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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

津波・高潮ステーション

ボーイスカウトで指導者研究集会に参加してきた。タイトルはものものしいが、簡単に言うと子どもたちを指導する立場の大人を対象としたセミナー。城北地区の催しで定員60名だが満杯だった。主任講師が大阪府の危機管理室長のY氏で、地区の某団の団委員もやっておられると紹介があった。

場所は地下鉄阿波座駅を降りてすぐのところにある「津波・高潮ステーション」。展示室や小さな図書室もあるが入場は無料。

だいたいこういう施設が大阪市内にもあるというのを初めて知って驚いたくらい。今回のテーマは「安全」。場所やテーマを見ても、やはり3月の東日本大震災の影響が大きいのは間違いない。時節柄の話題だからだろう。午前中はTV局も取材に来ていて、単に講師の話を聞くだけでなく、テーブルごとの班で話し合いや簡単な作業をし、結果発表したりするのだが、みんな多少固くなっていた。

あとで聞くと、この施設も今までなら年間8千人ほどの入場者なのが、大震災以来、すでにその数を超えたそうだ。今日もわれわれだけでなくて一般の入場者もちらほら入っていた。

われわれの住んでいるのは、海の方から見ると大阪市中央部を南北に走る上町台地の裏(東)側なので、沿海部という意識はそれほどない。でも昭和初期から地盤沈下のせいもあって何回も大きな高潮の被害を受けてきたことを今回初めて具体的に知った。昭和エ36年の第二室戸台風は、幼いころの記憶として強烈な風は鮮明に覚えているものの、やはり場所柄か、展示されていたような甚大な高潮の被害についてはほとんど知らなかった。まあ今はかなりの対策ができているようだが。
津波・高潮ステーション

さて今回何よりも参考になったと思ったのは、今までに大阪を襲った地震の歴史だろうか。仕事がら地震のことも関係あるので浅学を恥じるが、やはり大阪という一つの定点から見ることで、知識が驚くほど具体的に迫ってくることに驚かされた。読書としては地震関係の本も読んだりするが、全国的なレベルでの話しなので、どうしても印象が平板になり、歴史的な地震も名前くらいは知っていても、内実を実感的に理解できていなかったことを痛感した。端的にいえば、津波もひとごとでは全くないといういうことだ。

地震そのものについても、直下型と海溝型の大きく分けて二種類あり、これはまあ勉強不足というほかないが、それらの内容についてさえそれほどよく理解していなかったことを今回よく分かったのは、自分にとっては恥ずかしいにことしてもまあ大きな収穫だっただろう。

上記二つのタイプの地震について、それぞれの説明や特性については、今回も時間的な制約であまり説明もなかったし、わざわざ書かないが、自分にとってとても印象的だったことを書いておこう。それはそれらが生じる確率についてだ。

大阪府にも四つの大きな断層帯があって、これが動くと阪神大震災のような直下型の激しい地震がおきるが、それらがこれから30年以内に生じる確率は1%未満(それぞれについてだから、どれかとなるともう少し大きくなるが)。これに対して海溝型の東海、東南海、南海地震となると、なんと60%を超えているのだ。これもそれぞれがそうなので、どれかとなると一体どうなるのだろう?まあ歴史的には連動することが多いようだが、どうやら私がどれも見ないですむようなことにならないだろうということは理解でき、目からうろこが落ちるというとおかしな言い方だが、少なくとも腹をくくるような気持ちになった次第

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唐招提寺2011

一昨日の水曜日、仕事で朝から奈良へ出かけた帰りに、久しぶりに唐招提寺に行ってきた。思ったより遅くなったので行こうか迷ったが、結局、西大寺駅で途中下車しタクシーを飛ばした。一昨年の秋、金堂の改修工事が終わってから行こう行こうと思いながら、去年は遷都1300年でもあり、混んでるだろうなと考えると気が重く、結局行かなかった。その前に行ったのはいつだったろう?金堂の改修工事が始まったのが、今調べると2000年(H12)だそうだが、見納めに行ったかどうかもまったく記憶にない。

唐招提寺金堂2011


門を入って久しぶりに対面した金堂正面は、心配したような大屋根のプロポーションの崩れや違和感もほとんど感じられず、とりあえずほっとした。さすがに瓦は新しくなっているが、かえって精妙な雰囲気も出ていて、これはこれでまた、別の味わいがあっていいんじゃないかと思ったくらい。

金堂は若い頃から自分にとってあこがれの建築の一つで、大学院生時代には集中的に15回くらいは訪ねたかと思う。自分にとっては、「建築とは何か」という問いに対して、もっとも問題的に迫ってきた建築だったいえる。今年は先日終わったばかりだが、開山忌にも行って御影堂の鑑真和上像にも対面したことは今も新鮮に記憶に残っている。東山画伯の障壁画は、今調べると1975年の完成だそうで、できたばかりだしあまり注目していなかったせいか記憶がおぼろだが、多分あったのだろう。白砂の庭に面した広い座敷で高校時代の国文の先生とばったり出会い、しばらくお話ししたのは懐かしい思い出だ。まだまだ人も多くなく、のんびりと座敷に座って一緒にお茶をいただいたような記憶がある。

垂仁天皇陵2011

唐招提寺を後にして、帰りは近鉄線を西に渡って北上し、これも数年ぶりに垂仁天皇陵にもお眼にかかってきた。この御陵については、ここに書いたこともあったが、今回は前とは逆に、東側に走る道を、やはり堀の水面に触れんばかりの原生林のような緑の迫力にどきどきしながら、北に歩いていった。眺めていると、その緑の小山の頂部にたくさんのサギのような大きな鳥がたむろしている。まるで岡や山の上でもにいるような感じ。小鳥なら緑にもぐりこんでしまうだろうし、こういう景色は初めて。集団で巣作りでもしているような光景だったが、そうだとすれば何とも絶景の住宅地だろうとうらやましく思った次第。

垂仁の鳥たち

久しぶりに

いつのまにか一ヶ月以上経ってしまった。このところ短期の改修工事の仕事が重なり、一つをのぞき、もうそう大したことはないのだが、現場監理はあり、仕事に追われるばかりの状況が月末近くまで続きそうだ。息の長い仕事も進んでいて、それなりに急ぐ要件もある。まあそれぞれ手を抜くようなことはできないので、事務所は休みだが今日も私は出てきてさっきまで仕事をしていた。

夏を過ぎれはまた状況はがらっと変るのだが、そこまでは久しぶりにずっとテンションを高めた状態でがんばらねばならない。当面は今咲きかけているアジサイの、湿気を吸って柔らかくふくらんだ大ぶりの花に癒してもらうつもり。仕事は多分来週がピークで、大学も今週休講届けを出してきて準備を整えた。

ボーイスカウト活動は、今期からなぜか副団委員長という大役をおおせつかったものの、今週の平日夜にあった会合は直前にキャンセルし、明日の潮干狩りも要請はあったが、かんべんしてもらった。せっかくの好天のリクリエーションだったのに少し残念。