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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

夏の高野山

一週間前に高野山に行って来た。その報告を。

高野山2016

ずっと以前から高野山には行きたいと思っていた。護摩堂を手がけさせていただいた奈良の大安寺が、高野山真言宗の別格本山になっているのがその強い後押しにもなっていたのだが、いままでは行こうとすると予定が入ったりしてあきらめてばかり。結局は大きく遅れてきてしまったので、正直、自分にとってはようやくという思いもあった。

ただ自分としては行くのは2回目。といっても前に行ったのは小学校5年生のときの林間学舎だから、数えてみるとちょうど50年ぶり.で、ちょっとした感慨もあった。でも行ってみるとそのときの記憶と思っていたのは、すべて中学生のときの大峰行の経験のようで、残念ながら昔の高野山の思い出というものは、自分にはほとんど残っていないようだった。また最近ではボーイスカウトの団委員をやっていたときにカブ隊が2回、夏キャンプで高野山に行っていて写真は見ていたが、わたしは行きたいとは思っていたものの仕事の都合がつかず結局参加できなかった。

高野山は昨年が、開かれて1200年という記念すべき年で、いろんな催しもあり多くの人が訪れたようだが、自分はあまりそういうお祭り騒ぎが好きではないので、かえって敬遠する理由にもなった。

ただここ10年ほどで高野山のたたずまいも大きく変わってきたようだ。夕食のお膳を用意しにきてくれた僧と話していると、宿坊というのはもちろん寺院の一部で、もともとはお参りに来られる「檀家さん」を泊めるための施設。布団の上げ下ろしも自分でやり、おそらく掃除もやっただろう。食事も僧の手料理の精進料理で、質素なものだったそうだ。そういえばボーイスカウトで行っていた宿坊もそんな風だったが、もはや住職がご高齢で、2回目当時には、すでにほとんど宿坊営業をやめているということだったから今回は宿泊先の候補にはならなかった。

でもすでに「檀家さん」の参詣は昔にくらべてかなり減っていたと思われるが、10年ほど前から外国人観光客が大幅に増えてきたそうだ。宗教的には原理主義というか、外来者を拒否して孤高を守るという道もあるだろうが、高野山が選んだのはもっと自由で、日本の世間に対してだけではなく、世界に大きく開いていく道だった。

ということで、いまはこうやって部屋までわれわれがお膳を運び、終わったらお膳を下げお布団を敷きに来ます。まかないも専門の料理人が入り、そこには女性もいます、というのがその僧の話してくれた説明だった。お膳で食べるというのも久しぶりの経験だったが、考えてみると江戸時代を題材にした歴史小説で、東海道や中仙道のなんとか宿というところでの夕食の状景はこんな感じで、部屋の脇に片付けた座卓を使った食事より、はるかに乙なものであった。

そして自分にとっては何よりその精進料理がすばらしかった!あまりグルメでないわたしは、予約のときにあと数千円で夕食の料理が豪華になりますというオプションにほとんど興味がなかったが、スタンダードのその料理で十分に堪能できた。滋味があるとはこういうのを言うのだろうかと思ったくらいで、味付けの微妙さが決め手だと思うが、関西風の薄味と甘みがすばらしかったと思う。一番印象的なのはごま豆腐だったが舌触りと風味がしっかりしていて、変な言い方だが脂っこいヨーグルトみたいな感じ。でも今は、自分にとってはそのほかの野菜のほのかな甘みがもっとすばらしかったと思う。食べている途中で、肉や魚はもちろん、卵もなく、まったくのベジタリアン食であることに気がついて感動した。

さて書きたい本題はこれからで、写真も用意したのだが少々息が切れた。続きはまた時間があればということにしよう。

(話題にしたのに宿坊の名を書き忘れた。持明院というところでした。)

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燕庵と飛雲閣

土曜日に茶道の薮内(やぶのうち)家の名前にもなっている茶室 燕庵(えんなん)の見学会があって参加してきた。家内が情報を仕入れて誘ってくれたのだが、なかなかよかったので報告。

西本願寺御影堂201607

西本願寺の団体の主催で集合場所も境内の門。境内にある飛雲閣の見学もセットになっていて、そちらは外観だけという事前のアナウンスだったが、当日「西本願寺とご縁の深い薮内の燕庵を見学されるなら特別に」ということだったそうだが、書院に上がり、脇に増築されている茶室 憶昔(いくじゃく)の間にも入れていただけた。

飛雲閣201607

私は飛雲閣は2回目か3回めで、中へ入るのは2回目。こんなに小さかったかというのが庭に入って外観を目にした瞬間の印象だった。だいぶ前に行った以前には、外観でいろんな種類の屋根がごちゃごちゃしていてあまり好きにはなれなかったが、今回はそのことはそれほど気にならず、正面にある築山に登らせてもらえたこともあるのか、かろうじて保たれた微妙なバランスに感心したりしていた。

憶昔(いくじゃく)の間に入るのは、存在も知らなかったし今回が初めて。茶室としては調べてもいなかったのであまりよく分からなかったが、狭い空間なので入るのに5~7名ずつになって、その分待ち時間があり、書院でゆっくりできたのが自分にとってはかえってよかった。

書院は舟入の間もあるし、建物の規模からしてもかなり大きな広間空間で、上段、上々段など造りも大げさで凝っている。ただ今回初めて細部なども詳しく目にとめたが、意外に厳しくなく大らかな造り方で、接待用に流れたやわらかい感じもした。ちなみに聚楽第の遺構という説もあるが、現在の文化財研究者の間ではそうではないという説が優勢だそうだ。

さて本題の燕庵。残念ながら茶室には上がらせてもらえなかったが、窓が多く、ある程度空間を掴まえることはできたと思う。入れてもらえなかったことは、正直そんなに残念にまでは感じなかった。

燕庵2011607

率直な印象はフェイスブックにも書いたが「かっこいい!!」。それに何ともよくできていて、これは建築をやっていない人には、自分の思いをなかなか分かってもらえないかもしれない。茶室というのは当然茶事をするための空間だが、それも「小間(こま)」ともなるとそのための配慮や工夫が重ねられて、多少は茶事のことも知っていないと理解できないのも確か(私も若いときに少しかじっただけだが)。

そういうのを下敷きに間取りをつくり、狭い空間を天井意匠の変化でシンボリックに区切ったり、今回は畳まで変えたりして空間構成を深化させている。さらに細部となると、もちろんここだけではないが、デザインした人の個性を介して、千変万下といっていいくらい細やかに変化させたりしているところが、茶室を見ていてあきない理由だ。

燕庵の茶事の行為作法と溶け合った空間構成については、事前に少し調べて、武家風を加味しつつ、本当にうまくまとめてあると感心していた。ただこれは間取りのレベルで、多少のイメージはできたとしても、空間そのものはやはり体験してみないことには分からない。

行ってみると本当に「きれいな」茶室であった。手前畳脇の中柱なんて曲がった自然木には間違いないが、できすぎ!と思うくらいに完璧な形をしていた。たくさんの窓やトップライトに感じる繊細な心配りや闊達な自由さは圧巻と言ってもいいくらい。でも中柱の存在もあり、壁の印象も弱すぎることはなく、障子の窓とあいまって全体に軽さとしなやかさが感じられた。あと腰に高く貼られた黒紙の意匠がすてきで、桂離宮の市松模様やビロードの意匠を見たときのショックに近いものを感じた。何ともモダンでかっこよかったのだ!

さて長くなった。まとめよう。上に書いたような「かっこよさ」や「きれいさ」はとてもすばらしかったが、物足りないところもあった。個性の「泥」みたいな臭いが希薄であったことだ。あまりにきれい、できすぎ、というのがとりあえず自分の感想の1つだが、それは個性を「写し」というかたちで受け継いできた結果の必然として、一種の洗練という言葉で表わしてもいいのかもしれない。でも総じての感想を書けば、丹精で美しく、とてもよくできた茶室だと思った。織部の茶室は初めて行ったのだが、期待以上の面白さだった。