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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

奈良の古建築-11:円成寺中世の風景

もう一つだけここで書いておきたいので、今日も円成寺。

一応予約というか連絡してたずねたと書いたが、ご住職の田畑氏が待っていてくださった。まだあわただしい雰囲気も抜けず、とりあえずの簡単な説明だけ受け、しばらくはわれわれだけで境内を拝見し、終わったら声をかけてくださいとのことだった。ここには建築だけでも国宝や重文などいくつもあるのでゆっくり見て回ったころ、ちょうど田畑氏の姿を見かけて声をかけた。

奥の比較的新しい庫裏(くり)のような建物に招き入れられ、会議室のように四角にテーブルが廻っている洋室に入って、みんなでお茶とお菓子をごちそうになった。おそらく紹介の労をとっていただいたO氏から、建築の専門家とでも伝わっていたのだと思うが、控えめに簡単な説明をしていただいた後、ご質問などありませんかと問われた。

わたし以外のメンバーは、あまり知識もないこういう古建築に接するとは思っていなかったかもしれない。でもそれなりにいくつも質問が出て、しばらくお話しを聞かせていただくことができたのは、本当によかったと思う。。

その中で印象深かったことを一つ書いておきたい。
一昨日、本堂正面の写真を載せたが、そこで見るように正面五間(けん)。これは概略の大きさも表すが、柱間(はしらま)の数で、間隔は等しくなく、真ん中から外へいくほど狭くなっているが、柱は合計六本(手前に並ぶ向拝の四本柱ではなく奥の建具のところ)。奥行き方向の写真はないが、やはり五間で、方(ほう)五間の建物。

平面図を見ると寸法的にもほぼ正方形だが、正面から見て、左右両端の狭い間(ま)だけが表から奥までずっと、格子の壁や建具で中央三間(けん)の内陣とは区切られている。下の写真はその内陣で、フラッシュを焚いてないのでぶれているが、この右側に格子の壁がある。
円成寺内陣
写真を撮っておらず残念だが、この左右にある細長い間は、奥行き方向に右は三つ、左は四つにさらに壁で区切られている。最初に回ったときは、こんな風になっているのかという単純な印象しかなかった。でもこのとき誰かがどうしてこうなっているかと質問し、それに対するご住職のお話しがとても興味深いものだったのだ。

文献などで残っているわけではないのかもしれないが、ここは中世の時代には、内陣で催された仏事の「イベント」のときに、(多分)高貴な参拝者のために用意された、特別な祈りの部屋だったのではないかというお話しだった。

これは、現代に生きる若い人たちにも直感的な理解を与えたようで(もちろん私も)、油の灯具やロウソクしかなかった時代に、あたりの深い漆黒の闇を背景に、夜を徹して行われた多数の僧たちの、熱気を帯びてはげしい祈祷の声や所作の面影がまるで夢のように、でもくっきりと格子の向うに見える映像として、眼前に彷彿する思いがしたのだった。一同、お話を聞いてから、再度本堂を見に行ったのはいうまでもない。

もうかなり以前、井上靖氏が東大寺二月堂のお水取りの深夜の行に立ち会われた文章を読んだことがあるが、それを不思議なくらい克明に思い出した。
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