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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

紅葉三題 2010

今朝、少し早く家を出たのでまた裏の真田山公園を廻ってきた。天気もよく、入口の階段あたりから、木々の紅葉がちらほら見えるのに引かれたのだ。歩きながら、街中の近くの公園で、こういう紅葉の景色を見ることができるのは本当にすばらしいことだと感嘆していた。

公園の紅葉2010-1

上の一枚目は入口の階段を上がって正面に立っているムクノキ(もしくはケヤキか)。携帯電話の写真なのであまりうまく写っていないのが残念だが、黄色に赤の錦をまとった立ち姿は本当に見事だった。月並みな表現だが、舞台の名役者のようだとほれぼれして、しばらく見とれていた。あまり風もないのに、見ているうちにも背後でちらほらと葉が舞い落ちていくのが、情感をあおる伴奏曲のようで、何とも華麗な感じがして釘付けになった。「水もしたたる」とでも呼びたいくらいだった。

公園の紅葉2010-2

二枚目はそこから振り向いたあたり。ケヤキやムクノキ、エノキ、モモ、サクラ、イチョウなど、爛漫の色の饗宴になっていた。

下の最後は、事務所に来てからカメラを出して、窓から見える景色を撮ったもの。サクラはもう終わりかけだが、イチョウは染まり上げまでもう一息というところか。写真では分かりにくいが、実際には自分の席の目の前で、今はちょうど陽光に照らされて、イチョウがまぶしいくらいの黄金色に光っているのが見えている。

公園の紅葉2010-3

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紅葉二題 2010

紅葉の写真二題。今年は猛暑だったからか、最近の気候のせいなのかよく分からないが、紅葉が例年になく美しいようだ。

生駒キャンプ2010

上の一枚目は、もう二週間ほど前だが、ボーイスカウトのカブ隊のキャンプにつきあったときのもの。場所は大阪と奈良の境界に位置する生駒山の山ろく公園。初日はすごくよい天気で、日中は暑いくらいだった。でもさすがに生駒山の山頂近くだから、常設テントで寝た翌朝はかなり冷え込んだ。紅葉している植樹の高木は、みな同じでおそらくトウカエデ(フウの木も似ているが違うと思う)。これは他にもたくさん植わっていたが、すばらしい色に染まっていた。でも背後の自然林の木々はまだ少し早いようだった。

次は今日撮った写真。裏の真田山公園。久しぶりに足を踏み入れたが、いつもと違ってあたりが明るく、一面すばらしい紅葉の景色になっていた。思わず携帯を出してシャッターを切ったが、デジカメを持っていなかったのが残念。このあたりでは、とくに手前左側のサクラの紅葉がすばらしかった。

真田山公園2010秋

別府:竹瓦温泉

大分の旅の最後。

さて午後一時に車を返さないといけないので、後ろ髪を引かれながら無量塔(むらた)を後にし、別府駅前へ。無事納車して昼食。昨夜の夕食の帰りに通りかかって見つけ、今日の昼食はここと決めていた「にはちそば」へ。新そばの十割そばをいただく。本当なら無量塔のバーで一杯やりたかったのだが、車があるのであきらめていた。

ようやく車から解放されたので、いさんで熱燗を頼み、三宮で修行されたというご主人と、そばに塩をかけてつまみながらよもやま話。電車の時間まで、まだ三時間くらいあったので、食後、どこかぶらぶらするのによいところはないか聞いてみた。まず、歩いて数分のところに「山正(やましょう)」という竹細工の店があって、そこの女将はそのご主人とは同級生で、店もおもしろいが、いろいろ詳しいので聞いてみたらいいと教えてもらった。

店を出て、言われたとおりに「山正」へ。そこを出るときにあらためておかみさんに聞くと、あそこの角を曲がると昭和の飲み屋街があって、その向こうには「竹瓦(たけがわら)温泉」というのもあるから行ってみたらと教えていただいた。

竹瓦温泉-1
アーケードの付いた飲み屋街も面白かったが、日中なので、あまり雰囲気がよく分からない。でもそれを抜けて広い道に出て驚かされた。目の前に古くて大きな木造の建物が出てきて「竹瓦温泉」と看板がかかっている。町営だそうだが普通の銭湯はなんと100円。入ると広いホールのような場所があり、休憩所のようになっている。銭湯だけではなくて砂湯もあり、ここからそれぞれ男女別の脱衣室につながっていた。
竹瓦温泉-2

砂湯は30分くらいはかかるというので、電車の時刻もあってあきらめ、銭湯の方に。脱衣所から吹き抜けでつながる半地下の大きな空間に階段で降りると、そこが浴場。昼間だから照明も気にならず、つかっていて脱衣場の入口を見ていると、今にもへこ帯の着物姿の人たちが入ってくるような気がして、明治にタイムスリップしたような何とも不思議な気分を味わった。

竹瓦温泉-3

音響の思い出

昨日書けなかった余談を。

自分の人生で、レコードマニア(音響マニア?)と言われるような人たちには数人お逢いしたが、何といってもその極めつけは翻訳家のF氏であった。氏には一度、大阪市西区の靱(うつぼ)公園脇に建つマンションにあった「MIYATA LABO」というところに連れて行ってもらったことがある。そこの主の宮田氏は超高級ステレオの修理や販売を専門にされていて、「ステレオ芸術」か「「レコード芸術」か、とにかくそういう雑誌に宣伝を載せておられ、まさにその世界では知る人ぞ知るという存在だったようだ。行ったのはその宮田氏の住まい兼アトリエ。F氏はそこに自分のターンテーブルと、たしかテープレコーダーを、修理を頼んだ縁からそのまま預けておられた。

記憶が多少あいまいだが、たしかそのテープレコーダーは、ビートルズのアルバム(名前は忘れた)の原版(マスターテープ)を録音したという器械で、スタジオが売却されたときに売りに出されたものだそうだった。もちろんオープンリールのスチールテープで、かなり大型のもの。確かに一度預けると移動するのも大変だろうと思った。もう一つのターンテーブルも同じような「いわく」を聞いたような気がするが忘れてしまった。とにかく無量塔(むらた)で見たのと同じかそれ以上に馬鹿でかい大きさで、これは目の前でレコードをかけていただいたので、にぶく銀色に光る重量感あふれる平たい筐体を今でも鮮明に覚えている。

かけられた音楽は何だっただろう?私の好みでバッハの「ロ短調 ミサ」やモーツァルトのアリア(マリア・カラス?)があったような気がするが、自分には音楽そのものをゆっくりと味わうような余裕がなく、あまり覚えていないのは残念。ジャズもビル・エバンスなどを聞かせてもらったと思う。スチールテープは、あるものが限定されていたので、少しだけ何か聞かせてもらったように思うが忘れた。

まあすばらしいというか「ものすごい」ような「音」だったのは強烈な印象として覚えている。食事やワインも出たが、本当にあそこで過ごした数時間は、自分の一生の中でも特別な時間であったと、今になってあらためて思う。無量塔のラウンジの席で、ぼんやりとそんなことを思い出していた。

さて、今週は連日書いてしまった。こんなことはここを開いてから多分初めてだ。明日も書きたいが、残念ながら明日、明後日と生駒山上でのキャンプ。ボーイスカウトのカブ隊に同行する。だから週末はしばしお休み。最近は季節の中間期があまりなく、一気に寒くなってきたような感じで、どのていどの防寒装備をしていけばよいのか多少とまどっている。まあ気をつけて行って来ようと思う。

由布院:無量塔

玉の湯と繁華街の喧騒をあとにして車で山道の坂を北上。といっても由布院の圏内だから10分弱のドライブ。WEBで調べた略図しかなかったので不安もあったが、無事、無量塔(むらた)に着いた。山の裾野を少し上がった高台の傾斜地で、背景に広葉樹の山の景色がひろがり、中心部からは外れているし、玉の湯とはかなり違う雰囲気で、広がりのある閑静なたたずまい。どんな所かよく頭に入っていなかったが、行ってみると予想をはるかに超えて、なかなか驚くべきところだった。

古民家を移築して改修し、ホテル(旅館?)として使っているとは聞いていたが、「民芸」というような世界とはまるでレベルが違っていた。外を歩いている間はそれほどでもなかったが、本館(?)の建物に入ってからそれを思い知らされた。

まあほとんどが泊り客のためのスペースで、敷地のはずれに多分新しくできた雑貨のショップがあり最初に入ったが、その奥の一段下がった暖炉のある小さなラウンジは、泊り客専用と立て札があり、そこからさらに奥に別棟で宿泊室があるようだった。ここも通路は内部ではなくて、屋根はあっても外部。外に出ると、向かいにこれも最近移築された大きな古民家があって、これも宿泊棟だった。

そこから坂を下って本館に向かう。ここには外来の客も入れるラウンジがある。やはり大きな古民家を改造したもので(あとで聞くと新潟から移築したそうで、見覚えのある特徴的な屋根窓があった)、ラウンジの場所をたずねると、小さなフロントの前を通ってさらに奥に入り、階段を二回ほど上がった奥のスペースまで案内された。
無量塔-3

入口は狭かったが、中はそこそこ広い空間で客はまばら。二箇所ほどの席を示されたが、ちょうどBGMにバッハのヴァイオリンソナタがかかっていて、端ではなく、部屋の中央部にある暖炉正面の席を選んだ。というのはその暖炉の上に本当に「お化け」のようなスピーカーがあって、見た瞬間から度肝をぬかれていたのだ。そして聴こえているのはなんともすばらしい音だった。

そこに座ると、もはや音楽はまったくBGMというようなものではない。目の前ほんの二メートルほどのところに、まがまがしいと言いたいくらいに不可思議な形をした巨大なスピーカーがあって、すごいような音が聴こえてくる。座ったソファ(布張りだがコルビュジェのもの)にしばりつけられ、「音」に対面させられているような感じ。とくに硬く乾いた高音がすばらしかった。
無量塔-2

こんな経験は初めて、いや違う、昔一度体験したことがあった。そのことはあとで書こう。

座ってコーヒーを飲んでいる間、あたりを見回していたが、表の建物とはまた別の、かなり巨大な古民家の骨組みの中にいることがわかった。上を見ると小屋組みの向こうに高く化粧屋根裏の頂部が見えていたが、何ともはるかな感じの心象として記憶に残っている。こんな思いを味あわせてくれるような空間はそうあるまいと思う。ただしこれは客観的な大きさとはまったく別の次元の話だ。
無量塔-1

ともかくそこでしばらくすごして帰るさい。入口付近にバーカウンターがあって、脇を見るとそこに巨大なターンテーブルが据わっていた。これも昔一度見たことがあるのと同じくらいの、どでかいもので、音源はやはりLPレコード。アナログのすばらしさをあらためて思い知らされた。

さらに、そのバーカウンター正面の上の壁に、まか不思議だが何ともいえないような迫力のある大きな木彫のレリーフがかかっていて、思わずこれは何ですかと聞いた。昔のイギリスの船(おそらく帆船か)にあった木製のキャビネットの一部で、本体はここ、酒瓶が照明に照らされて並んでいる下の台になっている家具で、その裏の化粧板をはずして上にかけているんですということだった。

まあ見たものはほぼ以上だが、自分にとってはもはやこのくらいで十分。四君子苑で、ある意味での洗練の極みと書いたが、これはまた別の意味でなかなかすごいところだと、あとでいろいろ考えさせられた。

玉の湯で近くにいた人が、無量塔は一泊5万円ほどするとしゃべっていたが(確かなことは知らない)、そのくらいなら、さもありなんという感じであった。

さっきスピーカーのところで書いた昔の体験は、長くなってしまったので次回にはさみます。また今度の大分の旅は本当に盛りだくさんで、これで終わりと思っていたらそうではなく、まだもう一つあった。

由布院:玉の湯

翌朝、目を覚ますと、台風一過で晴れるかと思ったが、雨だった。もし初日に雨が降れば、この日を富貴寺行きの予備日としていたので、まあラッキーというべきか、もし時間があれば行きたいと思っていた有名な温泉地、由布院へ向かう。泊まった別府駅前のホテルから車を飛ばし、小一時間ほどかかったか。うねうねとカーブが続く雨中の山越えのドライブだった。

由布院を訪れた目的は、評判を聞いていた旅館(?)「玉の湯」と「無量塔(むらた)」を訪れること。着いたころには雨はほぼ収まっていたが、ナビの指示で最初に入った中心部は、人出でごったがえしていて、まるで「軽井沢」の駅前状態。とりあえず駐車場に入れて歩き出したが、しばらくはちょっと唖然としてしまっていた。

さて、一軒目の「玉の湯」は中心の「繁華街」からほんの少ししかはずれていないが、さっきまでの賑わいが嘘のようで、さすがに静かで落ち着いたたたずまい。中を少し歩いたが、まあ泊まらないと本当の良さは分からないだろうとは思う。

玉の湯-1

広い敷地のようだが、巨大な箱物の建物はなく、見たところ平屋の木造ばかりで、それぞれ機能の異なる住宅スケールの建物が散在して建っている。そしてその間を埋めているのが、緑豊かな通路兼オープンスペースという構成。散在といっても一軒の旅館の中だから、それなりの密度とめりはりがあり、どこか「街」の路地のような親密さがあって、評判にたがわない素敵な雰囲気だった。

玉の湯-2

ただ私にとって一番印象的だったのは、その外部のスペースにちりばめられた「緑」の景色。これについてはあとで、また改めて書きたいと思う。

国東半島 :富貴寺

書くことがいっぱいあるので、話が飛ぶ。

次は多少遠方だが、その翌日早朝から週末二日をかけて行ってきた大分(おおいた)の旅。一番の目的は、国東(くにさき)半島にある「富貴寺大堂(ふきじおおどう)」という、平安時代末に造られた阿弥陀堂を見ることだった。山中の不便な場所なので、別府駅に着いた昼過ぎから24時間でレンタカーを借りた。駅前から一時間ちょっとのドライブ。台風が来ていたのでどうなるか心配したが、雨も上がっており、無事中にも入ることができた。というのは、雨だと中の壁画が傷むため閉め切られ、中へは入れてもらえないからだ。建築は国宝で、期待にたがわずというか、それ以上の何ともすばらしいものだった。ただしここも中は撮影禁止。

富貴寺

ゆっくり拝観してから、とりあえず今回の旅の当初の目的は十分に達したのでホッとし、帰途、近くの真木大堂(まきおおどう)へも寄った。本堂は江戸時代のものと聞いていたのであまり期待していなかったが、最近建てられたと思われる大きな宝物殿があり、そこへ入って本当にびっくりした。やはり平安末の大きな仏像が三体、脇侍を従えて横に並んでおられ、そのどれもが目を見張るようにすばらしいものだったからだ。ちょっと失礼だが正直、こんなところにこんなものがあるとは!という感じで、私にとっては余禄だが、なかなかすばらしい経験をさせていただいた。

翌日のことはまた次回に。

四君子苑

今度の建築見学会で、あと書いていないのは「桂教会」だけとなったが、先週末に、続けていくつもすばらしいのを見てきたので、その報告だけとりあえず簡単にでも書いておこうと思う。

四君子苑-1

まず29日金曜日の午前中に行ってきたのが、京都の今出川河原町下ルにある「四君子苑(しくんしえん)」。茶人である北村謹次郎氏の数奇屋普請と住宅。脇にその蒐集(しゅうしゅう)品を展示する北村美術館があり、一般公開されているが、今回行ったところは年に二回、短期間だけ開かれる。建築設計に興味のある人なら、建築家吉田五十八(いそや)氏の設計で建て替えられたその住居部分は、「北村邸」の名で覚えている人もいるだろう。

でも行ってみて分かったのは本当にすごいのは数奇屋部分で、私でさえ名前を知っている名高い数奇屋棟梁、北村捨次郎氏(同じ苗字だが親戚ではない)の手によるもの。そしてこれは本当に文字通りの脱帽だった。庭と一体というか、ある意味での人工の極致というべきか、謹次郎氏との本当によい意味での高度の合作と言ってよいのだろうと思う。

庭に点在する石物でも重文に指定されたものまであり、内外の区分を越えて一体となった空間は醇コクで、ある意味での洗練の極み。建築もここまでやるのか!という感じで、ディテールが実感に直結しており、図面で感心していた吉田五十八氏のディテールなど、ほんの子供だましにすぎないとさえ思わせられた。おかしな言い方だがわれわれからすると、「手」が自分で具体的に図面を描いているような「なめらかさ」があった。

とにかく歩いて見ている間、あちこちで本当に心底うならされた。ここまでやらんでも、というのもあったが、普通の人にはまったく分からないような具合で、左官など他の職人たちの技量も完璧に飲み込んだ上での確信犯の仕業(しわざ)だから、こんなんちょっと手に負えんなあ、とため息まで出た。

四君子苑-2

でも残念ながら中は撮影禁止だった。