
前回の北澤氏の講演で、印象的だったことを一つ。あの12角形の部屋の大きさが「40畳」だと話されたことだ。40畳といえば20坪。狭小敷地でもありえる大きさで、住宅の一部屋の大きさとしてはかなりのものだろう。でも私の記憶の中には、もう一つの「40畳」の部屋がある。それは今は亡き師匠、石井修先生のご自宅の居間(食堂)だ。この家の雑誌発表時の名前は「回帰草庵」というので、以下その名前で呼ぶ。石井先生主宰(しゅさい)の美建.設計事務所で、私もたくさんの住宅設計に関わったが、この回帰草庵の「40畳」がよく先生の話しに出てきた。ご自分の住まいなので、その広さを詳細なまで具体的に感覚されていて、常に部屋の広さの一つの基準になっていたのだろうと思う。
話は変わるが、レーモンド事務所の北澤氏よりさらにずっと先輩に、これも今は亡き吉村順三氏という建築家がおられるが、実は石井先生は、その事務所におられたことはないものの、吉村氏に対して師としての尊敬の念を持っておられたと思う。次の話は石井先生から直接聞いたわけではないが、あるとき吉村氏が回帰草庵を訪問され、入るなり、たしか「まるでアメリカだね」とか言われたという記事をどこかで読んだ覚えがある。そこにはおそらく部屋のスケールのこともあっただろう。まあ石井先生とレーモンドには、直接の関わりはなかっただろうが、先生は少なくともマスコミを通じてレーモンドの作品にはふれておられただろうし、吉村氏を通じて話しは聞いておられたはずだ。
もちろんこういうような関係と上にあげた二つの「40畳」にはあまり関連はないと思うが、「40畳」つながりでいろんなことが頭の中を横切って行ったので、メモ代わりにでも書いておこうと思ったのだ。でも今回は、建築設計業界以外の人には、まったく意味不明の話になってしまった。
話は変わるが、レーモンド事務所の北澤氏よりさらにずっと先輩に、これも今は亡き吉村順三氏という建築家がおられるが、実は石井先生は、その事務所におられたことはないものの、吉村氏に対して師としての尊敬の念を持っておられたと思う。次の話は石井先生から直接聞いたわけではないが、あるとき吉村氏が回帰草庵を訪問され、入るなり、たしか「まるでアメリカだね」とか言われたという記事をどこかで読んだ覚えがある。そこにはおそらく部屋のスケールのこともあっただろう。まあ石井先生とレーモンドには、直接の関わりはなかっただろうが、先生は少なくともマスコミを通じてレーモンドの作品にはふれておられただろうし、吉村氏を通じて話しは聞いておられたはずだ。
もちろんこういうような関係と上にあげた二つの「40畳」にはあまり関連はないと思うが、「40畳」つながりでいろんなことが頭の中を横切って行ったので、メモ代わりにでも書いておこうと思ったのだ。でも今回は、建築設計業界以外の人には、まったく意味不明の話になってしまった。
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