
昨日は、「田植え」に行ってきた。と言ってもボーイスカウトで、今回はカブ隊の活動。場所は、大阪からだと生駒山の暗峠(くらがりとうげ)を越えて少し下ったあたり。このルートは大阪と奈良をつなぐ大昔からの街道で、今は一応国道 308号線だが、国道だと思って行くと、とんでもない目に合う。傾斜がきついのはともかく、幅2メートルほどしかないところもあって、細くてガタガタ。軽自動車くらいでようやくという道だ。まあ大阪の人ならたいてい知っているが、なぜか車のナビは平気で指定してくるので困ったものだ。もちろん今回も自動車部隊はそのルートなど見向きもせずに昔の阪奈道路を抜け、近鉄電車で来たスカウトたちと南生駒駅で落ち合った。

朝から天気予報通りの激しい横殴りの風雨で、私が持っていたヒャッキンの傘は、車を降りて広げると同時に見事に一瞬で破壊されてしまい、思わず笑ってしまった。写真で見ると、雨気をたっぷり含んだ山の緑はなかなかすばらしいが、実際にはかなりの強さで降っていて、みんな景色どころではなかったと思う。
「いこま棚田クラブ」 というところの主催で、初めて参加させていただいたが、本当によくしてもらった。当日はわれわれも入れて総勢40名以上の大部隊で、別のところのもう一枚の棚田を担当する近畿大学の農学部の人たちとは途中で分かれて作業開始。田の両端に、植えるピッチに印のついた糸を持ってくれている人たちがいて、糸を張ったら号令一下、みんな一斉に印の位置に苗を植えこみ、終われば少し糸を移動してまた同じ作業。最初はおそるおそる裸足で田に踏み込んだスカウトたちも、何とか遅れずに作業している。

私にとっても生まれて初めての田植え体験だったが、写真を撮るために、一番最初に田の中に踏み込んだ。気温も低めで、冷たいのは覚悟していたが、水は多少冷たくとも下の泥の中は意外にも生暖かく、何より驚き感動したのは、その暖かい泥が柔らかくて繊細、何とも言えぬやさしい感触だったことだ。子どもたちも泥のあぜに上がるのは嫌がっても、中にいるのは心地よく感じていたようだ。自然の沼の泥とかとは大違いで、何とも人工的で洗練のきわみのような足の感触だった。あとで考えたが田の床は、日本人が二千年にもわたって営々と改良して作り上げてきた栽培システムの核心的な部分と言っていいだろうから、それくらいで当たり前かもしれない。
ただ、やはり風雨が強く気温も低いし、仕事としては軽作業なので、スカウトたちは徐々に身体が冷えてきたようだ。カッパは着ていても、頭なんかは最初からずぶ濡れになってしまっている子もいた。ついには一枚目の田の終盤あたりから徐々に脱落していき、二枚目の田へ移る前に、恐縮だったが全員、荷物を置いた公民館まで先に引き上げさせていただいた。
公民館の部屋には石油ストーブが二台燃えていて、先に戻った歯をガチガチ鳴らしているスカウトたちにはありがたかったようだ。昼食のためにクラブの方たちが、暖かいスープを用意されていたが、「今しか食えない!」という「とっておきの」地上の緑葉も一緒に煮込んだ玉ネギのスープで、これが何とも絶品だった。あとで外に干しかけてあるのを見たが、玉ねぎとしてはまだまだ小さな大きさで、葉を食べるにはそのくらいでとらないとだめなんだそうだ。本当に甘くておいしいスープだった。子どもたちも、次から次へとお代わりしに行っていたのがとても印象的。彼らでも、おいしければ野菜だって飛びつくのだ。

朝から天気予報通りの激しい横殴りの風雨で、私が持っていたヒャッキンの傘は、車を降りて広げると同時に見事に一瞬で破壊されてしまい、思わず笑ってしまった。写真で見ると、雨気をたっぷり含んだ山の緑はなかなかすばらしいが、実際にはかなりの強さで降っていて、みんな景色どころではなかったと思う。
「いこま棚田クラブ」 というところの主催で、初めて参加させていただいたが、本当によくしてもらった。当日はわれわれも入れて総勢40名以上の大部隊で、別のところのもう一枚の棚田を担当する近畿大学の農学部の人たちとは途中で分かれて作業開始。田の両端に、植えるピッチに印のついた糸を持ってくれている人たちがいて、糸を張ったら号令一下、みんな一斉に印の位置に苗を植えこみ、終われば少し糸を移動してまた同じ作業。最初はおそるおそる裸足で田に踏み込んだスカウトたちも、何とか遅れずに作業している。

私にとっても生まれて初めての田植え体験だったが、写真を撮るために、一番最初に田の中に踏み込んだ。気温も低めで、冷たいのは覚悟していたが、水は多少冷たくとも下の泥の中は意外にも生暖かく、何より驚き感動したのは、その暖かい泥が柔らかくて繊細、何とも言えぬやさしい感触だったことだ。子どもたちも泥のあぜに上がるのは嫌がっても、中にいるのは心地よく感じていたようだ。自然の沼の泥とかとは大違いで、何とも人工的で洗練のきわみのような足の感触だった。あとで考えたが田の床は、日本人が二千年にもわたって営々と改良して作り上げてきた栽培システムの核心的な部分と言っていいだろうから、それくらいで当たり前かもしれない。
ただ、やはり風雨が強く気温も低いし、仕事としては軽作業なので、スカウトたちは徐々に身体が冷えてきたようだ。カッパは着ていても、頭なんかは最初からずぶ濡れになってしまっている子もいた。ついには一枚目の田の終盤あたりから徐々に脱落していき、二枚目の田へ移る前に、恐縮だったが全員、荷物を置いた公民館まで先に引き上げさせていただいた。
公民館の部屋には石油ストーブが二台燃えていて、先に戻った歯をガチガチ鳴らしているスカウトたちにはありがたかったようだ。昼食のためにクラブの方たちが、暖かいスープを用意されていたが、「今しか食えない!」という「とっておきの」地上の緑葉も一緒に煮込んだ玉ネギのスープで、これが何とも絶品だった。あとで外に干しかけてあるのを見たが、玉ねぎとしてはまだまだ小さな大きさで、葉を食べるにはそのくらいでとらないとだめなんだそうだ。本当に甘くておいしいスープだった。子どもたちも、次から次へとお代わりしに行っていたのがとても印象的。彼らでも、おいしければ野菜だって飛びつくのだ。
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