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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

建築家山口文象氏-2

さて山口文象氏のことだが、氏は製図工の出身で、東大出の官僚建築家たちとは食堂やトイレまで別というような境遇の中から頭角を現し、デザイナーの一員として認められた。以後大正時代の近代建築運動の中でも活躍し、ついには欧州留学まで果たす。まあ詳しいことは本書を読んでもらいたい。私も本書で初めて知ったことがいくつもあった。その一つがバウハウス初代校長だったW.グロピウスのもとで学んだということで、グロピウスはアメリカに渡ってからTACという共同設計事務所(The Architects Collaborative)をつくり、山口氏は帰国してのちにやはりRIAという同じような組織体を作ったが、そのことがとても興味深かったのだ。

組織体としての設計事務所というのは、理想としてはよく分かるし私も若いときに夢想したことがあるが、現実には建築デザインの世界においてはなかなか難しいことだと言っていいだろう。ただし、もちろんこれはデザインの質を問題にしてのことだ。前に書いた建築の3要素:美・用・強の後者二つに重心をおくならばそれほど意味のない議論ということになるかもしれない。デザインも無難で技術的に成熟した建築を設計できる組織事務所は確かにいくらもあるし、一般的にはそれで十分かもしれないからだ。

ただ、デザインの才にあふれた山口氏自身もそのあたりの難しさは実感していたようで、そのことは本書にもある。また彼の理想をこめたRIAも、彼を含めた初代のデザイナーたちがいなくなると先端的なデザイン事務所というところからはほぼ完全に遠ざかっていった。デザインの質(美)ということに重点を置くとすれば、やはり個人の力が強烈に大きいと言うほかない。

たとえばギリシアのあのパルテノンの建設にはフィディアスという彫刻家が君臨し、その下に建築家イクティノスともう一人(名を忘れた)が従った。ルネサンスの幕を切って落としたフィレンツェのドォーモは建築家ブルネレスキの作品だし、ローマのバチカンのドォーモはやはり彫刻家ミケランジェロのものだ。日本では伝統建築の閾をこえた東大寺南大門や浄土寺には重源という高僧がいたし、妙喜庵待庵には千利休、桂離宮には小堀遠州の名前が残っている。

何を言いたいかというと、天才的なデザイナーとして多分うすうすにはその矛盾というか困難さを知りながらも、思想とデザインの道を両方捨てずに頑張りぬいた山口氏の営為には、頭が下がる思いがするということだ。違う言葉で言えばこういうような引き裂かれ方に才能と全人格をかけてつっこんだような人は、文学では知っているが少なくとも日本の建築界では稀有ではないかと思う。

キーワードは共同体という言葉だろうか。コミュニティの訳とすれば、その言葉がある時代にどんなに理想的で豊かな力をもっていたか、わたしもはるかに大きな感慨とともに思い出す。マルクスのとなえた共産主義の「共」だ。
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  コメント


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ふーむ。

こんにちは。今回の山口先生特集、おもしろいですね。このような先生がいらっしゃるんですね。私は大学では経営組織論をしておりました。組織というのは、本当に難しい。組織と個人の有り様は、永遠の課題です。厳密に言うと何か共通の目的を持った二人以上が協働することが、組織であります。大きな規模になるからできることも大きいかわりに、皆の顔が違うように、皆にそれぞれ思惑があって、その規模が大きくなればなるほど、理想と現実が離れていってしまうような気もする今日この頃。先生の作られた事務所も、きっと、規模や、時間の流れで、いろいろスタンスが変わっていったのでしょうか。またリーダーの素質によって、組織の有り様が一変するのも事実。松田さんがほれ込むくらいの山口先生の生き方を調べてみることで、個人と組織の問題、リーダーシップの問題、広げれば、普遍的に魅力的人間の実態について、何かが学べそうな気がいたしました。BOOK FIRSTにいってみよう。。。日曜はすこしゆったりできそうなので、紐解いてみようと思います。

曲圃 | URL | 2006年03月17日(Fri)15:01 [EDIT]


コメントありがとう

まだ山口氏の思想については舌足らずで、もう少し書かないといけないのだが、なかなか暇がない。思想の方面は「近代日本の・・・」にはそれほど出てこないので、また時間があればトライしてみます。本当はそのあとの系譜や思想の持っている力について書きたかったのだが途中挫折してしまった。

松田 | URL | 2006年03月17日(Fri)15:49 [EDIT]