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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

パッサカリアの訂正

この前に書いた記事で、ちょっと誤解?あるいは間違っていたかもしれないのであらためて書いておきます(「続きを読む」でも多少の追記を書いています)。

まったくの記憶だけで書いたので、今日WEBで少し調べてみた。そうすると、まずいくつも演奏を聴けるサイトが見つかってびっくした。最初に聴いたのはカール・リヒターのものだった。この人は惜しくも壮年でなくなってしまったが、ブランデンブルグ協奏曲の指揮(と演奏)は本当に絶品だった。レコードを買ってからしばらくして初めて彼の写真を見たが、ダークスーツに身を包み、髪も短髪、まったく企業に勤めるビジネスマンのような風貌で、かなり落胆した覚えがあるが、演奏に対する評価は変らなかったし、その後買ったマタイやヨハネ受難曲のレコードも彼の指揮のものだった。

ただ多少、それ以後見方が変ったというか少し成熟?したかもしれない。

どう言ったらよいか、以前ここにM,ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本について少しふれたことがあるが、近代資本主義を推進した冷徹なまでの経済合理主義の背景にある、近代欧米人の背骨を貫く「倫理」(合理ではない)について、目からうろこが落ちるように教えてくれた名著だった。仔細はその本にゆずるとして、そういうところを基盤とした精神がもつ「現実」に対する驚くべき透徹なまなざし、というようなものを、リヒター指揮のすさまじく引き締まった演奏を聴いていて感じたような気がする。

バッハの真実の姿(今なら、その一つというべきだろうが)はこういうものだと教えてもらった気がする。(だから、彼が油の乗り切ったような時期に亡くなった報には心底驚いた記憶がある。神様はときになんてことをなさるんだろう!と本当に思ったくらい。)

でも彼が弾いたバッハのチェンバロやオルガンの演奏もレコードでは持っていたと思うが、録音が悪かったのだろう、あまり感動した覚えはない。

あとWEBで調べていて、もう1人印象的だったのは、かのシュバイツァーの名前だ。彼のオルガンのレコードも一枚持っていたと思うが、すでに原板は擦り切れていたような感じで、洞窟の奥の演奏を聴いているような具合だったから、あまりよく分からなかった。

ただ彼の演奏は「ロマンティック」というような言葉で形容され、ヴァルヒャのもそういう流れの中のものだという記事もあった。まあ確かにそうなのだろうと思うが、私にとっては別にそれでどういうコメントもない。リヒターとヴァルヒャを今夜両方聴いて、やっぱりヴァルヒャの方がすばらしいと思っただけだ。

まあとにかく、映像はなかったが、ついにはヴァルヒャそのものの演奏まで出てきたので本当にびっくりした。

バッハ パッサカリアとフーガハ短調, BWV 582
オルガン : ヘルムート・ヴァルヒャ / Year 1952


ただ、バッハの若書きだったいう記事にも驚いたし、演奏時間もみな大体15分以内で、上の演奏も含め、最後がプツンと切れているものなどなかったので、これはいったいどういうことなんだろうと本当にびっくりした。

これはレコードそのものを引っぱり出してこないと分からないが、プツンと切れた演奏そのものは鮮明に覚えているので、どういうことかまったく分からない。上のヴァルヒャの演奏でも、これが終わってから、あらためてフーガが確かに不死鳥のように再度立ち上がっていったという記憶を思い出すのみだ。

まあ、わたしは音楽の専門ではないので、誤解は笑って許してもらうしかない。自分でも苦笑してしまった。またレコードが見つかり、解説を確認できたときにはあらためて報告しますが、もし私の記憶にも多少でも確かなことがあると知っておられる方がおられましたら、お教えいただけますとうれしく思います。


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バッハのパッサカリア

また少し暑くなって来た。まあ暑さ寒さも彼岸までというから、またぶり返すとは思っていた。

さて、今日は事務所に出てきたものの、昼に少し打合せの用事が入って、出かけようと思っていたことはあきらめて事務所ですごした。夜になって久しぶりにPCのスピーカーを鳴らした。かけたCDはバッハのオルガン。オムニバス形式のもので、昔東芝から出ていたバッハのオルガン全集からの抜粋だそうだ。奏者はウエルナー・ヤコブという人。上記のような経緯だから、解説も簡単でオルガンの教会名も分からないのが残念だが、有名な曲やコラールばかり8曲入っている。先月久しぶりに買った音楽のCDだ。

実は、ここにキャンプなど盆のことでヒグラシのことを書いたが、ちょうどこれを買ったばかりのときで、これを聴きながら書いたのだった。途中、ヒグラシの音とバッハの音楽と、どっちがすばらしいだろうかと考えたことがあった。比べるべきではないとも思ったが、しばらく真剣になって考えていた。

まあそういうこともあったからだが、今日ここに書こうと思った直接の理由は、その中に「パッサカリアとフーガ」という有名な曲が入っていて、それを聴いていてあらためて本当に感動したからだ。バッハファンなら誰でも知っている名曲中の名曲で、何よりもバッハの最後の曲としても有名だ。

昔(というか今でも)レコードではヘルムート・ヴァルヒャという人の演奏で持っていた。盲目の人だったと思うが、すばらしく壮厳でスケールの大きな、とても見事な演奏だった。ヤコブ氏の演奏は、もっと淡々としてなだらかな感じだし、録音もあの大曲のほんの一部でしかないが、それ以前にまったく違うところがあった。

ヴァルヒャの演奏は全曲だから、かなり長くてレコードで二枚分あるが、その最後、フーガの高潮の途上でプツンと終わってしまっている。この曲はバッハの絶筆(の一つ?)で、記譜が途中で終わっているのをそのままに演奏しているのだ。

最初に聴く前から知っていたから、そのレコードでびっくりしたことはなかったが、聴くたびにやはりちょっとショックではあった。演奏がすばらしく立派なだけに、突然たち切られた音楽の断面の面積も相応に巨大なもので、一瞬、はてしなく大きな虚空に吸い込まれていくような感じがした。

だから、ヤコブ氏の演奏でも最初多少緊張して聴いたが、そんなことはなかった。というかヴァルヒャのような演奏がまれなのだと思う。ただ、人が死ぬということはこういうようなことなのかもしれないということは、そのときも考えたことだった。

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台風12号

今回の台風は、ここ大阪市内ではそれほど大した影響もなかったが、紀伊山地には大変な雨台風だった。日曜日のニュースで、あるところの電信柱が、電線のすぐ下あたりまで流れる泥水につかっている映像を見て、本当に仰天した。場所によっては降り始めからの雨量が1.8メートルというものすごい量の雨で、雨量をメートル単位で表記しようと思ったことなど今までにはなかった。

もしどこへも流れないとすれば、あたり一帯全てが数日で1.8mの水たまりになるということだから、それだけで一階の高さの半分ほどが水につかる量だ。ただし山の斜面に降った雨はみな低いところ、つまりは谷筋に流れ落ちてくるのだから、これはあの渓谷だらけの地域では、明らかに流れ去る量より流れ込んでくる量の方がはるかに多くなるだろう。ストックできる量を超えたら、あとはあふれる他ない。長時間激しく降る雨は本当に恐いものだ。

さらに今回の「激しく」というのも生半可なものではなかった。ある地点の時間雨量が130ミリ超というような数字にも本当に愕然とさせられた。ほとんど想像もつかないような激しさだ。

被害にあわれた方々には、ここに心からお見舞い申し上げます。

実はその一週間前の週末、大阪市内でも激しい雨が降った。かなり局地的だったようだが、ちょうど事務所を出ようとしていたときで、窓の外は少し雨が降り出していた。上空は黒い雲がかかっていたが、西の空を見ると、ほの白く明るいので、少し待てばやむかなと思って待っていた。ところがやむどころか、しばらくすると激しい雨になり、確かに上空の黒い雲はなくなり、全体にほの明るいような天空だったが、ちょっと恐いくらいの降り方になった。白いのは空の雲ではなくて、雨そのものの景色だったのだ。

これはもう少し待とうとして、ふと雨量を計ってみようと思いついた。窓を少し開けて、手元にあったマグカップを右手に握って突き出した。このビルの窓に庇はない。雨は降り止まず、もう少し、もう少しと、しばらくの間我慢して腕を突き出していた。一応腕時計を見ていたので、20分立って引っ込め、たまった雨量を測ってみたが、21~22mmくらいになっていた。

単純に計算すると一時間で63~66mmくらいだが、大粒の雨はかなりはねて出て行っていたので、あとで新聞で70~75mmという記事を見たが、それくらいはあったと思う。

一応その結果を確かめ、そろそろ出ようとして下へ降りたが、すでに道は洪水状態だった。大阪女子マラソンの舞台にもなる広い玉造筋一面が、河の流れのようになっていて歩道と車道の区別もつかず、入口から右手を見ると、歩道のマンホールから水が噴水のように30センチほどの高さで吹き上がっているのが見えた。

一瞬目が丸くなり、唖然としたまま事務所に引き返した次第。

新政権

野田政権が発足した。新聞で見ると今のところは期待感もあり、まずまずの滑りだしのようだ。まあ私も同じような感想で、心機一転、日本の政治に新しい風を吹かせてほしいと心から願う。

ただ、そんな政治のことはここにはふさわしくないし、今まで書いたこともほとんどないと思う。だから今回取り上げたのは、政治とはまったく別の感想というか感慨があったからだ。それは野田氏が私より年下という事実だった。52か3歳だったと思うが、新聞記事でそれを読んだときはちょっとショックだった。いよいよ日本のトップも自分より年下の人がやることになったかという感慨で、本当にしばし茫然とした。

だからというわけでもないが、全体的に清新な雰囲気も感じられ、もはや後がないような状況の日本丸の舵をとる新しい政権の船出を、心から祝福しその未来に期待したいと思う。