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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

ケヤキの盛装

ケヤキの盛装-1

前回のケヤキのその後の姿。確か今週の木曜日の朝撮ったので、11月の13日。あれから二週間ちょっと経った姿ということになる。まあ紅葉と言ってもモミジ、ドウダンツツジなどと比べるとケヤキなどニレ科の木はもともとそう鮮やかではない。だからこのくらいでも今年は十分すばらしい紅葉と言ってもいいと思う。何より木が大きい。下は今日撮ったもの。
ケヤキの盛装-2

次はその前日(水曜日)に撮っていたもので、最初の写真を撮ったあたりで左手に120度くらい振り返ったところにあるケヤキ。左側に二本ある裸状態のものがそれだが、この秋の公園事務所の手入れで無残に枝を先詰めされて、もはや紅葉どころではないありさまだ。この木々は一度ここにも新緑や黄葉の写真を載せたことがあり、すばらしい樹形をしていて、10年くらい前までならこれを見て「何てことをするんだ!」と怒りに包まれたろう。でも今は残念なのは確かだが、それほどでもない。
ケヤキの盛装-3

他にも例えば奈良の大安寺に、それこそ勇壮と言いたいくらいの大きく見事なイチョウがあり、黄葉の時期にはその下にマッ黄色の落ち葉が掃き集められ、ため息の出るように美しい水溜りのような風景が演出され、やはりここにその写真を載せたことがあった。だが今年の夏前に行ったときには同じように梢は先止めされ、はでに枝うちされてしまっていて、ちょっとショックだった。

まあずっと以前から、ご住職をはじめとして寺僧のみなさんから落ち葉が大量で困っているというのは聞いていたが、枝打ちのお手伝いをしたことはあったものの抜本的なことまでは自分の頭には浮かばなかった。ただ数年前に護摩堂を造ったとき、隣の杉だったかの高木が倒れると危ないというので切ってもらったことはあった。

余談をはさむ。
だいぶ前に、司馬遼太郎氏の紀行本で、和歌山県の根来寺に行かれたときのことを読んだことがあった。ここは戦国末期に隆盛した鉄砲使いの雑賀衆の本拠地で、信長時代には大活躍したが、最後は秀吉によって徹底的な焼き討ちを受けてつぶされた。ただ寺としては生き残り、建築では国宝の多宝塔が残っているので私には多少なじみ深い名前だが、まだ行ったことはない。

司馬氏の文章では多宝塔は紹介くらいで、焼き討ちのために今もまだらな伽藍の描写に代えて、寺の生活というものは、この広い境内なら掃き清めるだけで一日の仕事は終わってしまうかもしれないが、そういうものなんだと、宗教的な生活のたたずまいの端正な清らかさを、片付いたように静かな境内の情景を重ねながら淡々と書いておられたのが、なぜか深く印象に残っている。氏は勤務していた産経新聞社時代に京都の寺社担当?だったか、そういうところを回って取材の日々をおくられていたようだから、そのころの思い出もあったのだろうか。

閑話休題
まあやはり人の住む場所で木々と共生するとなれば、もちろんそれなりのコントロールは必要になるのだが、京都奈良の有名な古寺のようなところだと見学収入も多いから、メンテナンスの予算も潤沢で、年間を通してきめ細かい手入れが可能だ。でも公園も含めてそうでもないところだと、たまにはこういうはでな荒療治も仕方がないのかもしれないと思うようになった。でもちょっと無残すぎるのも確かで、もう少しどうにかならないかとは思うし、これからこの木々が年を経てどう変わっていくか、確かめていくためにもここに記録として残しておこうと思った次第。
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