
外ではごうごうと風が吹いている。横なぐりの雨も激しい。台風17号がすぐ近くまで来ているからだ。大阪では暴風波浪警報が出て、今日はボーイスカウトで「国際活動セミナー」という大阪連盟主催の催しがあったのだが、早朝に中止になった。
とりあえず地区の事務局などを通じて各団などにアナウンスしてもらったが、あわただしかったのはそこまで。私が所属する国際委員会の管轄なので終日参加するつもりが、予定は一気に空白となった。で、事務所へ出てきて、ほったらかしにしていた領収書貼りをさっきまでペタペタとしていた次第。
昨日の続きを少し書いておこう。9月7日の関西フィルの二曲目のメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲についてだが、副題からすると当日のテーマの部分だったかもしれない。
少し記憶がぼけたが、第一楽章は「ああメンデルスゾーンやなあ」というような節回し?があちこちに出てきて素直に聞いたが、第二、第三楽章はかなり違うような感じがした。あとでデュメイ氏ならどんな風にやっただろうと一番思ったところだ。だからそこから、最後にビゼーのやはり若書きの曲をとりあげて、何かつながるようなものを聞き取らせてくれるつもりだったとしたら・・・まあ私にそんな繊細な耳はないかもしれないが、そんなことを思ったりした。そうそう、一曲目にドヴォルザークを持ってきたのも何か特別な意味があったのかしら?考えていると興味はつきない。
余談:
今日ももちろんぺたぺたしているときから音楽をかけていた。ヘンデルのチェンバロソナタから始まってオルガン協奏曲、バッハの復活祭オラトリオ。途中ベートーベンの7番がMP3でデスクトップにあったのでかけたが、しっくり来ずに第二楽章でやめた。今はドビュッシーの「牧神の午後」。これは本当に久しぶりに聴く。あらためて彼のすばらしさを堪能している。
ケースを見るとクリーブランドでアシュケナージの指揮だが、この交響楽団の名前を聞くとやはりジョージ・セルを思いだす。レコードで何枚も持っていたが、よい意味でのアメリカ的というか、率直で誠実で平明。それがそのまま新しい近代的な音の響きとして聞こえてくる。それでいて同時にちゃんと迫力と歴史的な厚みさえ感じさせるような音楽になっていて大好きだった。アシュケナージになると、少し筋肉質になっているだろうか。
とりあえず地区の事務局などを通じて各団などにアナウンスしてもらったが、あわただしかったのはそこまで。私が所属する国際委員会の管轄なので終日参加するつもりが、予定は一気に空白となった。で、事務所へ出てきて、ほったらかしにしていた領収書貼りをさっきまでペタペタとしていた次第。
昨日の続きを少し書いておこう。9月7日の関西フィルの二曲目のメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲についてだが、副題からすると当日のテーマの部分だったかもしれない。
少し記憶がぼけたが、第一楽章は「ああメンデルスゾーンやなあ」というような節回し?があちこちに出てきて素直に聞いたが、第二、第三楽章はかなり違うような感じがした。あとでデュメイ氏ならどんな風にやっただろうと一番思ったところだ。だからそこから、最後にビゼーのやはり若書きの曲をとりあげて、何かつながるようなものを聞き取らせてくれるつもりだったとしたら・・・まあ私にそんな繊細な耳はないかもしれないが、そんなことを思ったりした。そうそう、一曲目にドヴォルザークを持ってきたのも何か特別な意味があったのかしら?考えていると興味はつきない。
余談:
今日ももちろんぺたぺたしているときから音楽をかけていた。ヘンデルのチェンバロソナタから始まってオルガン協奏曲、バッハの復活祭オラトリオ。途中ベートーベンの7番がMP3でデスクトップにあったのでかけたが、しっくり来ずに第二楽章でやめた。今はドビュッシーの「牧神の午後」。これは本当に久しぶりに聴く。あらためて彼のすばらしさを堪能している。
ケースを見るとクリーブランドでアシュケナージの指揮だが、この交響楽団の名前を聞くとやはりジョージ・セルを思いだす。レコードで何枚も持っていたが、よい意味でのアメリカ的というか、率直で誠実で平明。それがそのまま新しい近代的な音の響きとして聞こえてくる。それでいて同時にちゃんと迫力と歴史的な厚みさえ感じさせるような音楽になっていて大好きだった。アシュケナージになると、少し筋肉質になっているだろうか。
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