
昨日は、この7月に竣工した奈良の大安寺の護摩堂の落慶法要。
9月9日は重陽(ちょうよう)の節句。さらに日曜日でしかも大安という、今日はまことに稀有でお目でたい日ですと御住職が話されていた。落慶法要とはいっても、御堂最初の護摩焚の儀式も兼ねたささやかな規模とお聞きしていたが、行ってみるとそれでも100人以上は優に参列されていた。
主賓は、文化財界の大御所である鈴木嘉吉先生で、戦後まもない昭和28年にあった最初の境内発掘調査にも参加されておられる。「だから僕は大安寺とはもう60年ほどのお付合いになるんですよ」と、式典のあと、冷たいお茶で喉をうるおされながら、感慨深げに話されていたのが印象に残る。

われわれは堂内に招き入れられ、般若心経の大合唱の中での、おごそかでいて、ある意味かなり華やかな護摩焚の行に参列させていただいた。堂内にはぎっしりと人が入り、護摩焚きの炎も高く上がってかなりの暑さだったが、私は内陣天井にとり付けたフードの利きなどが気になって、最初は少し冷や冷やしながら見ていた。時間にして40分ほどだったろうか、堂内参列者の焼香も含め、とどこおりなく儀式も修了してようやく私も少しホッとすることができた。
それで終了かと思っていたら、引き続いて式典を行いますとのこと。出ると堂の外側入口脇に椅子が並んでいて、向かって左側の基壇上には作事方というか、鈴木先生、私、はい島棟梁、そして本尊の不動明王を見事に彫り上げられた矢野仏師という順で座り、反対の右側には信徒総代の諸氏がやはり横並びで席につかれた。
最初に名前を呼ばれたのでびっくりしたが、中央に立たれたご住職から、用意された感謝状を読み上げていただき、壇上で書状と記念品を手渡されて、私には全く予想外のことだったので、まことに恐縮至極、感激の次第であった。同じく棟梁、矢野仏師と続き、そのあとで鈴木先生が記念のスピーチに立たれた。
さすがに悠々たる語り口で、大安寺の歴史も交えながら、天平伽藍の偉容に始まり、これまでの境内整備の状況やさらには将来の展望についてまで話を進められた。
矢野仏師がその後に立たれたが、その合間に、私にも少し話してほしいと突然の依頼が来て少々とまどった。今日は鈴木先生が居られるので、私にお鉢が回ってくることはないものと思っていたからだ。
だから何の準備もしていなかったので、しどろもどろのところもあったが、晴れやかな舞台でスピーチまでさせていただき、私にとっても長く記念すべき、とても華やかな一日となった。
9月9日は重陽(ちょうよう)の節句。さらに日曜日でしかも大安という、今日はまことに稀有でお目でたい日ですと御住職が話されていた。落慶法要とはいっても、御堂最初の護摩焚の儀式も兼ねたささやかな規模とお聞きしていたが、行ってみるとそれでも100人以上は優に参列されていた。
主賓は、文化財界の大御所である鈴木嘉吉先生で、戦後まもない昭和28年にあった最初の境内発掘調査にも参加されておられる。「だから僕は大安寺とはもう60年ほどのお付合いになるんですよ」と、式典のあと、冷たいお茶で喉をうるおされながら、感慨深げに話されていたのが印象に残る。

われわれは堂内に招き入れられ、般若心経の大合唱の中での、おごそかでいて、ある意味かなり華やかな護摩焚の行に参列させていただいた。堂内にはぎっしりと人が入り、護摩焚きの炎も高く上がってかなりの暑さだったが、私は内陣天井にとり付けたフードの利きなどが気になって、最初は少し冷や冷やしながら見ていた。時間にして40分ほどだったろうか、堂内参列者の焼香も含め、とどこおりなく儀式も修了してようやく私も少しホッとすることができた。
それで終了かと思っていたら、引き続いて式典を行いますとのこと。出ると堂の外側入口脇に椅子が並んでいて、向かって左側の基壇上には作事方というか、鈴木先生、私、はい島棟梁、そして本尊の不動明王を見事に彫り上げられた矢野仏師という順で座り、反対の右側には信徒総代の諸氏がやはり横並びで席につかれた。
最初に名前を呼ばれたのでびっくりしたが、中央に立たれたご住職から、用意された感謝状を読み上げていただき、壇上で書状と記念品を手渡されて、私には全く予想外のことだったので、まことに恐縮至極、感激の次第であった。同じく棟梁、矢野仏師と続き、そのあとで鈴木先生が記念のスピーチに立たれた。
さすがに悠々たる語り口で、大安寺の歴史も交えながら、天平伽藍の偉容に始まり、これまでの境内整備の状況やさらには将来の展望についてまで話を進められた。
矢野仏師がその後に立たれたが、その合間に、私にも少し話してほしいと突然の依頼が来て少々とまどった。今日は鈴木先生が居られるので、私にお鉢が回ってくることはないものと思っていたからだ。
だから何の準備もしていなかったので、しどろもどろのところもあったが、晴れやかな舞台でスピーチまでさせていただき、私にとっても長く記念すべき、とても華やかな一日となった。
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