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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

アントニン・レーモンド

今朝の朝日新聞の「天声人語」に建築家A.レーモンド氏のことが出ていた。リーダイス・ダイジェスト日本社屋についての当時の構造論争のことだ。この建物は戦後まもなくの建築だが、残念ながら短命で40年ほども前に建替えられてしまったので私も図面や写真でしか知らない。でもそれは、本当に夢見るような美しい建築で、日本の建築史上、世界のトップ水準を抜いた数少ない瞬間の一つだったと今でも思う。

わたしがレーモンド事務所に入ったのは、もはや彼が引退しアメリカに帰って亡くなられた頃だったが、すでにその建物もなく、実物を目にすることができなかったのを本当に残念に思った記憶がある。そして彼が当時の建築界で浴びせられたその構造への不信感に対して、いかに憤慨していたかというのは自伝を含めた文章などでよく覚えている。

2階建てのコンクリート造の細長い建物だが、長手の方向は全面大きなガラス壁に深い庇とバルコニーのみという非常にシンプルな構成。両端の短辺はコンクリートの壁だがその中間には柱がない。当時の構造論争の詳細については私はほとんど知らないが、レーモンドの反論を読むかぎり、この中間に柱がないことが不信感を招いた原因の一つだったようだ。でも実際には柱がないわけではなく、少し傾斜した鉄骨の細い柱が何本も立っている。細くて材質も鉄のパイプなので、外見上は構造というよりもサッシュの一部か装飾のようにしか見えず、結果としてはあざやかに水平線が強調され、深い透明度をもったため息さえ出るようなすばらしい空間が実現されていた。

記憶にあるレーモンドの反論は、この鉄骨のパイプは単なる外装で、その中にさらに細い鉄骨柱がありその中にはコンクリートがきちんと充填されていて、耐力的にも、また耐火上も十分な性能をもつ構造材となっているのに、どうしてそれを認めようとしないのかというはげしい怒りの声であった。

当時はまだまだ日本の構造基準も発展途上の段階で、コンクリート造と鉄骨造をまじえて使うことなど認められていなかったと思う。計算不可能だしつまりは構造的に「不純」だというところか。

それに対しての反論だとすれば正当とも考えられるが、この鉄とコンクリートのパイプ柱は、純粋なコンクリート造とは確かにいえず、今の高層建築でよく使われるSRC造(鉄骨と鉄筋コンクリートの混合構造)の先がけのようなものだった。だから当時の技術基準の絶対性をふりかざすような一部の潔癖な構造技術者たちにとって、簡単に認めるわけにはいかないということだったのかもしれない。

ただ言っておきたいのは、戦時中引き上げていたアメリカから勇躍日本に戻ってきたレーモンドのところには、当時の日本の精鋭たちが競って集まってきており、これは構造部門もまったく例外ではなかったということだ。デザイン・意匠は別としてもレーモンド事務所は、構造・設備の分野で当時日本の最先端の技術力を持つ設計事務所であったのは確かだと思う。
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