古墳の本場にいながら、それほど数は見ていないが、あと印象に残っているのを挙げるとすれば、大阪の近鉄藤井寺駅付近の「岡ミサンザイ古墳」だろうか。ここも宮内庁の想定によれば仲哀天皇陵ということになるが、その近くで数年前に診療所の仕事をやったので、何回か脇を歩いたことがあった。規模は宝来山古墳よりわずかに大きいくらいだが、まったくの市街地だからすぐ周囲はびっしりと住宅が建ち、道路と濠の空間はあっても、それくらいの余裕だけでは少し窮屈な感じがした。それに比べるとここは周りに広々とのどかな田園地帯が広がっていて、自由に夢想にふける気分になれるのがうれしい。
そんなことを考えながら、古墳に別れを告げ、御陵の東側を走る道に入って南下した。しばらく歩くと突き当たりのT字路で、そこを左折し、さっきの道と平行に走っている近鉄線の踏み切りを越えると唐招提寺はもう目の前。すでに左側の森は境内の一部だ。眺めるとその向うに白いシートで覆われた見慣れない巨大なバラックのようなものが見えたが、現在解体修理中の金堂の覆い屋だろう。
唐招提寺は、大学院生の頃、それこそしつこいくらいに何回も訪れた思い出がある。東京から帰阪してからも数回は来ているが、今は肝心の金堂も見られないし、今回の目的外だったので寄るつもりはなく、門前の手前の道を右に曲がって薬師寺へ向かった。
唐招提寺については、深い緑に包まれて金堂の背後につつましやかに広がる静謐な伽藍空間を別とすると、思い出としては宝物殿にある有名なトルソーと、御影堂にある鑑真和上像が一番にあがるだろうか。あとは確か、名前は忘れたが某天皇直筆の扁額があったのをなぜかよく覚えている(今調べると孝謙天皇だった)。今はどうか知らないが、その頃は宝物殿の入口の大きな開口の上にかかっていて、建物自体をお堂のように感じたなつかしい感触の記憶が残っている。
またこれは独立してからだが、御影堂(みえいどう)の観月会(かんげつえ)に招待してもらったことがある。夕方くらいに着き、庭の一画に建つ小間(こま)の茶室でお薄のふるまいを受けてから堂内へ上った。もちろん鑑真像もあったが、二間続きに並ぶ東山魁夷画伯の一連の襖絵を、とても見事に思ったのが印象に残っている。ただ、あいにく台風が関西地方に接近してのくもり空で、会があったとしても肝心の観月ができるのか前日にかなり心配した。着いたときにもまだ厚い雲がかかっていて、一時はほとんどあきらめたくらい。だが幸運にも台風は南にそれてくれて、結局、奈良には大した影響もなく終わったようだ。そして台風一過、ようやく帰る時分になってからだが、空はあざやかに澄みわたって、すでに中天にかかった満月が皓々と輝き、最後は忘れられないような良夜となった。


