
先週末の25日、天神祭りの船渡御((ふなとぎょ)に行ってきた。私は大阪市内の生まれだが、小さいころは半分、奈良の山奥にある母の実家に預けられ、小学校にあがってからも休みになるとすぐに行って休みが終わるまでずっと田舎で過ごしていた。だから大阪の祭りはほとんど知らないし、田舎の祭りは秋で夏休みにはなく、結果的に祭りにそれほど興味がもてなかった。まあ、自分の子どもたちが小さいころは近くの比売許曽(ヒメコソ)神社や三光神社、少し歩いて生國魂(いくたま)神社などに縁日目当てで行ったりしたが、祭りに参加?するのは今回が初めての経験だ。でも日本三大祭りの一つだし、大阪市民として気にはなっていたので、とても楽しみにしていた。

午後5時前には集合場所に着き、まだ時間があるので天神さんにお参りしてから引き返した。鳳講と書かれた船に乗り込んだのは6時ごろ。でも船の順番が後方で、なかなか出ずに、他の船が次々にゆっくりと川をさかのぼって行くのを眺めながら、お弁当をつまみに飲み放題のチューハイをやっていたが、このお弁当は本当においしかった。上の写真は乗った船の名前にもなっている鳳神輿(おおとりみこし)を乗せた船。

ようやく船が出たのは7時半前くらいだったか。あたりはようやくほの暗くなり、天満橋の手前あたりの右岸(北側、遡る船から見ると左手)に連続してたくさん焚かれているかがり火が美しかった。このかがり火は江戸時代から続く数少ない伝統の一つだそうで、このあたりには各藩の蔵屋敷などが数多くあり、川を行く神様の送り火として盛大に焚かれたのだろう。

次は花火の写真。船に乗ると、酒を飲み弁当を食べて景色を見物する他にも乗客がしなければならないことがある。「大阪締め」という手打ちの行事で、掛け声とともに三回打つだけだが、他の船と行きかうごとに呼びかけて一緒にやるので、かなりの回数だった。20回以上はやったと思う。
さて天満橋を過ぎてしばらくすると右岸で花火をあげている。「花火講さーん!!」と船から大声で呼びかけて、お決まりの大阪締め。するとそれに応えて思いっきり目の前でたくさんの花火をあげてくれた。天神祭りの花火は、川を行くみこしの神様からよく見えるように低くあげる習いだそうで、大迫力だった。

次は能船の写真。かがり火をいくつも盛大にたいてお能の公演中のようだったが、演目は何だったんだろう?通り過ぎて振り返ると豪華な金襴の衣装に包まれたシテがちょうど登場するところで、暗がりを背景に、風に揺らぐかがり火の光に照らされ鈍い黄金色に輝くその姿は何とも言いようのない幽遠さ。すさまじいような何ともすばらしいその一瞬の光景が目に焼きついて今でもまだ忘れられない。帰りにも同じようなところでやはり公演中のようだったので、停泊していたようだ。

銀橋や環状線の鉄橋も越えて、どこまで行くのだろうと思っていたが、なんと毛馬の閘門の手前まで行ってようやく引き返した。かがり火の船が停泊していてそれの周囲を回って折り返し。乗船場まで引き返して降りたのは、もう午後9時半前だった。座席が窮屈だったのが少し残念だが、予想外に川風が涼しくて心地よく、江戸時代の小説などで夏の納涼船の情景がよく出てくるが、実感すること目からうろこだった。

午後5時前には集合場所に着き、まだ時間があるので天神さんにお参りしてから引き返した。鳳講と書かれた船に乗り込んだのは6時ごろ。でも船の順番が後方で、なかなか出ずに、他の船が次々にゆっくりと川をさかのぼって行くのを眺めながら、お弁当をつまみに飲み放題のチューハイをやっていたが、このお弁当は本当においしかった。上の写真は乗った船の名前にもなっている鳳神輿(おおとりみこし)を乗せた船。

ようやく船が出たのは7時半前くらいだったか。あたりはようやくほの暗くなり、天満橋の手前あたりの右岸(北側、遡る船から見ると左手)に連続してたくさん焚かれているかがり火が美しかった。このかがり火は江戸時代から続く数少ない伝統の一つだそうで、このあたりには各藩の蔵屋敷などが数多くあり、川を行く神様の送り火として盛大に焚かれたのだろう。

次は花火の写真。船に乗ると、酒を飲み弁当を食べて景色を見物する他にも乗客がしなければならないことがある。「大阪締め」という手打ちの行事で、掛け声とともに三回打つだけだが、他の船と行きかうごとに呼びかけて一緒にやるので、かなりの回数だった。20回以上はやったと思う。
さて天満橋を過ぎてしばらくすると右岸で花火をあげている。「花火講さーん!!」と船から大声で呼びかけて、お決まりの大阪締め。するとそれに応えて思いっきり目の前でたくさんの花火をあげてくれた。天神祭りの花火は、川を行くみこしの神様からよく見えるように低くあげる習いだそうで、大迫力だった。

次は能船の写真。かがり火をいくつも盛大にたいてお能の公演中のようだったが、演目は何だったんだろう?通り過ぎて振り返ると豪華な金襴の衣装に包まれたシテがちょうど登場するところで、暗がりを背景に、風に揺らぐかがり火の光に照らされ鈍い黄金色に輝くその姿は何とも言いようのない幽遠さ。すさまじいような何ともすばらしいその一瞬の光景が目に焼きついて今でもまだ忘れられない。帰りにも同じようなところでやはり公演中のようだったので、停泊していたようだ。

銀橋や環状線の鉄橋も越えて、どこまで行くのだろうと思っていたが、なんと毛馬の閘門の手前まで行ってようやく引き返した。かがり火の船が停泊していてそれの周囲を回って折り返し。乗船場まで引き返して降りたのは、もう午後9時半前だった。座席が窮屈だったのが少し残念だが、予想外に川風が涼しくて心地よく、江戸時代の小説などで夏の納涼船の情景がよく出てくるが、実感すること目からうろこだった。
スポンサーサイト

コメント:0
