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松田靖弘のブログ

仕事とする建築のことや大学で教えている緑のことなどをはじめ、自分の日常の些細なことまで含めて気が向くままに書いていきます。

ドナルド・キーンさん逝去

昨日、ドナルド・キーン氏が亡くなった。

もちろんかなりのご高齢なのは知っていたが、やはり実際に訃報を聞くことになると、ショックが大きい。とくに昨秋から氏の書かれた「日本文学の歴史」をずっと読んできているので、本当にびっくりした。全18巻にわたる大著だが、先週半ばに第7巻を読了したところだ。そのかなりの部分を占める芭蕉に関する叙述がすばらしく、感動していたこともあってよけいに衝撃が大きかった。

まあ、「日本文学の歴史」なんてたいそうなタイトルの本は、日本人だってそうは書けないだろうし、書こうとする人もいないんじゃないかと思う。大勢で分担してというようなのなら今までにもいくつかあったと思うが、それをなんと外国生まれの白人が一人で書き通されたというのは、数巻読んだあたりから、意識に明瞭に浮かび上がってきた驚嘆だった。

とにかく一人の個人の著作ということは、現代までの歴史上に存在した日本文学「全て」に対して、一つの「標準」にそった評価が下されているという、ある意味では本当に信じがたいような状景がその中に繰り広げられているということになるわけで、そのことに気がついたときには、あきれるような思いとともに深いため息が出た。

そしてそのすぐあとに思ったことは、何とすばらしい人をわれわれは外国の友人として持てたのだろう!!追想ニュースで「自分が好きでやってきたことなのだからほめられる筋合いではありません」というようなことを話されていたが、氏が日本を好きになってくれたこと自体が神様の導きとおっしゃるなら、神様に深く感謝します。日本人は昨日、本当に得がたい人を失った。

ご冥福を心から祈ります

2019年 明けまして

2019年 明けましておめでとうございます

写真は一枚もとってこなかったが、昨日、今年最初の日は名古屋に行ってきた。今年は帰省する息子に加え娘夫婦も来るというので、多少いつもより正月の準備も手厚かったが、残念ながら娘が風邪をひいてあきらめざるをえなくなり、それならと、おせちや尾かしらつきのタイまで持って、急遽ここっちから名古屋の娘夫婦の住まいまで出向くことにしたのだった。

まあそんなに娘の風邪もひどくなく、ほぼ回復してきていたので、みんなで軽くおとそも楽しんでから、有名な熱田神宮へ初詣に行ってきた。大事をとって娘は来なかったが、すさまじいくらいの人出で、出てこなくてよかったと思った次第。わざわざつきあってくれたご主人には感謝。

今日は年賀状の補足を書きに出てきたが、急いで書いた大晦日の記事に少し手をいれてからこれを書いている。寒さもきつすぎず天候も晴天で、とりあえずおだやかな正月のすべりだしとなった。まあ年の功というべきか、人間の分際で願えることの限界についてだんだん悟ってきてるいるから、いまやおだやかな年の初めだけでもありがたいと思う。

本年がきっとよい年でありますよう

2018年 大晦日 悲しき熱帯

さて今年最後の日になった。読書のことを書いておこう。

ことし一番印象に残った本となると、文句なしにフランスの文化人類学者レヴィ・ストロース氏の「悲しき熱帯」だ。

(読んだのはもちろん邦訳で講談社学術文庫のものだが「悲しき南回帰線」という邦題がついている。ただ南回帰線というのは内容にあまり関係のないロマンティックな効果だけの言葉で、書物の内容からしても違和感が強すぎる。ただ「悲しき熱帯」という直訳ではあまりに即物的なタイトルではあるけれども)

学術書ではなく、氏がまだ若いころサンパウロ大学時代にやりとげたアマゾン奥地への調査旅行記が中心の書物。ただそれだけではなくて、話しも時代もあちこちに錯綜して飛びつつ、第二次大戦期のはじめ、ドイツ軍がパリ侵攻のあとで作ったフランスのヴィシー政府のもと、ユダヤ人である氏がスリリングな経緯を経て船で出国する顛末や、そのあと過ごしたニューヨークの郊外、ファイアーアイランドの特異な景色、インド(パキスタン)のガンダーラ遺跡の風景などもちりばめながら、各所で辛らつな文化文明批評が語られていて、全体としてはすばらしい紀行文と言ってよいのかもしれない。

アマゾン奥地の調査記は、昔読んでこれもすばらしく感動した本多勝一氏のニューギニア高地人のルポを思い出したが、接触できたさまざまな現地民の生きざまが語られていて、グーグルマップをたどりながらゆっくり読んでいった。だから読み終わったときは自分も一緒に旅してきたような軽い疲労感と高揚感まで味わうことができたのだった。

自分にとって本の中でのピークは、下巻のはじめごろだったか、その日に読んだ新聞か雑誌の記事について昔の調査旅行を思い出しつつ書いた彼の慨嘆の部分。記事でとりあげられていたのはこの本にもある昔の調査旅行で取材したナミビクワラ族のことだった。その記者がアマゾンのどこか田舎の町で遭遇したナミビクワラ族の人たちに対して、思いやりのかけらもない侮蔑的な記事を書いていることに、レヴィ氏がアマゾン原野の透明な結晶質の星空の下(昔のことかまた行かれたときか忘れたが)眠りにつこうとしながら天に向かって語りかける痛憤と悲嘆の場面。

氏のこの天にも届けと言わんばかりの痛切な詠嘆に対しては、本当にわたしも深く、そして強く魂をゆさぶられた。

つたない言葉でしか書けないが、人間の生きている基底のそのまだずっと底というようなものの存在を、あざやかに感じさせてくれるような文章だったと思う。地面にじかに寝てくらす(彼らのような人たちでもほとんどいない)彼らよりも、われわれは本当にうるわしくすぐれた生活を送っていると言えるのか、彼らの生きている姿の輝きは、彼らの方がもしかしたら幸せということをもの語っているのではないのか、彼我の生活は考えて比較するにも次元が違うところにいるのは確かだろうが、その違いのはざまにある堅い壁をものともせず、それを足で乱暴に蹴破ってしまうような痛烈なレヴィ氏の絶唱は、わたしにとって生まれて初めて、人間の幸せということについて、そんな彼我の違いを超えて感じ考えられる地平線のようなものをかいま見せてくれたように思う。

うまく書けないがもう少し続けると、自分も「未開人」に対して初めて、深い敬意をもって接するための共通する地平とそのための立脚点というようなことについて、多少なりと会得することができたように思ったのだ。文化文明の違いをまたにかける真の「文化人類学者」とは彼のようなことを言うのだろうかと心から思った次第。

長くなった。オセアニアや東ヨーロッパ史、またとくにインドについては多少なりと書きたかったが息が切れてしまった。まあ上のを書ければとりあえず満足と思って書き出したから、今年はこのくらいで。

来る年が本当によき年でありますよう
みなさま どうかよいお年をお迎えください

2018年末 今年の仕事

住真田山EAST 2018-1
さあ、今年もいよいよ大詰め。恒例の年末の締めくくりを。
仕事では、以前の「住 真田山」に続くシリーズ第二作「住 真田山EAST」が夏の盆明けに竣工したことが一番大きい出来事だった。前のには、賃貸住宅のほかにオーナーのご自宅と不動産管理を業とするその会社(だるまや土地株式会社)の事務所も入っていたが、今回は全てが賃貸住戸。上の写真の露地を入っていくアプローチはよく似ているが、突き当たりに庭があった前作にたいし、今回は下の写真にある小さなラウンジのようなエレベーターホールを介して庭に接している。

置いてある家具はジョージ・ナカシマの有名なコノイドベンチと、その製作もした桜製作所デザインのテーブル。さすがに空間が引き締まり、高額にもかかわらず踏み切っていただけた施主には感謝の気持ちだ。実はジョージ・ナカシマ氏は、自分が社会に出て初めて勤めたレーモンド設計事務所の大先輩でもあり(もちろん直接の面識などないが)多少感慨深いものがあった。
住真田山EAST-4
施行してくれたまこと建設は、今や世界的な建築家となられた安藤忠雄氏の仕事を数多く手がけてきて、コンクリート打ち放しの建物をまかせれば日本一(もしかすると世界一?)と言ってもいい会社だが、今回も期待にたがわない仕事をしてくれた。ただ工程管理のまずさもあって、竣工前の最終局面で多少不手際があったもののそれは1階回りの仕上げのことで、コンクリートの素材自体はもちろん、全体的な施行についてもよい仕事をしてくれたと言ってよいと思う。

ここで打ち明け話を少しすると、まこと建設は、安藤忠雄氏の建物の評判もあってコンクリート打ち放しを数多く手がけているのでその職人たちもたくさんいる。でもやはり安藤さんの建物となると別格で、「安藤組?」とでも言うべき職人さんたちがいるようだ。前回は、最初からはっきりそうではないと聞いていて、まあ予算的にも厳しくそれで当然と思っていたが、今回は「安藤さんの手(型枠大工)が来てくれます」とはじめに聞いて、かえってこちらが緊張したのだった。確かに安藤さんからの発注が定期的に決まっているわけでもなく、その職人さんたちも安藤さん以外の建物を手がける機会もあって当然だが、聞いたときは多少面食らってしまった。

設計としてはあまり難しい仕事を要求はしていなかったものの、設計時点で「できれば・・・」と思っていたことも実現してもらえたし、何より現場の懇親会(飲み会)で同席して、断片的ではあるが苦労話しをいろいろ聞かせてもらったことはとても印象深い経験になった次第。最後に入口側の全体写真をあげておきます。ちなみに今日の全ての写真は、福澤昭嘉氏の撮影。

あと仕事で書いておくべきかと思うのは、かなり久しぶりに木造在来工法の住宅の設計を始めたこと。現在、省エネ義務化に向けて国交省がやっきになって講習会を開きまくっていて、ある程度自分の知識も改善してきていたつもりだが、具体的に現在の木造住宅のことを調べてみると、予想以上に変化(進化?)していることが分かってびっくりしてしまった。

まあ高気密高断熱の住まいというのは、建築家としてかなり前から、人に先駆けて手がけてきた自負はあるし、その利点については、省エネの観点以前に、感覚的に強く推奨したい思いを昔からもっているので、あらためて本格的に取り組んでみたいと考えている。そしてようやく年末ぎりぎりに仕上がった基本計画について、先日、施主には一応の了解をいただけたので、来年の展開を楽しみにしたいと思う。

さて仕事の話しだけで今年は長くなってしまった。今日はこの辺で。
住真田山EAST 2018-3

猪名川

先週の火曜日、兵庫県の猪名川に行ってきた報告を。
実は昨日書いた講談会より先で、書こうとは思っていたが、講談会の印象が強烈だったので、そちらを先に書くことにした次第。

静思館-1

行った目的は、猪名川霊園というところにできた建物の見学会。ただ午後1時半現地集合で、不便なところなので車で行くことにした。でもどうせ1日つぶれるならと、早めに出てどこか別のところも見学してみようと考えて探していると、別のルートだが一緒に参加したH君が、「静思館」という建物のことを見つけてくれて、そこへも行くことにしたのだった。

実は、市のWEBサイトの写真くらいしか見ていなかったので、行くまではてっきり古民家だと思っていた。場所は市役所の隣で、その駐車場に車を置いて裏口から入ったのだが、係りの人に移築ですかと聞くと違うとのこと。表に回って一度門の外へ出て、振り返っておもむろに門構えを見ると、門として見たことのないような、空間的スケールが並外れたものなのでびっくりした。

静思館-2

パンフレットや展示を見ると、昭和の初めにできた京都の高名な美術商のゲストハウスだったそうだ。氏が集められたコレクションとして展示で説明されていた中で、今は大阪中之島の東洋陶磁美術館にある国宝の「飛青磁 花生」はさすがに私も覚えていて、ウーンとうなってしまった。
(後記:これはどうやら私の誤解で、ほぼ同じようなものが今もスイスのバウアーコレクションにあるそうだからそちらが氏の収集品だろう。)

もう少し詳しいことは、ここにリンクしたパンフレットでご覧下さい。

静思館-3

確かに萱葺きの古民家然とした造りであっても、京都の数奇屋大工の手によるものだし、とにかくよく見るとギョッとするほどスケールがでかい。ケヤキの大黒柱は1尺2寸角ほどもあり、座敷の柱も4寸5分角。写真では分かりにくいが、大屋根は飛騨の合掌造りの家くらいのスケール感がある。構造も、萱葺き屋根で一般的なサス組みではなくて洋風トラスが入っているそうだ。

高架水槽による水洗便所まであってなかなか面白いし、保存状態もよくて、まあ一見の価値は十分ある建物だと思うから、もう少し宣伝されてもよいのではないかと思った次第。

さて肝心の猪名川霊園の礼拝堂・休憩棟について書く前に息が切れてしまった。

猪名川霊園-1

一番印象に残ったのはやはり礼拝堂の空間だ。とくにその庭がすばらしかった。

猪名川霊園-3

でも山野草の中庭は、造りはなかなか面白いと思ったが、あの場所ではあまりに弱すぎる印象で、もう少しやりようがなかったか。ただあたりの山に針葉樹の植林が見当たらなかったのが印象的で、広葉樹のやわらかい山肌がすばらしい背景になっていた。興味のある方は、ここにリンクしたWEBサイトや建築雑誌などでご覧下さい。

猪名川霊園-2