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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

2011大晦日

今年もいよいよ暮れようとしている。本当に深く、そして長く歴史に刻まれるような年になったと思う。言うまでもなくあの 3.11 があったからだが、人間というものは自然の大きさからすると本当にささいなものなんだとあらためて思い知らされた。広大な宇宙空間に浮かんだほんの小さな地球という惑星の、表面の微小部分のちょっとした変動だけで、付近にいた人間たちは思い切り翻弄されて、こんな思いを味わっている。

科学技術の発達のおかげで、その表面ではかなり伝わったようだが、宇宙全体となるとどうなんだろう? はたして神様や仏様のところまでその叫びが届いたんだろうかとまで考えると、まったく心もとないようにも思う。

でもわれわれとしては、昔からの祈りを重ねていくほかない。
来年が、本当によい年でありますようにと。
そして私にとっては、その祈りは毎年深くなっていくようだ。

さて終わってしまいそうになったが、最後だから今年のことをもう少し書いておこう。

今年は仕事では、生まれて初めて伝統的な建築を手がけ、年末に無事、上棟までいったことがもっとも印象的な出来事だった。若いころから興味はあったものの、実際の仕事となるとまったく初めての経験であり、自分にとってはいつもとは違う、格別に感慨深いようなところがあった。たとえザッととしても千年を超える伝統を見渡し、さらに数百年後を見すえた上で設計をしていくというようなことになるわけで、図面を描いていく途中で、そのはるけさに気が遠くなるような思いに浸ったことがしばしばあった。

まあきらびやかな日本の長い伝統の中におけば、本当につたないものだとは思うが、現代に生きる一人の建築家として、私なりに一応の伝統は尊重した上で、正面から立ち向かってやってみたとは言えると思う。

詳しくはまた書く機会もあるだろうから、とりあえずの感想を一つだけ。
近代以降の機能主義の建築に比べて考えてみると、ほんの100年足らずで死んでしまうような人間に関わる「機能」というようなものは、そこでは希薄になって取るに足らないようにも感じられ、「新しさ」もそれだけでは大した意味をもちえないように強く思った。そうなればやはり端的に「造型」が問われていることになるわけで、どちらかと言えば彫刻にも近い仕事をしているような気分をずっと感じていた。だからといって写実とはいかないわけで、掘り下げていく手ごたえは感じていたものの、まだここで書けるようなことまではあまりない。まあ「機能」とは建築の三要素の一つでは確かにあるが、他の要素「美」や「構造」に比べれば、もともと存在のあり方自身がはるかに希薄なものであることに、あらためて気づかされたように思う。

恒例の音楽のことを書く余裕があまりなくなってしまったが、今年もっとも印象に残った曲を二曲。たまたまだがどちらも二重唱だ。

まずはモーツァルトの「魔笛」からパパパの二重唱。秋ごろここに書いたバッハのパッサカリアを検索していてなぜか引っかかり、聞いてみるとすばらしく(この演奏ではないが)、なぜか涙がぼろぼろ出てきて、そのままいくつも検索して二時間ほど聞いていたか。最後は10人ほどの子どもが出てきて積み重なってハピーエンドというような豪華な演出もあったが、今探してもほとんど見つからなかった。この録音はその時にも聞いたもの。

魔笛は昔からもっとも好きなモーツァルトのオペラ。この曲のしばらく後、最後の方だが、荘厳なアリアで何回聞いてもそこに来ると涙があふれてきて困るような部分があったのをよく覚えている。ただその頃にはこの曲は、単に愛らしくてとてもすてきな曲と思っただけだったのだが。

パ・パ・パのデュエット(モーツァルト魔笛から

次は最近買ったCDからで、多分レコードでも持っていると思う。リヒターのバッハ。カンタータ80番「われらが神は堅き砦」BWV80の第二曲。バスとソプラノの二重唱。ソプラノはエディット・マティス、バスはかのD.フィッシャーディ-スカウというなつかしい顔ぶれ。フィッシャーディースカウは、今回聞いてあらためて本当に天才だと思った。youtubeは今年から聞き初めたばかりだが、ドイツ語で検索するとどんぴしゃの録音が出てきたのにはびっくりした。

バッハ カンタータ第80番「われらが神は堅き砦」から第二曲

皆様、どうかよいお年を

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餅つき 2011暮れ

あわただしくてなかなか書けなかったが、先週の日曜日にあった餅つきのことを書いておこう。

団委員をしているボーイスカウトの催し。今年は隊長の一人からリクエストが出て、いつものクリスマス会の代わりにと企画された。まあ私が団委員になってからは初めてだから、久々の開催ということになる。場所は地元の小学校の校庭。臼や杵など道具一式は結局、地元の連合町会のものをまとめて借りることができた。

前夜の定例団委員会の前にもち米洗いをして水を張り、当日は早朝7時半の集合だった。石臼が二つで、団委員の平均年齢も上がっているから、若い人がにぎやかしにのぞきに来てくれたら、是非にと入ってもらい、入れ替わり立ち替わりで何とか合計40Kgのもち米を搗きあげた。

2011餅つき-1

もち米の蒸しがまだ甘かったり、疲れてくると早々に搗きあがりの宣言を出したりする人もいて、多少粒々のもちもあったが、それも愛嬌だろう。子どもたちも少しずつだが搗いてくれて、楽しかったという感想も多く、何よりよい経験になっただろうと思う。まあビーバー隊やカブ隊では搗くようなところまではとても無理で、ボーイ隊でかろうじて少しは力になったくらいか。あとは大人が精を出すしかないわけだ。

あんころ餅やきなこ餅、ピンク色のえび餅など、種類もあって、搗きたての餅はおいしかっただろうと思うが、自分自身ははあんまり食べているような暇はなかった。でも途中抜けたとき、手指についていた餅を食べ、とてもおいしく思ったので、やはり搗きたてはすばらしいとあらためて感じた次第(まあおなかがすいていたせいもあるだろう)。さすがに週明けの月火あたりは、いつもと違うような部分で、あちこち痛かった。

2011餅つき-2

大安寺の紅葉と黄葉2011

大安寺の紅葉2011
今日行って来た奈良市内にある大安寺というお寺のモミジ。ただこの左手にも一本あるが、ここのイチョウの黄葉は毎年感嘆するくらいすばらしい。でも最近では少しずつ手が入ってモミジも増えてきた。この木のような少し暗い赤色のものが多いが、もちろん意図的なものだろう。私自身はこの色の紅葉は、以前あまり好きではなかったが、ここのを見て目からうろこが落ちるような思いをし、いっぺんに見直した覚えがある。やはりその場所の個性によって同じものでも見え方や雰囲気が大きく違ってくる。

大安寺の黄葉2011
これは二年ほど前にも写真をここに揚げたことのあるイチョウの木。境内でもっとも大きなイチョウで、この季節になると毎年、あたりを払うような見事な雄姿に鮮やかに変身し、見るものをほれぼれとさせる。今落葉が最盛期のようで、地面はほぼ一面黄色いイチョウの絨毯(じゅうたん)になっているが、砂利の見えるようにきちんと道がつけられている。リンクした二年前の写真のは、ずっと落葉が少なく、あたかも水たまりのようにそれがまとめられて、すてきな景色を作っていた。何ともあざやかで瑞々しい黄色の水たまりだ。もちろん意図的に掃き集められたものだろう。

ただこの写真は、イチョウの黄葉ではなく、奥に見えるモミジの紅葉がすばらしくて撮ったのだった。やはり写真は難しい。でも二年前の写真を見ても、ここにこんなモミジはなかったように思う。今年植えられたのかもしれないが、そうだとすれば見事に景色が決まっていて、大きさや枝ぶりまでかなり吟味した上で慎重に植えられたものだろう。

自分も大学で「緑と空間デザイン」というテーマで教えているくらいだから、庭や造園のデザインには多少の一家言はあるつもりだが、残念ながら今までこういう仕事をしたことはない。まあ住宅の植栽が主だから、予算もあってなかなかその後のことまでは口を出す機会もないし、住む人の意識にまかせるほかないことになる。もとより維持にあまり手間のかからない雑木林の景色を作るというスタンスでやっているからそれでよいのだが、こういう外来者がたくさん来るような境内の植栽ともなれば、ずっと見守る人がいてそれなりに予算もあり、少しずつ少しずつ植えては景色を整えていくようなことができる。こういうのがおそらく造園行為の理想で、うらやましいと思った。京都にあまたある有名な寺院の庭だって、こういう形で長い年月をかけて手をかけ洗練されて、すばらしい日本の景色となってきたのだろうと思った次第。

今年の紅葉

裏の真田山公園の紅葉が盛りを迎えている。少し前に大学のサクラモミジを見て、温暖化も紅葉が鮮やかになるのなら・・・とか書いたが、それからしばらくして新聞で、今年の紅葉はあまりよくないというような記事を読んだ。近くのお家の中庭に植えたヤマボウシ、紅葉はいかがでしたかと道でばったりあった奥様に聞いたが、やっぱり今年はあんまりでしたわねえとのことだった。下はウォーキングの帰りに公園で、携帯で撮った写真。

真田山公園の桜2011秋

先週の大学出講時にも、近鉄線の車窓から生駒山の景色を見たが、色合いがそれほど悪いという印象まではなく、強いて言うといつもより黄味が強いかなと思ったくらい。ただ裏の公園のを見ても、少し早めのケヤキやムクノキの紅葉は焦げたような感じで確かにあまりよくないようだ。でも今を盛りのサクラ並木の紅葉はいつにもましてすばらしいように思う。最近急に冷え込んできたせいもあるのかもしれない。下のは事務所の窓から撮ったサクラだが、これの右手にある大きなイチョウはまだまだで少し黄緑がかっているだけ。この木は毎年遅いのだ。

裏の公園の桜紅葉2011