
一昨日の日曜日。京都の八瀬に行ってきた。目的地は、現在特別拝観中の瑠璃光院(るりこういん)というところ。ただカメラを車に忘れてしまい、残念ながら写真はない。でもそのおかげで、かえってゆっくりと拝観することができたように思う。写真や特別拝観の情報などは上記のリンク先をご覧下さい。
さて京都の名所は、それこそ無数にあるが、ここは由緒などは別として、現在の建物や庭はそんなに古いものではなく、私にとっては逆に、それが興味を引かれて訪ねてみようと思った理由の一つだった。
受付でいただいたパンフレットを読むと、現在のようなたたずまいに整備されたのは、大正末から昭和の初期のこと。そして建築の棟梁は、数奇屋大工として高名な、かの中村外二(そとじ)氏で、庭は桜守としても著名な佐野籐右衛門氏の一統となっている。佐野氏は年代からすると先代の15代目だろうが、とにかくかの「植藤(うえとう)」の仕事ということになる。
数奇屋大工の中村外二氏は、名前はもちろん知っているし、私の若い頃はまだご存命だったから、どんな建築だろうか興味しんしんというところだった。
実は明治以降の近代数奇屋としては、二年ほど前に、同じ京都でも市中の河原町今出川にある「北村邸」を見学して、そのレベルの高さに本当に驚嘆した覚えがあるので、さらに時代が新しい中村棟梁の仕事となるとどんなものだろうと、ちょっとわくわくしていた。
行ってみると、間取りも含めて、庭と一体となったすばらしい建築であったのは間違いないが、私にとってもっと圧倒的だったのは、庭そのものだった。散在して置かれてある石の豪胆さや繊細さ。何よりも水や緑など、山裾にある当地の自然の恵みがあまりに豊かで、モミジに覆われた木陰の清水から、かじかがえるが時折鳴き交わしているのが聞こえてきて、かえって庭の静寂さを引き立てていた。そして深い山から湧き出して岩場を伝う清冽で透明な清水のかすかな流れを慎重に導きながら、景色の変化にアクセントをつけて巧みに構成された三つの庭は、それぞれにすばらしいものだった。
ここでの庭と建築の関係は、伝統建築における理想的な一つのあり方に焦点をしぼり、それを近代風に率直にとりあげて存分に実現したものと言ってもよいかもしれない。建物は地形の起伏に合せて雁行型に連なって配置され、高低差を利用しながら各部屋の形やつながり方も工夫されていて、あたりの雰囲気が変っていくのに応じて意匠も静かに変化していく。庭の景色の変化と同時に建築のたたずまいもいつのまにか大きく変貌しているというような具合で、まあこれは実際の施工としては順序が逆だったかもしれないけれども。
ただ「北村邸」で脱帽したような、これでもか!というような数奇屋大工としての鋭いくらいの技の冴えや鮮やかな表現はあまり見当たらず、全体的に穏やかな雰囲気だった。それでもその中には、繊細かつこまやかで、抽象的な、だから現代的と言ってもよいようなやさしく巧みな細部の意匠がいくつも織り込まれいて、印象に残った。まああたりのすばらしすぎるような、日本的な陰翳に富んだ自然の豊かさを眼前にして、もしかすると棟梁もここではあえて細部の「技を殺」し、全体の空間造りに徹底されたのかもしれないと思ったりした。
さて京都の名所は、それこそ無数にあるが、ここは由緒などは別として、現在の建物や庭はそんなに古いものではなく、私にとっては逆に、それが興味を引かれて訪ねてみようと思った理由の一つだった。
受付でいただいたパンフレットを読むと、現在のようなたたずまいに整備されたのは、大正末から昭和の初期のこと。そして建築の棟梁は、数奇屋大工として高名な、かの中村外二(そとじ)氏で、庭は桜守としても著名な佐野籐右衛門氏の一統となっている。佐野氏は年代からすると先代の15代目だろうが、とにかくかの「植藤(うえとう)」の仕事ということになる。
数奇屋大工の中村外二氏は、名前はもちろん知っているし、私の若い頃はまだご存命だったから、どんな建築だろうか興味しんしんというところだった。
実は明治以降の近代数奇屋としては、二年ほど前に、同じ京都でも市中の河原町今出川にある「北村邸」を見学して、そのレベルの高さに本当に驚嘆した覚えがあるので、さらに時代が新しい中村棟梁の仕事となるとどんなものだろうと、ちょっとわくわくしていた。
行ってみると、間取りも含めて、庭と一体となったすばらしい建築であったのは間違いないが、私にとってもっと圧倒的だったのは、庭そのものだった。散在して置かれてある石の豪胆さや繊細さ。何よりも水や緑など、山裾にある当地の自然の恵みがあまりに豊かで、モミジに覆われた木陰の清水から、かじかがえるが時折鳴き交わしているのが聞こえてきて、かえって庭の静寂さを引き立てていた。そして深い山から湧き出して岩場を伝う清冽で透明な清水のかすかな流れを慎重に導きながら、景色の変化にアクセントをつけて巧みに構成された三つの庭は、それぞれにすばらしいものだった。
ここでの庭と建築の関係は、伝統建築における理想的な一つのあり方に焦点をしぼり、それを近代風に率直にとりあげて存分に実現したものと言ってもよいかもしれない。建物は地形の起伏に合せて雁行型に連なって配置され、高低差を利用しながら各部屋の形やつながり方も工夫されていて、あたりの雰囲気が変っていくのに応じて意匠も静かに変化していく。庭の景色の変化と同時に建築のたたずまいもいつのまにか大きく変貌しているというような具合で、まあこれは実際の施工としては順序が逆だったかもしれないけれども。
ただ「北村邸」で脱帽したような、これでもか!というような数奇屋大工としての鋭いくらいの技の冴えや鮮やかな表現はあまり見当たらず、全体的に穏やかな雰囲気だった。それでもその中には、繊細かつこまやかで、抽象的な、だから現代的と言ってもよいようなやさしく巧みな細部の意匠がいくつも織り込まれいて、印象に残った。まああたりのすばらしすぎるような、日本的な陰翳に富んだ自然の豊かさを眼前にして、もしかすると棟梁もここではあえて細部の「技を殺」し、全体の空間造りに徹底されたのかもしれないと思ったりした。
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