨の勢いはずっと弱まっていたが、事務所へ出てきてからしばらくすると、またかなり激しくなってきて、あわてて窓を閉めた。WEBで調べてみると、記録的な豪雨だったようだ。北九州では時間雨量が100ミリを超えたところもあるとのこと。

建築の設計という仕事をしていると、日本という土地柄もあって、雨には縁が深い。もちろん雨水の浸入を許す雨漏りは問題だが、これは雨を遮断するということで、雨の激しさとはそれほど関係はない・・・はずだ。

といってもやはりそれなりの関係はあって、横風にあおられた豪雨とか、長時間激しく降り続く雨とかとなると、入ってこないはずの隙間から雨水が入ったり、樋があふれたりして雨漏りにつながることはある。

ちなみに自分が一番関心のある雨量というと、時間雨量だ。一時間に何ミリ降ったかということ。若い頃に知ったところでは、50ミリというと本当の猛雨で、樋の巾や深さを計算するときに、それを目安というか最悪の値として覚えた記憶がある。ただそんな雨量は最悪の想定として使うだけで、実際にはそんな雨は(めったに)降らないと思っていた。

それが今回100ミリという数字が出てきたのにはびっくりした。
確かに記録上はあるようだが、一昨年の夏だったか、豊中で50ミリの豪雨が降り、駅前が床下(床上?)浸水して新聞記事になって、山沿いではなくて平地でこんな雨が本当に降るのだと、思いっきり驚いたことがある。このときはたまたま現地を翌日に訪れたので、まだ水跡が残りゴミなどが片付かない様子を目の当たりにしたから余計に印象深いが、これはまだ記憶に新しい。

まあ、気候が熱帯化しているのかもしれないが、大昔から日本は本当に水の王国だ。この「豊かな」雨や湿気が、日本の気候の背骨をなしているのだと思う。そのおかげで、外国の人からすると緑が信じられないほど豊かで、水があくまで清らかな、この日本の自然の景色が作られているのだろう。

今朝、事務所へ出てくるために歩いていて、弱まった雨の景色を眺めながら、浄化されたような気分を感じていた。水は常に、すべてを溶かし、豊かに育み、そしていつか、すべてを洗い流してくれる。

省エネと住まい-2

さて最初に自分が「次世代省エネ基準」という言葉を知ったのは、ある住宅の施主の要望によってでしたが、振り返ってみると、それはもうまる7年前のことになります。同時に「高気密・高断熱」型の住宅という言葉もあって、ほとんど同じような内容だということもその時に知りました。まあ、そういう住宅の環境性能に関する具体的な知識となると、私自身は、それまでほとんど知らなかったと言っていいでしょう。「京都議定書」のことは新聞で読んではいましたが、現実には自分とはあまり関わりのないできごとだと思っていました。

余談をはさみますが、確かに巷(ちまた)で「建築家」と呼んでいただいているようなデザイナーの設計者は、こういう環境性能とかとなると、今でもそれほど関心は高くないようです。いわゆる「建築」にとって本質的な部分ではなく、エアコンなどの付帯的な「設備」で処理すべき問題だからというような認識でしょうか。まあ私も7年前までは、それほど変わらなかったわけです。

実際、二月にここに書いた「かんでん 住まいの設計コンテスト」の表彰式のあとであった作品発表の場でも、私が「次世代省エネ基準」という言葉を出したとたん、聞いている諸氏が全員一瞬引いたのを感じたくらいでした。自分自身、場違いなことに触れてしまったなと、少し後悔したのを覚えています。

さて現代の住宅における「省エネ」というのは、「高気密・高断熱」とほぼ同じ内容と上に書きましたが、簡単に言うと、住宅の外気に接する部分の気密性と断熱性を高めて、外界の熱環境から屋内を遮断してしまうことで、エネルギーロスを減らそうという考え方です。

もちろん目的が「省エネルギー」ということだけなら、他にも方法はいろいろあるかもしれません。例えば、和室を主体とした伝統的な日本の住まいは、気密どころかすばらしく開放的で、明治になってやってきた、石造やレンガ造になれた西洋人の目からするとバラックかウサギ小屋のようなものでした。断熱も、土で葺いた瓦や厚いカヤの屋根をのぞけば、ほとんどないに等しいと言ってよいような造りです。先に書いたやり方からすればまったく正反対ですが、ではエネルギー垂れ流しののぜいたくな暮らしをしていたかというと、そうではありません。

それは、徒然草(つれづれぐさ)にある「家の作りようは、夏をむねとすべし」という言葉どおり、エアコンのなかった時代に、耐え難い日本の夏の蒸し暑さをしのぐことを最優先した造りでした。もちろん冷房がなかったわけですから、夏はまったくエネルギーを使わなくてすんでいました。

ただしその反対の冬も、それなりに大変だったと思います。西欧なら、がんがん暖炉を燃やして、室温を十分に上げたいところでしょうが、もとよりすきま風だらけの造りですし、何よりつつましい日本人は、そんなことはしませんでした。まずはたくさん着込んで体温の消耗をできるだけ防ぎ、あとは火鉢やコタツという局所暖房だけでがんばって、総体としては非常に「省エネ」な暮らしをしていたわけです。ただし、多少の「やせがまん」と「精神力」を必要とする暮らしだったかもしれません。

徒然草に吉田兼好氏が書いたのは、当時ではおそらくかなり常識的な住まいに対する考え方で、彼がそう言ったからそうなったというようなものではありません。翻訳すれば、冬のことは二の次にしても当然というくらい、日本の夏は耐え難いものだということでしょう。

海紅豆

前回の最後に「問題の花」と書いた写真の花が何か分かったので書いておきます。
「海紅豆(かいこうず)」でした。別名アメリカデイゴで、鹿児島県の県木にもなっています。

ブログを見た友人が、「デイゴかも」と教えてくれたのですが、調べてみると、沖縄の県花にもなっていて歌詞にもよく出てくる、有名なあの沖縄の「デイゴ」ではありませんでした。でもあるサイトで類種の写真も載っていて、アメリカデイゴとあり、それがまさにそのものでした。

でも友人がデイゴかもと気づいた理由が、葉を見てマメ科と思ったからということでしたが、言われてみると確かにマメ科かなと私も思ったものの、デイゴがマメ科とはまったく知らず、ちなみにマメ科の葉は羽状複葉が多く、特徴的で比較的見分けやすいですが、あの写真では私にはとてもそこまでは分かりませんでした。

さてアメリカデイゴには別に和名があって「海紅豆」とあり、これなら私もどこかで聞いたことがあると、手元の造園植物図鑑を見ると、ちゃんと載っていました。この本に載っているということは、商品として栽培されて市場で流通している樹ということになります。

この本は大学の講義でも教科書として使っているので、毎年そのページも見ていたはずですが、植栽可能域の地図では、日本列島のほぼ南半分しか可能域でなく、かろうじて大阪は入っているものの、京都市も入っておらず、花がちょっとグロテスクな感じもして、はなから除外してしまっていたようです。

他で調べるとブラジル原産で、江戸時代末期に日本に渡来したとあるので、こういうちょっとおしゃれな和名をもらったのでしょう。漢字名はとっつきにくいかもしれませんが、覚えるとやっぱりカタカナよりはずっと雰囲気があると思いますね。

クチナシとムクゲなど

昨日、撮った写真。裏の公園では今はクチナシの花とムクゲが満開。とくにクチナシは、こんなにたくさん植わっていたんだと驚いたほど、あちこちでたくさんの白い花が開いていた。

コクチナシ-1
ただし最初の上の写真はクチナシではなくてコクチナシ。この種類は、事務所から公園に入る一画に数本しかないが、その中でもこれは普通のクチナシと見間違うくらいに株が大きい。花が小さくなければクチナシと思ってしまうほどだ。コクチナシは造園植物としては低木でもなく、グラウンド・カバーとして分類されるくらいだから、小さなもの。以前ここにも写真を載せたことがあったが、そのときはこんなに大きな株ではなかった。

下の写真は、そのすぐ奥の場所の別のコクチナシ。雑草が繁茂しているが、その中でばらばらに数本が小さく咲いていた。大きさとしてはこのくらいが普通だと思う。最初はこのあたり一面に密植されたのだと思うが、ほとんどが枯れて、かろうじて残っているのだろう。
コクチナシ-2

下の写真は、普通のクチナシ。これは本当にあちこちで咲いていた。写真を撮るために近寄ると、むせかえるくらいに強い香りがした。でも写真では一枚目のものと区別がつかない。花の大きさを比べるために、ペンか何か一緒に撮ればよかった。
クチナシの花2010

次はムクゲの花。なかなか見事に咲いていた。この花を見てカメラを持ち出したのだった。希少な夏の花の代表で花期も長く、近年あちこちでよく見るようになった。ただ韓国の国花ということを知っている人はどのくらいいるだろうか。
ムクゲの花2010

さて最後は、問題の花。一枚目がほぼ全体の姿で、遠めに発見したときは、本当に何やろうと思った。今年の春に、このあたりの改修工事を仮囲いして大々的にやっていたので、そのときに植えられたのかもしれない。ただ、樹皮とか見ると変わった感じもせず、葉の形もそれほど違和感はないから、花の時期以外に通っても、見過ごしてしまっていたかもしれない。

二枚目の写真が花の拡大。熱帯の花のようだ。右下の枝先のは、まだつぼみだが、まるでフラミンゴのクチバシのようだと思った。どなたかもし名前を知っておられたら、教えていただけるとうれしいのですが。
不思議な花-1

不思議な花-2


省エネと住まい-1

たまには仕事に関係ある話しを。書きかけのままの伝統建築については、もう少ししたら再開したいと思っていますが、今回は現代の住まいと省エネについてのことを、自分のメモも兼ねて書いておきたいと思います。

このブログにも以前、世間の突然の変わりように驚いて、感想を少し書いたことがありましたが、数年前から一気に「省エネ」についての話題が喧(かまびす)しくなりました。住宅業界でも大手のハウスメーカーはあっという間に「次世代省エネ基準」を標準にするようになりましたし、最近では鳩山首相の「25%削減」という発言まであって、その背景となる温暖化や地球環境というマクロな話題まで含めると、もはや新聞に関連する記事がのらない日はないと言っても過言ではないでしょう。

だからここ一、二年で人々の意識も大きく変わってきつつあるとは思いますが、やはり近畿地方以西では、それより東や北の地方に比べると、具体的な関心はまだまだ低いようです。とくに関西では、京都や奈良を筆頭に伝統的な建築遺産が数多くあり、住宅においても伝統工法の技術レベルは高い所です。そのために木造では、伝統的な在来工法の住まいが、まだまだ当たり前で、「省エネ」を工法から意識したような住宅はなかなか普及してきません。

これは何よりも「次世代省エネ基準」に代表されるような住宅の造り方が、在来工法のそれとは大幅に違うということが一番の原因ではないかと思います。

今回書きたいのは、自分が住まいの設計をしてきたなかで、それについていろいろと考えてきたことです。実をいうと最近では、住宅の新しい施主には、次世代省エネ型をとりあえず勧めてみることにしていますが、上記のような状勢もあって、たいてい反応は鈍く、やはりコストにも関係するので、オプションから完全にはずれてしまうことも少なくないのが現状です。雑誌などで見たデザインを気に入っていただけた方もいて、機能の面はともかく、環境とか性能とかになると、エアコンまかせで、二の次になりがちということもあります。

ただここで強調しておきたいのは、私自身は地球環境問題についてある程度理解はしていても、「省エネルギー」そのことについては、自分の設計においては、施主からの要望がない限り、無理強いはもちろん、意欲的に推進すべきとも、あまり考えてはいないということです。言い換えれば、それはあくまで建前の世界のことで、国策として推進するのはもちろん賛成ですが、民間レベルの、それも住宅の設計では、選択の順位は低くて当然だろうと考えています。

では、どうして次世代省エネ型の住宅を勧めてみるのかという疑問を持たれるかもしれません。まあ、それが今回書いてみようと思った一番大きな理由です。一言で言うと、省エネ型の住宅は、「省エネルギー」とは全く別の利点や特色、展望を持っていると考えているからということになりますが、詳しくは次回から。