
この連休は、久しぶりに母校の京都大学へ行ってきた。建築学教室の90周年の式典があったのだ。正式名称は「京都大学工学部建築学教室創立90周年記念京大建築会式典」と長いもので、めでたいことでもあるが500人ほども来られていただろうか、とにかくかなりの盛況だった。
場所は時計台の百周年記念館で、総会やシンポジウムのあと、2階の大ホールで懇親会があって、華やかな鏡割りからパーティが始まった。まだまだご健在の恩師の先生方もたくさん来ておられ、普段はめったに会えない、あるいは卒業以来かというなつかしい同窓生や先輩諸氏にもたくさん出会えて、予想以上に楽しい時間をすごすことができた。まあ、一気に記憶がタイムスリップするような経験は、そうそうできるものではない。また直接の恩師である田中喬先生や前田忠直先生にも久しぶりにご挨拶できたことは、自分にとっては何よりだった。
同期の者たちも、私などとは違いみなそうそうたる肩書きになっていて、中でも出世頭の一人である国交省のI君は、おそらくは次の事務次官だそうで、シンポジウムでは壇上の真ん中にめでたく鎮座していた。私は大学のキャンパス自体に入るのも久しぶりだったが、やはり何ともなつかしく、目に焼きつけるようにゆっくりと眺めながら歩いてきた。こういう式典は5年ごとにあるが、10年後はいよいよ大きな節目の100周年になる。さてその時にはどんな未来になっているのだろうか。
場所は時計台の百周年記念館で、総会やシンポジウムのあと、2階の大ホールで懇親会があって、華やかな鏡割りからパーティが始まった。まだまだご健在の恩師の先生方もたくさん来ておられ、普段はめったに会えない、あるいは卒業以来かというなつかしい同窓生や先輩諸氏にもたくさん出会えて、予想以上に楽しい時間をすごすことができた。まあ、一気に記憶がタイムスリップするような経験は、そうそうできるものではない。また直接の恩師である田中喬先生や前田忠直先生にも久しぶりにご挨拶できたことは、自分にとっては何よりだった。
同期の者たちも、私などとは違いみなそうそうたる肩書きになっていて、中でも出世頭の一人である国交省のI君は、おそらくは次の事務次官だそうで、シンポジウムでは壇上の真ん中にめでたく鎮座していた。私は大学のキャンパス自体に入るのも久しぶりだったが、やはり何ともなつかしく、目に焼きつけるようにゆっくりと眺めながら歩いてきた。こういう式典は5年ごとにあるが、10年後はいよいよ大きな節目の100周年になる。さてその時にはどんな未来になっているのだろうか。
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