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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

読書と音楽

まず読書のこと。いま同時進行で読んでいるのが三つ。読み出した順番で書くと、まず岩波文庫の寺田寅彦随筆集、次に村上春樹氏の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」、最後に正岡子規の「病牀六尺」。

寺田氏の随筆集は、その前に読んでいた本で出てきて初めて手に取ったが、ていねいで端正な文章でとても味わい深く、内容もそれぞれ長くないので、仕事の合間にゆっくりと読んでいるが、話題の範囲もすごく広く、なかなか面白い。

子規は、寺田氏の随筆集の中に出てきた「仰臥漫録」を読みたかったのだが本屋で見当たらず、とりあえず青空文庫に「病牀六尺」があったのでアイパッドで読み出した。でも読み出してすぐ、京都のTさんが病気で京大病院に入院された報せが入って驚くと同時に不思議で、ユングの「共時性」の話を思い出したりした。

村上氏の本はそういうのとは違い、先月末、京都の先斗町のひろ作に行ったときに貸してもらった。実は少し前に、書きたいことがあったがやめたとここに書いたのはこのことだった。村上氏と小澤征爾氏が二人でひろ作に来られたことを昨年ここに書いたが、そのときのことがこの本の小澤氏のあとがきに出てるんじゃないかとなじみのお客さんが持ってきてくれたそうで、せっちゃんからその本を貸してもらったのだ。店の名は書いてないが、そのときに当日のエピソードをあらためていろいろと聞かせてもらった。そのときにも書いたが以前リヒテル氏が来たことを話したら大いに受けたらしい。

帰ってきて読み出したが、まず村上氏がよく音楽を聴いておられるのにびっくりさせられた。小澤氏の座談の相手役として申し分ない上に、氏の筆力もあるから本当に面白い。上の二冊と違って、一気に読んでしまいたいような内容だが、仕事が忙しいせいもあるが早く読むのがもったいなくてこれもゆっくり読んでいる。

この本を読んで、久しぶりにCDを買った。カラヤン・ベルリンによるブラームスのシンフォニー1番とグールドによるブラームスの間奏曲集。ブラームスを自分で買うのは初めて。どちらもこの本に出てくるものではないが、なかなかすばらしくそれらを聴きながらこれを書いた。

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住 真田山 クロス

先日現場の報告と書いた建物について、もう少し書いておこう。

正式名称は、「住 真田山(じゅう さなだやま)」と言う。ただずっと現場の仮囲いの壁に貼ってあったパネルでは、「(仮称)真田山パークサイドフラッツ」。確認申請書などはこの名前で、最初に名前が決まらなかったので、私が適当につけた。まあ自分でもちょっと長ったらしいとは思っていたし、施主夫妻から「住(じゅう)」という名前を初めて聞いたときには多少違和感があったものの、徐々になじんできた。

9階建ての建物の中身は3階から7階までが賃貸住宅で、8・9階がオーナーの住まい。1階はアプローチと車庫だけで、2階はオーナーの事務所が入る。賃貸マンションというのは、東京のレーモンド事務所時代の最後に小さい現場をまかせていただいたものの、まだ若い二十代最後のことで、それ以来のことになる。

だからいろいろと初めての経験みたいなところもあって苦労したが、今日は内装のクロスについて感想など少し書きたい。

先に書いた仕事を最後に東京のレーモンド設計事務所を辞めてからヨーロッパ周遊旅行をして帰阪したが、その後9年勤務した美建.設計事務所や独立後の仕事も、大型のいわゆる「委託住宅」が多く、クロス貼りの仕上げはあまり使わなかった。自然素材のものが基調で、クロスは限定された子ども室などで使うだけ。素人でも気軽に選ぶことができ張替えも容易で比較的安価。つまるところ、かなり「安易」な仕上げという意識がある。

一方、建売やハウスメーカーなどの住宅では、クロスの選択は施主の担当。適当なアドバイスはしてくれるものの、メーカー側は選択の責任は一切負わない。もしかすると分厚いクロスの見本帳を前に途方に暮れた方々も少なくないのではなかろうかと推測する。自分としてはそういう「素人」が選択した全国にある無数の建売住宅の「無難な」ばかりの内装を想像してみると、多少残念な気はする。

ただ今回の仕事ではクロスについてそんな気楽なノリではいけないのは分かっていた。壁天井のほとんど全てがクロス貼りで、誰でも選べる気軽な材料だけに、自分は何なのかというのが問われる場面ということになるからだ。だから初めからかなりのプレッシャーを感じて取り組んだ。間接照明もあるので、選定にはかなりの時間とエネルギーをかけ、最後は頭の芯がしびれてふらふらになるくらいだった。

結果は、一般の方はもとより、プロの方々も含めて概ね好評のようで、何より自分としてもまあ及第点をつけられたので、本当にほっとしている。

現場の報告

真田山現場20150317

昨日、ようやく今てんてこまいの事務所隣の工事現場で道路側の足場がはずれた。朝出勤しようとすると、ちょうど上からはずしているところで、道路の反対側から眺めているまこと建設の現場所長E氏たちと出会い、しばらく一緒に眺めていたが、本当にようやくという感じでなかなか感慨深い朝となった。写真は今朝のもの。

次は、先日少し書いた1階アプローチの舗石工事の開始時の写真。石の具合が指示していたのと違うので、とりあえず数枚を並べてもらって様子を確かめた。左のは40x80センチの大きさがあり、厚さは7センチほどもある。側面がシャープすぎるのが不満で、ほとんど埋もれてしまうから四周の上端の角だけ、それでもかなり面倒だが、はつってもらうことにした。これだけボリュームのある石でも、完成したら表面だけしか見えなくなるが、それでもその迫力は伝わってくれるはずだ。

真田山現場20150312

でも、こういう「ノミ切仕上げ」の敷石は、やっているところを見れば理解できるが、驚くほど大変な作業で、今は日本ではとても無理(金額的に)。中国でも3Kの仕事としてやる人が減ってきていて、単価も上昇している。だから設計ではベトナム産としていたのだが、石の色合いや発注状況から、今回も結局中国産のものとなった。

「ノミ切り仕上げ」の石は、大安寺の護摩堂の基壇で使って理解が進むと同時に味をしめ、今回もとなったが、機械の無かった昔なら、大石を割ってから最初におおざっぱに形を整えるのが「ノミ切り」で、そこから「ビシャン槌」で叩いて表面をなめらかにし、さらにていねいに刻んで、最後は磨き仕上げにまでもって行ったのだ。ところが今は最初から大きな石を、大型の機械ノコできれいな四角に、あるいは板状に切り出してしまえる。ビシャン槌にせよ、今は逆に仕上げ表面を荒らすために使う。

それでもまだビシャンならバイブレーターのような電動器具につけてやれるのだが、「ノミ切り」となると、今でも職人がノミを持って表面全体を細かく打っていくのだから、素人からするとちょっと気が遠くなるような作業だ。

こんな石の工事が巷の現場でできるのは、もうしばらくかもしれない。

サンテンイチイチ

昨日の追伸というか補足。

昨日はサンテンイチイチだった。朝刊はそれ一色だったし忘れていたわけではないが、事務所にいる間は忙しさに追われて完全に頭から飛んでいたのは確かだった。帰宅してから、この日ばかりはと覚悟を決めて、普段は目をそむけがちのあの日のニュースや映像を、流れてくるままにだがしっかりと見(ようとし)た。言うまでもなく大変な災害で、自分の今の状況ではここに書けるような言葉も見つからない。

実は昨日は久しぶりに緊張がゆるんで、他に書こうと思っていた話題があってブログのページを開いたのだが、開いたらそれどころではなくなり、やはりたまっていた仕事のストレスもあるのか、ああいう内容になってしまった。

近況報告

久しぶりに書きます。
年明け以来、設計した9階建ての建築現場の工事監理で猛烈に忙しい日々が続いている。

今月末がとりあえずの建物の引渡しなので、工務店は突貫工事でも、設計事務所側の仕事としては、もうここらあたりがピークかなと今まで何回も思ったが、あにはからんや、そのたびに以前にも増して忙しくなるということを繰り返してきている。

こんな突貫工事の現場は自分としてはまったく初めての経験。去年からの構造設計のトラブルが尾を引いているわけで、最後まで工務店には厳しい負担をかけてしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

まあたまたま事務所の隣が工事現場ということもあって、私も最大限の協力をしなければと、工事監理の枠を超えて、工務店サイドの工事管理の範囲にまでも多少踏み込んで必死で取り組んでいる。出来栄えにまったく妥協はしていないつもりだが、さてどんなことになるだろうか。

まだ外部足場も全部ははずれておらず、道路側はほとんど残ったまま。明日からは最後の山場である最上階の鉄骨と1階の大型の舗石工事が同時に始まる。どうか無事に進んでくれますように。