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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

奈良の古建築-7:円成寺と田原

慈光院に対して、ここではページを費やしてしまったが、当日は次の予定があったので、あまりゆっくりとできなかったのは残念だった。拝観後、門前の駐車場に面した小さな喫茶店で昼食をすませ、あわただしく次の予定地である円成寺(えんじょうじ)に向かった。

この日は天候がいまいち。幸運にも見学の間に強く降ることはなかったが、夕方まで降ったりやんだり。慈光院を出てから東に流れながら北上。奈良市内に入って、東大寺の国宝「転害門(てがいもん)」の正面を左に折れ、少し北に上ってから東に右折。雨に濡れてみずみずしさのきわだつ新緑の山中のくねった道を登坂した。奈良市中から見て東の春日山の裏手に広がる高い平地に出ると、まもなく円成寺。そこはもう柳生の里の入口あたりだ。

余談をはさむ。
ここの地名は忍辱山(にんにくせん)町という。寺名も正式には忍辱山円成寺。あと菩提山(ぼだいせん)正暦寺という寺もあり、ほかにもすでに寺はなく地名しか残っていないが、鹿野苑(ろくやおん)と、あともう一つあって(名前を忘れた)、四つとも平安時代に創建された寺院の山号。皆聞きなれない名前だが、すべて直接釈迦に由来するものだ。

さらに余談だが、実は自分の母の里が、この円成寺から真南に3キロほど行ったところで、2007年カンヌ映画祭でグランプリをとった「殯(もがり)の森」という映画の舞台として一躍有名になった「田原地区」。山深い里だが、ここには奈良時代末の光仁天皇陵や、古事記の編纂者である太安万侶(おおのやすまろ)の墓があり、昨今は観光バスも来る。

東大寺あたりを起点にすると円成寺は、東大寺の東にある春日山を北に迂回して東へ行ったところだが、田原地区はその春日山を逆に南に迂回し、東に登ったあたりになる。そしてそのとき東に折れるあたりの地名が上に書いた「鹿野苑」だ。その名のバス停があり、幼い頃は遊園地でもあるのかしらん、少し成長してからも、温泉か料亭でもあるのだろうかと思っていた。とにかくちょっと不思議で魅惑的、自分にとっては長い間謎のような名前だった。ちなみに田原地区から、さらに同じくらい山中を南下したところに菩提山正暦寺がある。

田原地区は、映画をご覧になった人は分かるが(自分はまだビデオで前半しか見ていないけど)、いまだに土葬。わたしも自分の親戚の葬儀で、何回か葬連(そうれん)行列に加わったことがある。一番遠い記憶はまだ屈葬で、樽のような棺桶だった。村の墓地まで棺桶を引いていくのは人力で、前後に行列がつく。棺桶を載せる木製車輪の台車は村所有だが少し古いもので、今の長方形の棺桶だとちょっとはみ出した感じになってしまう。この葬連行列には、持ち物や衣装など、いろいろと不思議な風習があって、大学院生だったころ、民俗学的にはとても興味深い行事なんだろうなと思った記憶がある。

余談が長くなった。今日はこの辺で
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