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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

建築家の倫理:姉歯問題から-10

ただ、やっかいなのはそこに書かれた「禁欲的合理主義」はいかにも強力で鮮やかだが、残念ながらその前に一応「神」をおかないと成り立たないということだ。そしてそれはもちろん八百万の神ではなくて砂漠出身のかなり孤独な姿をした「神」で、われわれ日本人などはそのままではまったく「救済」の対象にもならないらしい。

M・ウェーバーの本を読んだときに思ったのは、そういう西洋の思想がまだ入らない江戸時代の商人たちのことで、すでに成熟した形の近代的資本主義が日本にはあったとも言われる。当時はやった浄瑠璃などといってもまったく知らないのでここからは司馬遼太郎氏の本からの受売りでしかないが、近松のある心中物で主人公が、結局だまされることになる商売の同僚に対して「あいつも男をみがく奴」ともらすそのつぶやきを、当時存在した倫理の一つの証言のように司馬氏が語っていたのを覚えている。彼らが当時みがきにみがいた「男」とは、一体何だったんだろうか。

近代的資本主義と呼ばれるような経済システムが、都市に集まってきた余剰人口を塩でもむようにして洗いだし、集団の一部から意志と責任を持った個人へとみがきたて、きたえたというような過程は、西洋の厳格な神様なしでも確かに日本にはあったのだと思う。

(まあここで孤独な神の代わりに孔子を持ち出してもよいが、ほとんど議論にならず何より論理的な純度と厳しさでははるかにかなわないだろう。論語では「両端をたたいてつくす」というのが、大学時代に読んで今も時々思い出す章句だが(吉川幸次郎氏の読み)、そういう議論の極端をいましめるような節度はわたしも何とか最後まで保ちたいと思う。) ・・・続く
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