FC2ブログ

松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

「日本社会の歴史」

久しぶりに少し違う分野の本を読んでみたが、それがとても面白くて、これまた久しぶりに新鮮な感動を味わったので書いておきます。その本は網野善彦氏の「日本社会の歴史」。岩波新書で上・中・下の三分冊。とくに上から中の前半のあたりまでは、本当に目からたくさんのうろこが落ちた。

感想をひと言で言うと、上質の唯物史観とはこういうことを言うのかもしれないという、生まれて初めて味わうような感嘆だった。唯物史観といっても、もはやかなり手垢もつき、こんな古びた言葉など今はもうはやらないと思うが、われわれの年代の学生時代には、まだピカピカ光ってまぶしいような言葉の一つだった。そして自分もたまに話しの中で使ったりはしたものの、正直言ってほとんどその意味は分かっておらず(まあ今でもだが)、完全に知ったかぶりをしていただけだったように思う。だからそういう感想自体、はたしてどうかとは思うが、まあそう思ったのだから仕方がないということでとりあえず許していただきたい。

閑話休題。
そういう知ったかぶりの生半可なことは別として、その感動についてもう少し書いてみたい。
まず、とにかく今までの一般的な「日本という国の歴史」というような視点からはまったく自由なのに驚かされた。冒頭から、今まで知っているいわゆる歴史書とはまったく内容もトーンも違ったので多少とまどったくらい。網野氏自身、初めはタイトルを「日本列島の歴史」としようと思っていたとあと書きに書かれているが、たしかに今まで私が見たこともなかったような、日本を含むこの地域全体の人間たちの、ある期間における躍動と変遷を、時系列で、あたかも全体が一つの生き物の成長過程のようにダイナミックな映像として見せてもらったような感じがした。

変な表現になるが、自分なりのイメージをあえてそのまま書くと、大きなざるの中に入った無数の小豆が、ゆっさゆっさと揺られ続けているうちに、その表面にできる微細な模様が刻々と変わっていき、それがあるときにはとても印象的な形になったりする。実はそういう全体的な動きの結果、偶然的に生み出されてくる瞬間的でまた空前絶後の、特異な全体的布置やフォルムこそが、歴史上の有名な変革や出来事、さらには「国」などの概念なども含めた、いわゆる歴史的事実というものの本当の姿なんだよと教えてもらったように感じたのだ。
スポンサーサイト

  コメント


管理者にだけコメントを閲覧させることができます