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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

曼殊院

建築見学会の続き。

修学院離宮をあとにして、次の目的地、近くの曼殊院(まんしゅいん)に向かった。歩いて15分くらいのところ。私たち4人は10時からの第二班だったので、途中の関西セミナーハウスで、のんびりお茶をしていた先発隊と落ち合った。曼殊院では、普段は非公開の「八窓席」が特別公開していて、これはあらかじめ私の方で予約していた。着いたのは12時前。八窓席は午後1時の予約だったが、普段から公開している書院や庭もあるので昼食をがまんし、入って待っていようということになった。

わたしは修学院離宮も二回目だが、ここは多分三回目。でも以前は茶室にはそれほど興味がなかったし、ともに重文の大書院・小書院(こしょいん)とも、数奇屋書院としてはすばらしい部類ではあると思うものの、離宮に比べると多少荒れている雰囲気も感じ(比べるのは酷だが)、今までそれほどの印象はなかった。

でも今回は八窓席が開かれ、予約時にどうやら中に入れると分かっていたので期待もし、茶室の権威である建築家堀口捨己氏の解説を引っぱり出してきて、コピーしてみんなに配った。

残念ながら、写真撮り放題だった修学院離宮と違い、庭はともかく内部の撮影は一切禁止だったからあまり大した写真はない。下は大書院の濡れ縁から小書院を眺めたところ。庭に面した一番奥の「富士の間」の左奥に(見えないが)上段付きの「黄昏(たそがれ)の間」があり、そのさらに背後に「八窓席」がある。
曼殊院2011

さて上で書いた「富士の間」の脇に二畳の間があって、やはり茶室になっている。狭くて天井が低いのと、最低限のしつらえ以外に部屋の意匠はそれほど変ったこともない。ただ片側は「富士の間」につながり、反対側も外に面した障子のある畳廊下に接していて、残る二方は壁だから両方のふすまを閉め切ると真っ暗になる。おそらく通常は畳廊下側のふすまは開いたまま使ったのだと思うが、二組のふすまの開け閉めで部屋の様相が劇的に変ることが明らかで、いろいろなシーンを思い浮かべてみるのがとても面白く、それだけで軽い興奮を味わった。

書院の見学をのんびりとしていると、いよいよ八窓席見学のお呼びがかかった。三畳台目の茶室なので、やはり七人同時は無理で、私は先に3人で入れてもらった。時間にして15分くらいだったろうか、前に書いた如庵のときより人数も少なく、落ち着いた感じで過ごすことができた。手前席から正客、次客の席など交代して場所を移りながらのゆっくりとした滞在で、終わったあとはみんな感激の気分だった。あとで聞くと修学院離宮よりこっちの方がよかったという人も数人いた。

ここをでるとあと少しだが、またあらためて。

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修学院離宮

先週の土曜日は久しぶりの京都。市内北東部にある修学院離宮へ行ってきた。このところ毎年恒例になってきた建築見学会だ。前回から丁度一年ぶりになる。今回は7人が参加。メンバーの1人K君が京都市内に事務所を構えたので、御所の宮内庁へ行って予約を取ってくれた。昔は往復はがきの手段だけで、今はWEBでもできるようになり期間も短くなったが、複数人の予定を調整しないといけないのでやはり日程が決めにくい。でも直接御所へ行けば、その場で空いている日にちや時間を教えてくれて予約できるとのこと。自らはすでに桂離宮へも行ってきたそうだ。

拝観は当日の9時からの朝一番と10時からの二番手の二班に分かれた。
修学院離宮-0

ここからは修学院離宮の中のことを書くが、行ったことのない人には案内図などないと分からないかもしれない。とりあえずこの宮内庁のサイトの略図でご覧ください(以下通称で茶屋と書いているが略図にある「離宮」を茶屋と読み替えてください)。
修学院離宮-1
さて上の写真は事務所から下の茶屋へ向かう途中の庭の写真(略図で①の辺り)。さすがに見事に手入れが行き届いていると感心。下は「下の茶屋」(同じく②付近)。
下の茶屋

次の「中の茶屋」は、当初のものではなく息女の住まいが死後門跡寺院となっていたものだそうだが、客殿の部分が明治になって国に返還されて整備されたそうだ。だからここだけはもともと住まいで、高貴の方の御殿だから、客殿は寝殿造風で部材のスケールも大きな御所風の書院だが、この写真は敷地の下のレベルに客殿に寄り添って建つ数奇屋風書院(右手上にわずかに客殿の屋根が見えている。略図で③の南側から北望)。御殿の中の私的な部分ということだろう。

女性の住まいなので、セキュリティには工夫がこらされ、中でも客殿とつながる部分の階段が蹴上(けあげ)踏み面寸法とも、わざと大きく変えてあるのは面白かった。確かに照明もない時代には、暗闇に慣れた曲者(くせもの)といえど危なかったろう。
修学院離宮-2

次は一番上の「上の茶屋」からの景色(略図で⑦からの北西望)。ここまで登ると標高150mほどになるそうだ。南西には京都市内が望め、西北も西山、北山の山並みが借景として大きく横たわっている。ここからの広々とした眺望がやはりこの離宮の圧巻だろう。

写真が小さくて残念だが、日本離れしているというか、桂離宮を頂点とする池泉回遊式の日本庭園の定義をはるかに超えて、格段にスケールの大きな庭園だ。借景の大胆さと言い、雄大と書きたい気分もあるが、ヴェルサイユのフランス庭園などと比べると、やはり日本的な優美さや端正で繊細な感性の方を強く感じる。
修学院離宮-3

最後は先ほど上から眺めた庭の池の周囲を廻ってきたところの写真(略図で⑬と⑭の中間辺りからの南望)。中央右手奥の丘の上に先ほどいた「上の茶屋」が見えている。また左手に茶室の待合のような東屋が見えているが、この位置だとまったくの展望席で、日本の伝統ではあまりお目にかからないような趣向だ。

この丘を、従者に日傘を持たせた立烏帽子(たてえぼし)に束帯姿の公家たちが、しずしずと歩んでいる姿が思い浮かび、なんとも贅沢なものだとため息が出た。でも先発隊にあとで聞くと、江戸幕府の作った公家諸法度により、ここを作った上皇といえど、泊まることは許されなかったそうだ。住まいはあくまで仙洞御所で、武家の厳しい監視の下で日帰りの遊興しかできなかったということになる。資金は幕府から出たのだから仕方がないのかもしれないが、ちょっとあわれな感じもした。
修学院離宮-4

当日はまあこの修学院離宮拝観がメインだったが、出てからのことはまた日をあらためて書きます。

交響詩「我が祖国」

昨夜は久しぶりにコンサートに行ってきた。シンフォニーホールでの大フィルの第452回定期演奏会。曲目は表題の通り。作曲者のスメタナはチェコ人で、祖国では国民音楽の祖とたたえられている。日本だとちょうど明治維新のころの人だそうだ。

実は私が大学を出て最初に就職したのは、東京のレーモンド設計事務所というところだったが、その開設者の建築家アントニン・レーモンドは、当時すでに亡くなっていたが、出身はチェコの人だった。だからこの曲は、有名な第二曲の「モルダウ」の調べをはじめとして、当時耳にする機会がよくあったと思う。ただ自分としては、モルダウの旋律のほかは、あまりよく分からず、レコードを買おうと思ったこともなかった。だから今回この一曲(?六つからなる組曲)だけで全部を占めるコンサートと知ったときはちょっと興奮した。

指揮はやはりチェコ人のラドミル・エリシュカさん。1931年生まれというから今年でちょうど80歳。高齢だしどんな指揮ぶりかと思ったが、まったくかくしゃくとしてお元気で、精妙であると同時に、力感あふれる本当にすばらしい演奏会だった。うがちすぎの見方かもしれないが、愛国心と言おうか、この曲を遠い日本で指揮できるという喜びと誇りが迫力になって身体一杯にみなぎり、大フィルを自在にそして存分にあやつっているような感じだった。

ということで、躍動感あふれる指揮ぶりと演奏に、耳と目は吸いつけられ、自分としては初めてしっかりと全曲を聴きとおすことができたのだが(それだけでも喜びだった)それとは裏腹に、演奏は別として曲自体の感想を書くと、残念ながらやはりあまりよく分からないというのが正直なところだった。

もう少し書くと、曲の展開があまりにとりとめないというか、音楽だけでは完結していないもののように思った。例えば映画のBGMのように、別の映像やイメージあるいは文学のようなものと組み合わさって初めて十全に理解できるようなものなのではないかと聴きながら考えたりしていた。

でも昨夜の力強い演奏は、そんなこまっしゃくれた感想など、一瞬頭をよぎっても、すぐにどこかに吹き飛ばしてくれた。チェコの民謡の調べも含んだおびただしい音符の連なりにのって、本当にさまざまの景色の中を、ときには隘路やきつい斜面もある散歩道をひたすらつたい、行ったこともない彼の国の深い森の中や、広々とした平野のまっただ中を、ずっと歩き通してきた感じがする。そして終わった後にはすがすがしい気分の残る、とてもすてきであざやかな演奏会だった。