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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

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富士山に登る

山中湖からの富士山

先週の連休、富士登山に行ってきた。ボーイスカウトのベンチャー隊の企画で、ここに書いた金剛山六甲山は、実はこれに向けての訓練登山だったのだ。

連休前には、火曜日から木曜日にかけて九州北部ですさまじい雨が降り、全国的に気候が不安定な状況で、木曜日から金曜日には富士宮市でも土砂災害情報が出たくらいに降ったようで、行く前には本当に登山ができるのかも不安だった。

14日土曜日の早朝五時前に集合。高校生のベンチャースカウト3人を含む総勢7人が定刻5時に車で出発した。高速道路の道中は、曇天で富士山を望むことはできなかったが、雨もなく予定通り12時すぎに富士山麓に到着。五合目の駐車場に向かう。ところが途中で交通規制がしかれていて通行止め。一合目あたりの水ヶ塚駐車場まで引き返した。そこからシャトルバスに乗り換えて五合目に向かうそうだ。道路の不法駐車がはなはだしくなり、数年前からこういう込み合う時期には、残念ながらこうすることになったとバスの運転手がアナウンスしていた。

五合目は標高2400m。水ヶ塚駐車場のあたりだと、今確かめると1500m弱しかない。五合目で長い休息をとり、少しでも身体を高度に慣らそうという意図もあったのだが、車で上がれないと荷物の都合があり、結局駐車場のところで夕方まで休憩・待機した。駐車場のあたりは本当に深い霧の中で、まもなく雨も降りだし、時折強くなって、本当に登れるのかという不安があらためて高まった。後で聞くとこのあたりは地形的に雨や霧のメッカだそうで、名前の水ヶ塚もそこから来ているということだった。

五合目の雲海
荷物を登山用にしぼり、午後五時半のバスに乗り、30分ほどで五合目の小屋に着いた。途中で雨雲を突き抜けたようで、五合目付近は雲海の上。晴れ間ものぞき大きく山麓の傾斜面も目に入って一同感激した。
五合目到着

隊長の指示で出発は午後7時40分。最年長の私が先頭に立ったが、すぐに息が上がる感じがしたのでびっくりした。私だけではなくスカウトの一人も言っていた。途中の小屋は、六合目、新七号目、旧七号目、八合目、九合目、九合五尺と六つある。六合目を過ぎて、元気なスカウトが我慢できずに先行し、私は結局一番最後になってゆっくりと登っていった。
登頂記念写真

小屋のところで再集合しては登っていったが、七合目あたりだったか、霧のような細かい雨が降りだし、まもなく風も吹き出して、けっこう強い雨になった。しばらくすると温度が下がったために雹(ひょう)交じりになり、砂嵐を浴びているような感じになった。私は火山灰が風で飛んできているとばかり思っていたが、氷の粒だとあとでみんなに訂正された。

このあたりからが大変だった。風が一気に強くなり、まもなく台風並みという感じになってきたのだ。私でも、時折の突風には体が浮く感じがしたくらいだ。気温はますます低く、小屋が要所にあるとはいっても、真夜中だから結局ぼんやり常夜灯の明かりが中についているだけで、どこも営業はしておらず中には入れない。それでも建物の陰や軒下で、みんな(けっこうたくさん登山者はいた)震えながら休憩していたが。

八合目を過ぎて状況はさらに厳しくなり、リーダーの一人は目がねが白く曇って前が見えなくなり、私のあとから付いて登ってきてもらった。それでも時々足を滑らしたりしたようで、あとで思うと体力はともかく、彼にとっては精神的にひどく消耗するような事態だったと思う。

九合目の小屋には三番目に着いたが、勢いこんで先頭を登っていたスカウトは、建物の陰にうつむいて座り込んだまま動かない。三々五々他のメンバーも上がってきたが、最後に隊長と上がってきたスカウトは、前日の睡眠不足がたたってもはやダウン寸前だった。隊長は自動販売機で熱いお茶を何本も買ってきて、飲ませるとともに服の中に押し込んでいた。

そのうちに店が開いたという報せがきて、これは文字通りの朗報だった。押し合いながら中に入ったが、中で立っているだけでも外とは温度や風がまったく違うので、状況は激変といっていいくらいに改善された。九合目に着いてすぐ、団委員長にメールで経過報告したが、今見るとそれは深夜の12時40分。中に入れたのは1時半か2時くらいだったろうか。

店の中に入ってから気分にも余裕が出てきて、いろいろ相談したが、結局、ここまでで三人が体力を消耗してしまい、高山病の兆候が出てきていて登るのをあきらめた。スカウト二人に加えリーダーも一人いたので、明るくなるのを待ってゆっくりと降りてもらうことになった。でも外の天候はほとんど変らずで、余力のある残り4人もそのまま登り続けていってよいものか迷った。

隊長と相談して九合目の小屋を出たのは午前3時40分ごろ。とりあえず九合五尺にもうひとつ小屋があるので、そこまで登ってあらためて相談しようということにしたのだ。まあ私自身、雨はともかく、吹きつのる突風は正直かなり恐かった。もし前後にたくさんの登山客がいなければ、とても登り続ける勇気は出なかったと思う。

さて九合五尺の小屋に着いたが、ここもまだ閉まったままで、さすがに高度が高いからか、小屋の軒が思いっきり低く、隠れるようなところもない状態。これでは相談する場所もなく、私の判断で、ここまで来たら最後まで行くかとみんなに言って、賛同してくれたので、そのまま休憩なしに登り続けた。文字通りの「胸突き八丁」の現場なので、かなり緊張もした。だから無事鳥居が上に見えてきたときには本当にホッとした。午前5時15分くらいだったと思う。すでにあたりはぼんやり白み始めていた。途中、雪渓の脇も通ったが、頂上の気温は零度。

長くなったので、書いてしまおう。頂上の小屋で休憩などして、鳥居を出たのは午前7時15分くらい。明るくなっていたので気分は大分違ったが、まだ風雨の強さはほとんど変らず。ただ降り始めてしばらくして、私は右ひざがひどく痛み始め、みんなに先に行ってもらい、ゆっくりと一人で降りた。帰途は小屋のところの休憩はまったくせず、五合目の小屋に帰り着いたのは午前11時ちょうど。帰りの方が距離の長さを感じ、つらい道程だったが、一時間ほどの遅れですんだ。
富士山頂2012

19:40に出発し、翌日の11:00に戻るという、15時間少しの行程だったが、あとで思いかえしたとき、まったく馬鹿げたことのようで、笑われるだけだろうが、20年分ほどの記憶を思い出しているような感触があった。とりあえず今書けるような感想はそれだけだ。

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お知らせ

久しぶりに事務所のホームページを更新しました。新しい住宅「千里の家」をUPしています。住宅の欄の筆頭にありますので、よろしければどうかご覧ください。もっと前に準備はできていたのですが、サイトの都合で遅くなってしまいました。

実はこれを今日書くつもりだったのですが、護摩堂の話しを書き出して長くなり、切り離して別の記事にすることにした次第です。

大安寺 護摩堂-2

先日の護摩堂は、総ヒノキ造りで、予算の割にはとても立派な材料が入っていると思う。施工してくれた はい島工務店の はい島棟梁の采配のおかげだが、私は初めてのお付き合いだし、ほぼ宮大工だけの工務店なので、工事監理はもちろん、普通は工務店の仕事範囲に入る工事管理まで含めて、かなり気を使った。
護摩堂内陣

さて同じ木造建築でも、住宅とかではなくこういう御堂とかとなると、ついこの前までは、建築基準法の埒外(らちがい)というようなところがあった。奈良でも有名なお寺があちこちで伽藍復興とかしているが、今の建築基準法の理論では、はるか天平の昔から現に建っているような木造の歴史的建築物に対してほとんど歯が立たず、官民が共同で頭をひねったあげくのエピソードのような裏話しは、いくつも聞いたことがある。中にはほほえましいというか実際笑ってしまうようなものまであったくらいだ。

今回は、最近ようやくそういう伝統木造に対しても有効性が確立されてきた「限界耐力計算」という特殊な方法を使って構造的検討をした。とはいえ構造計算の世界となると仮定と安全率の積み重ねというようなところがあり、また自然素材を主とした木造となると、普遍性に固執した科学(工学)にはもとよりなじみにくいし、何よりこのくらいの規模となると、私としては計算結果などよりも自分の肉体感覚の方を優先したいような気分さえある。とはいえ正面両脇の格子壁(耐震壁)のような新しい手法となると自分でも多少計りかねるところがあるのも確かで、建て方をした大工さんの一人が、「あれをはめたら一気に軸組みが固まったのでびっくりした」というのを聞いたときは正直うれしかった。

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