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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

姉歯建築士-7

二つと書いたもう一つの要素は、政治的なものと言ってよいだろうか。前にも書いたが、「善い方」をめざして全体をコントロールしていくということだ。ただ言い方があいまいだし「政治的」というような言葉をわざわざ使うのは、その「善」の多様性と非情を思うからだ。政治の世界は冷徹と言われるが、それは手段を選ばない非情さのゆえで、歴史を見ているとそのパワーゲームのすさまじさには呆然となる。対象となるのはまあ手当たり次第で、文学や芸術はもちろん宗教でさえ手段として役に立つならばその餌食の例外にはなりえないし、「得」にならないと見れば遠慮なく切り捨てられていく。

まるで獰猛な怪物を見るようだが、むき出しにされた「私欲」とはそういうものなのかもしれない。昔、修行時代をすごした事務所の師から、「支払う金が自分のだったらと考えてみなさい。そうすれば図面や見積書に対してそんな甘い考えは出てこないはずだ。」と口すっぱく言われたことを思い出す。「善をめざす」と言葉で書くと大げさだが、その根源をたどると生物的本能に近いそういう個人的な利害の感覚(感情?)にまでつき当たるわけで、「私欲」をまったく無視して人のためにつくすというのは、つきつめて考えるとやはり人間にはありえないことではないかとあらためて思う。

古代の哲学者は、戦争に明け暮れて滅んでいく人間の不条理を嘆じて「人間は誰も善いことをしたいと思っているのは確かなのだ。ただ自分にとって本当に善いことが何かを見まちがってしまうのだ。」というようなことを言った。まあこれが哲学史上において人間は生まれつき善を求めているという「性善説」に分類されるのか、その反対の「性悪説」となるのかは知らないが、善の多様性と意外なほどの困難さは理解できると思う。

建築家の倫理としては、間口を広げすぎているという反論もあるかもしれない。ただ「倫理」というからには、簡単に建築家という職業(職能)に限定するわけにはいかないと思う。英語にProfessionという単語があって、カッコに書いた「職能」がこの訳語で、他の職業Occupationなどとは一応区別され、その「職能」の西洋的三点セットが弁護士、医師、建築家だ。動詞のprofessとは辞書では告白するという意味だが、頭が大文字になれば少し意味が重くなり「神に対して」というようなことになって、「発言する」ひいては「誓う」というような意味になるのだろう(神様は多分しゃべらないから対話にはならない)。・・・続く
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